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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
雪山を行く狼連れの傭兵
44/494

災害マニュアルは役立たず

 幸いなことに、偏西風が噴煙を東の海に押し出したため、半島全体で見ると火山灰の被害は限定的だったという。

 だがそれだけで済んだとは思えない。遠く離れた廃棄村でも、いくつかの建付けの甘い家屋が倒壊し数人の怪我人が出た。火山により近い北方の領都や周辺の村々では相当の被害が出ているはずだ。


 ――ああそうそう。不思議なことに津波被害は発生しなかった。

 うちの村は海沿いで、山から戻った時には何もかも押し流されている覚悟をしていたというのに、そこにいたのは地揺れでパニックを起こしている住人と、津波が来るぞ高台に逃げろと周囲を扇動しているドワーフが一人。憐れな。

 本来正しい対応をしたはずの爺さんに向けられる白い眼に、不覚にも同情心が湧き起こった。今後爺さんが狼少年扱いされないことを祈ろう。


 ……いやほんと、あの揺れでどうして津波が来なかったのかねぇ? 謎は深まる一方である。


 火山から遠い廃棄村でも少量の灰は降る。地震が治まれば村人総出で灰を片付ける作業だ。口元に布を巻き付けて箒を手に、体中を真っ白にして火山灰を海に掃き出していく。

 ただでさえ塩害気味で作物が育たない村だ。百姓たちは親の仇でも殴るかのような箒捌きを披露していた。ちなみに俺は集めた灰が風で舞い上がらないよう水を撒く係である。


 そして噴火が治まって五日後のことである。村に役人がやってきた。

 護衛を数人連れていて、その堅苦しい服装からして徴税人に類する身分なのだろう。陰険な目はいかにも不機嫌そうで神経質な印象を与える。


「――今回噴火した北方の大火山、それよりもさらに北から、魔物のスタンピードの兆しが見られた」


 村の中心の広場に人を集めて、役人が言った。


「これは今回の噴火と何らかの関係を持っていると思われるが、詳細は不明だ。魔物たちの内訳はオークやトロール、オーガのような人型、スノーベアやスノーサーベルキャットのような雪原に棲む獣型が予想され、すでに少数が南下して領兵と交戦を始めている。……これより辺境伯は準備と訓練を済ませたのち、全領軍をあげてこれを迎撃する」

「なんと……! では我々はどのように動けばよいのでしょうか?」


 長老が恐る恐る問いかけると、役人が答えた。


「何も。奴らの侵攻は領都以北で阻まれる。だからこの村が特別備えることは何もない。今回私はそのことを伝えるために領内を回っている。……何も心配はいらないからいつも通りに過ごせ。ゆめ逃散など考えるな」


 逃散、という言葉に村人の数人がびくりと反応した。特に雑貨屋や長老。そんな彼らを薬師の婆さんが嘲笑うような目つきで見ている。

 ――おいおい初っ端から逃げ腰かよ。タマなんか持ってないと思っちゃいたが、これではあまりにも……


 フード越しにがりがりと頭を掻く。片手を上げて前に出た。村人たちの視線が突き刺さって居心地が悪い。


「――失礼。少々聞きたいことがあるのだが、よろしいかな、お役人」

「君は……」

「この村の猟師でコーラルという。や、田舎者なもので礼儀がなってないのは勘弁願いたく」


 胡散臭いものを見る目に肩をすくめて名を名乗った。役人は不機嫌な様子を隠しもせずに鼻を鳴らした。


「質問は構わない。私は領民の不安を解消するためにここにいるのだからな」

「やー、それはありがたいですな」


 だったらそんな人殺しみたいな目つきで話すなよ、という感想は呑み込んだ。


「……スタンピードを食い止める際の、具体的な作戦内容をお聞きしたい」

「作戦内容、だと?」


 こちらを睨みつける目が鋭さを増した気がした。


「別に、辺境伯様の率いる軍の実力を疑う訳じゃない。さぞかし精強を誇るつわものなんだろうな、とは思いますよ。――ただ私は流れ者で、実際に領兵の皆さんにお目にかかったわけじゃなくてね。色々と不安なのですよ」

「……ふむ、確かにそうじゃな」


 ギムリンが同調してくれた。不安がっている年寄りの体で役人に語り掛ける。


「儂も流れ者じゃが、この半島の竜騎士の評判はよく聞いておる。一騎当千、向かうところ敵なしとな。……それほどの軍兵ならば、こういった事件も日常茶飯事、対処法も定石が出来上がっているというもの。それをお聞きするだけで、安心感もだいぶ変わってくると思うのじゃが」

「…………領都以北の開けた土地に、防衛線を設けてある」


 役人は渋々といった口調で応じた。


「空堀と柵を組み合わせた程度だが、今回はそれで充分だろう。そこに歩兵をこめて南進を迎え撃たせる。まず敵が近づいてきたところを辺境伯率いる竜騎士が空から強襲、ブレスで一撃を与える。そして歩兵が激突し、敵を押しとどめたところで再度竜騎士が空から攻撃。敵後方から焼き払っていく。

