名もなき港町にて⑤
どう、と誰かが倒れる音が響いた。
白い防壁の上、手旗を手に内側の兵たちへ合図を送っていた伝令兵。彼の腹を大振りな投槍が貫いている。見る間に広がる血だまりに壁が赤く染まっていった。
倒れ込んだ兵士の生死の有無など確認するまでもなく、その出血とぴくりとも動かないさまが全てを物語っていた。
「グォオオォォオオオ!」
槍を投げたデーモンが叫んだ。自らの戦果を誇りたいのか、隆起した筋肉をさらに膨張させて高々と腕を掲げる。
応えるようにしてもう一体のデーモンが動いた。先のそれと比べていくらか細身で翼の発達したそのデーモンは、口元をボロ布で覆って悪臭を突破し堀の縁から大きく跳躍する。力強く翼が羽ばたきデーモンの身体を堀の上を飛び越えさせ、ついには防壁の上に到達した。
防ぐ術などない。壁の孔は敵に向けて水平に向けられたもので、そもそも射出を指示する旗手はつい先ほど腹に大穴を開けて絶命したばかり。ここに壁の防御は穴が開き、ついに魔族による突破を許した。
壁に昇ったデーモンは昂揚した仕草で唸ると、壁向かいに降り立ち控えている守兵を蹴散らそうと視線を向け、
――――ずらり、と並べられたバリスタの戦列。
もとより斜め上方、防壁の直上のみを狙って固定された射角。
そのうち一つに守兵数人が群がり、既に矢は引き絞られていた。
「――――照準良し!」
「照準よーし!」
「放てェ!」
守兵の怒号、跳ね上がり駆動する機構、空気を弾き異音を上げる板バネとワイヤー。
もはやボルトではなく槍とでも呼称した方がふさわしい矢弾が射出され、デーモンは躱す間もなく顎から上を吹き飛ばされた。
「再装填! 再装填急げ!」
「巻き取り機はまだか!?」
「畜生、もうこいつの出番だと!?」
壁の向こうへ弾き飛ばされたデーモンの巨体。しかしそれを顧みることもなく、慌ただしく兵たちが機構へ群がり、必死の形相で次の矢弾を装填していく。継ぎ足すように接続された巻き取り機が回転し、ぎちぎちとワイヤーが引き絞られていった。
大物を仕留めたはずの守兵たちの顔に、達成感はない。
●
「――あくまで正面に拘るか」
「まずいのう、あと一日は持つと思ったのじゃが」
「予想ではこの辺りから迂回を本格化させて来ると思っとった。無理攻めするにしても守りの薄い南から、とな。しかし今のまま猪っぷりを加速させるとは」
険しい表情で意見を交わすドワーフ二人。彼らの間には戦場を模した地図と壁の模型、守兵や投石機の駒が配置されている。そのうちのひとつ、丸みを帯びたバリスタの駒を小突きながらガルサスが言った。
「敵は水際に来た。バリスタは有効なようじゃが手が間に合うか不安が残る。西の仕掛けは後三つが精々じゃ。おまけに内二つは使おうにも条件が揃わん。――どうする、動かすか」
「投石機をか? 時間がかかろう。そのうえ射角の計算やら調整やらに手間も人手もかかり過ぎる」
「しかし今の状況では南の分が遊んでおる」
「来ないと決まったわけでもない。動かした矢先にガーゴイルどもが南に殺到でもしてみよ、無駄手間かけた上に突破されるなど洒落にならんわ」
是非もないか、とギムリンの言葉にガルサスが舌打ちを漏らす。顎から伸びる白髭を弄る手に力がこもった。
「……やむなしじゃ、別に手を打つかのう」
「いささか骨じゃがな」
「待て、何をする気なのだ?」
話について来れないオスヴァルトが訊ねた。この守戦で一応の総大将を任されておいてこの始末、自分で言っていて情けなくなってくる。
それでもめげずに話に加わろうとする男の姿には、そこはかとない哀愁が漂っていた。
