半島再統一戦争⑯
「消し飛んだか、それとも逃げおおせたか……ふむ」
自らの火炎に焼かれる竜騎士など三流である。特にそれが霧散しやすい引火型の吐息であるならばなおさらだ。ドラゴンの魔力を借り受けて纏った防御壁は、ベグラーベンのブレスを熱も感じられぬほどの強固さで遮断してみせた。
半径十メートル以上にわたって焼き払われた平原を見渡し、ヴィルヘルムは軽く息をついた。
溶解し、赤く焦げ付いた地面。草木の類は残らず消し飛び、地肌はガラス化している部分もある。生物の生き延びる余地など皆無のように見えた。
通常の火炎を吐くドラゴンと違い、土竜のブレスは出が遅い代わりに燃焼が長い。胃酸に近い霧状のガスを噴霧したあと、そこに着火するという形式をとるのだ。身体にガスが付着すれば炎はしつこく纏わりつくだろう。
破壊ではなく、殺害に特化した吐息。――ヴィルヘルムは自らの火炎を、自嘲気味にそう評していた。
「――――――」
周囲を見渡す。誰もいない。
背後で盛大に吹雪の竜巻を巻き上げていた狼も、ガスの中で往生際悪く何かをしようとする気配を見せていた猟師も、見渡す限り発見できなかった。
――よもや、本当に死んだのか。
「さて……」
有り得ない話ではない。この戦いでヴィルヘルムは一切の加減をしていないし、最後のこれも必殺の意図をもってブレスを放った。防御も回避も間に合わず炭も残さず燃え尽きたというのも、考えられない話ではない。
もとより仇敵である。討ち果たせたことに対しては喜んでしかるべきだ。
しかし――
「…………」
ヴィルヘルムは警戒を緩めなかった。槍を握りしめて鋭い目で周囲を睥睨し、欠伸を漏らそうとする乗騎を鐙を蹴って注意を促す。怠け者なガマガエルのような風貌をしたドラゴンは面倒くさそうに首を振った。
もう敵はいない、仕留めたのだろうから帰ろうと土竜から思念が送られてくるのを黙殺し、ヴィルヘルムはあくまで警戒に没頭した。
――あの猟師は不意打ちの達人だ。他の武芸百般に対してはその道の第一人者に譲るとしても、こと背中を刺すことに関してあの男以上の隠密はいない。
十五年前の魔族しかり、数年前の暗殺者騒動しかり、話題になった戦いでは必ず認識外からの伏撃を成功させてきた。時に気配を殺し、時に縮地のごとき機動を見せ、時に正面から忽然と消え失せる。……認めたくはないが、ヴィルヘルムの中で神出鬼没とはまさにこの男のことを指す。
実際に手を合わせて痛感した。あれはあらゆる局面に対応する万能型の戦士である。
クロスボウ、短刀、片手斧、長柄槍、長柄鎚――たった数分の打ち合いでこれだけの武器を過不足なく使いこなし、決してこちらに手を読ませない。武器ごとに変幻する戦術、どれにも共通する筋はあるようだが、こちらの目が慣れる頃には武器を変えて更に意表を突くだろう。
そんな猟師が死体も残さず消し飛んだと言われて、はいそうですかと素直に信じられるものだろうか。
この焦燥の裏に立つもの――それは脅威への警戒であり、練達への敬意であり、わずかながらの憧憬である。
あの猟師は武人ではあるまい。アレの立つのは騎士道はまた異なる道だ。そうでなければ十五年前、今の主君であるイアン・ハイドゥクを通り越して辺境伯に楯突く選択など何故できよう。
あの精神がどこに根付いているのか、何に基づくものなのか、その道は一体。――あの日、あの背中に一瞬見とれた日にそう思った。
敵は侮らぬ。かの猟師を最大の難敵として認識するがゆえに、土の竜騎士は油断なく目を凝らした。そして――
「…………こない、のか」
現れない。
本当に死んだのか。負傷が重く身動きが取れないのか。それとも今もなお隙を窺ってどこかに潜んでいるのか。
「――――――ふん」
油断はしない。警戒は怠らない。しかし猟師の気配もなく、ヴィルヘルムの中にある交戦の気負いも削がれてしまった。
軽く息を吐いて腿に力を入れる。合図を受け取ったドラゴンは億劫そうに首をもたげると、友軍の撤退を助けるために踵を返した。
――竜騎士の立ち去った焼け野原に、変化はない。
●
ハスカール秘儀、土遁の術!!!
――説明しよう。土遁の術とは敵の可燃ガスが周囲に充満し逃げ場がなく、火炎が目前に迫っているときに行う緊急避難である。
手元にある武器を使って猛然と穴を掘り、一瞬で二メートル余りの縦穴を構築した瞬間飛び込んだのち穴の入り口へ向かって全力で水魔法を放つシノビの究極奥義なのだ。最近生えた採掘スキルが火を噴くぜ……!
