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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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名もなき港町にて⑥

 テルミット反応――現代では一般によく膾炙した、馴染み深い化学反応である。


 可燃性の高いアルミニウム粉末と酸化金属を混合させ着火すると、アルミニウムが酸化金属を還元したうえで高熱を放ちながら燃焼するというものだ。この際空気中の酸素はほぼ消費されず、また燃焼に際してその仕組み上、二酸化炭素を生成しないという特徴を持つ。

 燃焼に空気中の酸素を用いないため水中でも使用が可能なうえ、むしろ下手に水をかけると逆に燃焼を助長しかねないという性質は、古代におけるギリシャ火に通ずるものがあるだろう。


 ――そう、水は厳禁。

 テルミットに対し一般的な消火行動は意味を為さない。アルミニウムは酸化しやすく、周辺の物質からお構いなしに酸素を奪い取るほど。すなわち、安易に消火しようと水をかけたところで、むしろ水中の酸素と反応して発熱を促進してしまう。これを鎮火するには酸化物の除去を目的とした窒息消火が有効である。


 水で消えないというテルミットの特性は軍事において有効に用いられた。有名どころであれば第二次大戦で日本の都市部を焼け野原にした焼夷弾が代表的だろうか。激しく光を発しながら燃焼する焼夷弾に対し、市民は防火訓練の成果を発揮せんとバケツを手に消火に挑んだという。結果は――――言わずもがな。

 消えない火というものがいかに恐ろしいものか、死者数という数字で見て取れる悪例といえよう。



   ●



「そいやっ!」

「――――」


 珍妙な掛け声とともに打ち上げられた陶器の壺を、手元に火球を浮かべたオスヴァルトが何ともいえない表情で撃ち抜いた。そこそこに頑丈な作りのようだった壺も火球の一撃に耐えられるものではなく――爆散。

 四散した壺の中身は即座に火炎と反応して燃焼し、白と()の発光とともに激しく燃え上がる。目も眩むほどの光の粉が舞い落ちるという一種幻想的な光景はしかし、降り注ぐ相手にとって死の雨に等しい結果をもたらした。


「――――!? ――――!?」

「ギィ!? ギギ……!?」


 青銅が燃える。

 降り注ぐ火炎の粉が一度でも体表に付着したが最後、アルミニウム粉末が完全に酸化するまで燃焼は収まらない。特にガーゴイルは表面が緑色に錆びているものも多く、錆すら薪に変えてテルミットは燃え盛った。

 青銅の獣は事態を正しく認識できていないのか、混乱した様子で挙動不審にのたうち回り、結局何も理解できないまま燃焼が中枢まで到達して動かなくなった。


 インプが、デーモンが燃える

 水を生み出す個体もあった。地面を転がり踏み消そうとする者も、残雪を擦り付けて冷やそうとする個体もあった。しかしすべては無意味、目を焼かんばかりの火炎はお構いなしに魔族の皮膚を蝕んでいく。

 自然界にはありえない現象、火は水で消えるという常識を打ち壊され、絶望の悲鳴の中息絶えていく魔族たち。肉の焦げる悪臭が辺りに立ち込め、火事現場から人が離れてぼっかりと穴が開く。


 ――そんな光景を防壁の陰から覗きこんでいるドワーフ二人。ご丁寧にもその鼻先にはテルミットの発光で目をやられないよう遮光眼鏡がかかっている。


「……なんか、儂の知っとるテルミットと違うんじゃけど」


 ギムリンが言った。しかめた眉に目を半眼にして自らが引き起こした惨状を眺めている。


「あんなに効果覿面じゃったか? いくら何でも燃え過ぎな気がするんじゃが」

「うむ。あれはな、壺に刻んだルーンが原因かもしれん」


 隣のガルサスが鼻を鳴らす。


(カノ)じゃったか、あるいは破壊ハガラズ? 活性(ソウェル)が悪さをしたのかも……?」

「なんつーことをしよる! 儂のテルミットに変なファンタジー要素を混ぜるな!」


 相方の突然の裏切りにキレる黒髪のドワーフ。しかし白髪の老人も黙っていない。


「そうは言うがな! 持ち込みの火薬じゃとこれだけの敵に撒く分には足りんじゃろが!」

「そこは科学の叡智でどうにか工夫する場面じゃろ! 石油混ぜるとか酸化水銀混ぜるとか!」

「有毒物質ではないか! 貴様守兵を毒殺するつもりか!?」

「モノはたとえじゃろ! 大体水銀は実験で使う分以外はお主らドワーフが根こそぎ――」


 ――と、そこでギムリンが何かに気付いた様子で顔つきを変えた。胡乱げな表情で防壁の向こう側を眺め、今度はガルサス翁に視線を移す。

 いきなりしげしげと注視される羽目になった老人は落ち着かない様子で、


「な……なんじゃいきなり。言っとくがあの水銀はもう使い切ったあとじゃぞ。返せと言われたところで――」

「混ぜたじゃろ」

「――――」


 何を、とは言わない。

 具体的に明言せずともガルサスには伝わったらしく、途端に目を逸らして明後日の方向を眺めはじめた。


「水銀と硫黄じゃったか。自慢の合金を鍛えるのに必要なのだったな」

「なん、何の話じゃ……?」

「儂のテルミットに変な金属を混ぜよったじゃろ……!」


 老人の糾弾の声が場違いに響いた。


「有り得んじゃろ、なんじゃ金色の光って! どんな炎色反応が起きればそんな燃え方するんじゃ!?」

「探せばどっかにはある――」

「あったとしても儂は入れとらん! せっかくのテルミット爆薬に得体のしれん金属なぞ混ぜるか!」

「得体の知れんとは言いおったな! 人がせっかく親切心で、火薬のかさ増しになるかもと虎の子の合金を苦労して酸化させて混ぜてやったのに!」

「頼んどらんわ!」

「やかましい……!」


 あ、逆ギレ。

 話について行けず手持無沙汰に佇んでいたオスヴァルトが軽く嘆息する。


「なんなんじゃ、人の親切に対して次から次と文句ばかり! 貴様はそんなに偉いのか!?」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、ガルサス翁が激昂する。


「貴様のテルミットじゃと? ふざけるな、何様じゃ! 似非ドワーフがいっぱしの科学者気取りか! 面白げな火薬を独占しよって、儂だって実験してみたい……!」


 結局それかよ。


「……む、雨雲」


 いがみ合う二人のドワーフを尻目に、オスヴァルトは東の空に曇天を発見した。存外に速い足から見て、夕方にはこの港町に到達するだろう。

 夜には今のような火薬を用いた戦いは通じなくなる。くだんのテルミットとやらも水に濡らすと危険というのだから、使用は控えるべきなのだろう。


 ――ならば、今のうちに使えるだけ使っておくか。


 雨が降るまでの間に、ギムリンが用意した三十のテルミット弾を使い切ることをオスヴァルトは決断した。

 これによる戦果は、インプだけで総数600体に及んだという。

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