「……お二方。壁については私は専門外ゆえ口出ししなかったが、名目上とはいえ今の総大将は私なのだ。あの壁で何ができるのか、どこが限界なのか、仔細といわずとも大まかには伝えていただきたい。得体のしれないものに命を預けるなど兵たちの士気にかかわる」
「アホめ、知らんのはお主だけじゃ。兵たちにはキジャールたちがきっちり教え込んどるわい」
「ごっふ」
「すまんなぁ、いちいち説明するのが面倒でのう」
口さがないガルサスの罵声に意識が遠くなる。よろめいたオスヴァルトを憐みを籠めた瞳で見つめ、ギムリンが言った。そんな彼の口にする慰めの言葉も相当にひどいものだったが。
「……ならとにかく、南の守りで何をするつもりだったのか教えていただきたい。あそこだけ弓も壁も不自然に薄い。何を引きつける気でいた?」
「知らん。あっちの仕掛けはこの黒いのの仕事じゃ」
ぶっきらぼうに白髭のドワーフが答えた。それにギムリンは肩をすくめて、
「いやまぁ……相手も乗ってこんようじゃし、どや顔で説明するのもあれじゃろ?」
「いいから言わんか。何か使えるものもあるかもしれん、それに貴様が勝手に使った資材も馬鹿にならんのだぞ」
「ううむ……」
仕方ないなぁ、と言わんばかりに渋々と肩を落とすと、ギムリンは重々しく口を開いた。
「――インプを潰すのに使った飛礫なんじゃがな。あれ、砂利でなく鉛の飛礫での」
「わざわざ無理言って用意させたアレか。石ならセメントの余りが大量にあるというのにと連中ぼやいとったぞ」
「うむ……で、鉛は融点が低いじゃろ。適当にインプを殺して、業を煮やした魔族がガーゴイルを南にけしかけてくるところで着火、というのを……」
「煮えたぎった鉛の堀か。発想は面白いが着火が出来まい。油や松明を投げつけたら燃えるものでもないのだぞ」
「うむ……で、それをどうにかするためなんじゃが――」
ぼう、と青白い光が浮かぶ。
もったいぶった仕草で黒髭のドワーフが取り出したのは、厳重に封のされた陶器の壺だった。
「――ここに、作り置きのテルミットがあります」
「貴様ァ! 人が生きるか死ぬかの時に何作っとる!?」
一晩寝かしたカレーを冷蔵庫から取り出すような気軽さのギムリン、ブチ切れるガルサス翁、そして意味のわからず混乱するオスヴァルト。ここに来て世界観ガン無視のオーパーツ登場に原住民も怒りを隠せない。
「貴様言ったな? 発展には順序があると! 火薬はまず黒色火薬から始めて順々に段階を上げていくのだと。儂らがセルロース火薬を作ろうとしたときに言ったではないか! それが何でこんなものを作っとる!?」
「仕方ないじゃろ! ボーキ鉱が半島にあるだなんてドワーフ連中が騒ぐまで儂知らんかったもん! ボーキサイトの原石なんて現代人が見る機会なんてないもん! あったら作りたくなるじゃろテルミット! だって男の浪漫じゃもん!」
「駄々っ子ぶるな!」
「儂は悪くねえっ、儂は悪くぬぇっ! そもそもアルマイトソードなんてゲテモン作ってる種族に非難されるいわれはないわ!」
「言ったな貴様! あれはあくまで試行錯誤の副産物だと説明したじゃろうが!」
「大体なぁ! ジャングルで飛行機の残骸使って爆薬作る十四歳がおるんじゃぞ。ボーキからテルミット作るドワーフがいて何が悪い!? 儂だってガバラ爆殺したい! 小美人どこ!?」
「ガバラって何じゃ!? ええい訳のわからんことを次々とのたまう……!」
胸ぐらを掴みあい喧々囂々と怒鳴り合うドワーフふたり。どっと疲れの出たオスヴァルトは肩を落として嘆息した。
「……つまり、対策はあると」
「予定とは変わったが使い道はある。これで行くしかあるまい」
打って変わって粛然とした表情でギムリンが頷く。
「金属はテルミットで溶ける……これ、小学生レベルの常識じゃな」
そんな小学生いてたまるか――そう突っ込めるプレイヤーは、ここにはいない。