嘘です。失礼しました。
あのドラゴンが最初に撒き散らした吐息で土が脆くなったのが幸いした。あと手元にあったのが猪の牙を素材にした短刀で穴を掘るのに適していたのと、インベントリ内に軍用ピッケルが残っていたこと、そして俺のもとに急行した白狼が穴掘りの手伝いをしてくれたことが大きい。
何気にピッケルを敵のどたまカチ割る以外に使ったのはこれが初めてではあるまいか。奇妙な感慨にふけることしきりである。
「うぼぁ……!」
「オオゥ……!」
ぼこん、と間抜けな音を立てて土を押し退け、地面の穴から顔を出した俺とウォーセはようやく一息つくことができた。お互いに泥と火傷で酷いありさまだ。早く帰って風呂に入りたい。
げほ、と咳き込めば黒い煙が漫画のごとく吹き上がった。ひとりと一頭がかりで頭上の穴に向けて防壁を展開したのだが、見ての通り間一髪で被害も大きい。随分煙を吸ってしまったらしい。
「う、おぉぉ、これ、きっつい……」
みっともなく腹這いになって穴から這い出る。徹夜明けで疲労も溜まり、最後にはあの竜騎士との切った張ったで消耗しきっている。立ち上がる気力も湧かず、その場に仰向けに転がった。
あの竜騎士が立ち去ったのは確認している。最後まで隙を見せずに堂々たる雄姿での退場だった、畜生め。
しかしあれ、ほんとにどうやって攻略すればいいのだろうか。
ドラゴンは現状ある最大の攻撃でも突破不可能。鎚が効かなかった時点で打つ手なし。口とか眼とか肛門とかを狙えとでもいうのか。
竜騎士も白兵能力が高水準でまとまっていて隙が見当たらない。高い視点でこちらを俯瞰してくる上に油断の欠片もない物だから、とても不意を突ける舞台を整えられない。おまけに何かしらドラゴンの加護を得ているのか、何度か切っ先が掠めたのに皮膚に傷一つつかなかった。
いうなればアーデルハイトを物理寄りにして、十年以上の経験をプラスしたうえに油断も慢心も削除したようなもの。――――え、本気で詰んでる気がするのですが。
「相性が悪すぎる。ああいうのは副団長辺りとガチンコするのが――ぶ」
「オン!」
べちん、と顔面に衝撃。
見れば白狼は自慢の毛皮を焼け焦げにされたのがいたくご立腹らしく、傍らに腰を下ろして煤だらけの尻尾を俺に向けてべちべちと振り下ろしてきた。……いやいややめなさいこのバカ狼。さっきのは俺のせいじゃないでしょうが。
「バウ!」
俺の弁解はお気に召さなかったらしい。白狼は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、あっという間にどこかへ向かって走り去っていった。
……相当にお冠と見た。これは数日は顔もあわせて貰えんかもしれん。
「帰りに兎でも狩るか……」
春だし、探せば間抜けな兎の一羽や二羽くらいいるだろう。それで勘弁してくれるといいのだが。
そうやって相棒のご機嫌取りに思案を巡らせていると、何者かが近寄ってくる気配。
「――人には働かせといて、自分はこんなところでお昼寝とは良い身分ね」
「……エルモ」
敵軍の追撃を任せていた副官は、呆れた表情を隠しもせずに溜息をつく。
「敵には逃げられたか?」
「誰かさんがあの竜騎士を足止めできなかったせいでね。……なんなのあのガマガエル、矢もクロスボウも全然通らないんだけど。おまけに撤退を援護してる歩兵の指揮官がやたら強くて。二十連射を全部槍で叩き落とされたの見たときは変な笑いが出たわ」
「被害は?」
「あんたが負けたってわかった時点で一目散よ。背中を火傷したのもいるけど、後方に下げていれば来週には復帰するわ」
うむ、うちの部下は優秀な人間ばかりで助かる。
俺のヘマでえらいことになってないようでまずは一安心。ぐでん、と脱力して空を見上げると、どうにも先行きの見えない曇天が広がっている。
「――敵は、予想通りに?」
「ええ。北の砦に逃げ込んだわ。撤退の指揮が上手かったせいでしょうね、800近くが籠ることになったわ」
「決着はつかず、と」
壊滅したメルクル家、ヨラ家の敗走兵、半壊したハービヒ家の兵を吸収し、同盟側は歩兵だけならどうにか形を成した状態で砦に入城したという。
竜騎士を二騎落とされたとはいえ、まだこれだけの兵力が残っているのだ。歩兵戦力は数だけなら互角、竜騎士の数ならまだあちらが上回る。――まだ戦術次第で挽回は利くと判断されるだろう。
「……とはいえ、風はこちらに吹いている。勝ちに乗って士気も上がったはずだ」
「あっちも乗ってくるかしらね? あの砦に引き籠るかも」
「敵さんは短期決戦を望んでいる。兵糧がこれ以上持たないからだ。あの砦に備えてある糧秣もさほど多くないって話だろう? おまけに800なんて兵力、あの砦に収容するには多すぎる」
下手に撤退を成功させて部隊の大部分を砦に入れることができてしまったのが不味かった。今頃敵の物資担当は兵に分配する兵糧を計算し直して頭を抱えていることだろう。籠城などできる状況ではない。そうなるように仕向けたのだから。
――エリス夫人が敵軍に入り込ませた情報提供者によって、砦の内情は筒抜けになっていた。本来の収容者数、井戸の位置、備蓄している武器の数にいたるまで。
籠城にはならないだろう。囲めばひと月で食糧が尽きるし、ベッケンバウアーはむざむざ城の中で弱り果てるのを良しとする気性ではない。必ず起死回生を期して砦を飛び出してくるはず。
「早くて明日か」
「明日、改めて――ね」
決着の戦地になるならば、と地図上で夫人に指示された場所と、今予想される決戦の場は、まったくの同一だった。