 ……今回の南進にワイバーンやグリフォンといった魔物は加わっていない。上空は竜騎士が抑えているのだ。数度も攻撃を繰り返せば脳の足りない魔物も怖気づいて引き返すだろう」

「魔物の規模はどれほどですかな」

「調査中だ。詳しくは不明だが、1万には届かないだろう」

「竜騎士の人数は」

「30騎。うち10騎は伝令や遊撃に用いる」

「歩兵の規模は」

「1500人。我が軍の出せる全軍だ」

「失礼を言うが。その1500人は全員が正規な軍事行動に耐えられる兵ですかな? 街角の警備兵や門兵のような半民兵じみたものでなく?」

「……私は、全軍、といったが」

「……承知した」


 聞きたいことは大体聞いた。これ以上お上を刺激するのはよしておこう。


「――――それと」


 後方に下がろうとする俺に向けて、役人が声をかけてきた。


「私も、魔術兵として前線に出る。何かあれば真っ先に磨り潰される場所だ」


 役人の青白い顔つき。一目でわかるほどくっきりと浮かんだ目の隈に、疲労が滲んでいる。

 ほとんど休みなしで周囲の村々を回っていたのだろう。


「……不安があれば真っ先に上申しているとも。この戦いは、まず間違いなく勝つだろう」

「――それは何より」


 大人しく引き下がった俺に興味を失ったのか、役人は村人たちに大声で通達していた。


「魔物の侵攻により繰り上がる可能性はあるが、作戦は二週間後を予定している。兵の集合と装備の統一、作戦に向けた訓練の余裕を見てだ。

 いいか、この村に魔物が侵攻してくることはない。お前たちは普段通りの生活を――」



   ●



「のうコーラル。おぬしはどう考える?」

「どうって、何が?」


 役人が領都へ引き返し、酒場でバター入りのスープを楽しんでいた頃、ドワーフが話しかけてきた。


 ……ようやくこの村にもバターなんて代物が流通するようになったのだ。もう少し浸らせてくれてもいいだろうに。


「今回のスタンピードじゃよ。やけに食いついていたではないか。何か考えがあってのことじゃろう?」

「考えって、そりゃあ……」


 しばし考える。……この爺さんになら、話したところでそう馬鹿にされることもないか。


「この村に、魔物が向かってくる可能性を考えていた」

「お役人が言うには、来ないように戦うとの話じゃが」

「だろーよ。なにせ迎え撃つのはRPGじゃ最強格のドラゴンナイト様だ。そりゃもう豪快に焼き払ってくれるだろうさ。残党狩りに傭兵でも巡回させておけば、この村まで魔物が来ることなんてありえないね。この戦いは勝ち戦。それに間違いはないよ。

 ――だから、勝ち負けは気にしてないんだ」

「含みのある言い方じゃな。何が言いたい?」

「……歩兵の練度を気にしている」


 鍛冶屋が言っていたのを思い出す。

 ここの軍は竜騎士に力を入れるあまり、歩兵の装備や練度が疎かになっているという。

 それに役人は全軍と言った。最悪、入隊直後の新兵や街道を巡回している警備兵も駆り立てるだろう。

 ……1500人の歩兵とは気軽に集められるものではない。日本の戦国時代で考えるなら一万石に対して集められるのは約200人程度。これは比較的温暖な気候で、稲作という収穫の多い農業を行っていた日本だから可能だったもので、単純にこの世界でも8万石あれば必要数を揃えられるという話ではない。それに一万石につき200人というのも、あくまで軍役に徴用するというだけで実戦要員という訳ではない。

 それと不思議なことにこの世界での軍制は徴兵制ではなく志願制となっている。おまけに兵農分離を推進しているから、中世ヨーロッパ風という割には動員可能な人数が圧倒的に少ないのだ。


 ……まったく、兵農分離とか考えたの絶対プレイヤーだろ。食糧の生産状況を考えて軍制を決めておけというのに。


 北の果ての半島で、穫れる麦も限られるこの領地で、どれほどの人数が正規兵として訓練を受けているのか。

 そういえば、俺はこの半島の大体の大きさすらろくに把握していないな。


 装備も練度も充実していない歩兵部隊。下手すればにわか仕込みの半一般人も混じるかもしれない。

 そんな軍で最大五倍以上の敵を押しとどめる?

 竜騎士の火力があれば不可能ではないだろうが……


「……仮に、もし仮にだ。防衛線の弱いところを、纏まった数が突き破ったら? 竜騎士の攻撃で敵が崩れる前に、こちらの守りが破られたら?」

「守りの敗れたところに魔物が殺到するじゃろうな。……しかし、そんな知能が魔物にあればの話じゃ」

「俺の知り合いの狼は話せなくとも人語を解するみたいだがね」

「そんな例外と一緒にするでないわ。それにたとえ討ち漏らした魔物が領内に入ってきても、そこいらを徘徊しとる傭兵たちが嬉々として襲い掛かろう。こんな領地の奥深くに迷い込むはぐれなど、格好の稼ぎ首にしか見えんからな」

「そうだよな。うん、その通りだ。……あーあ、爺さんに正論食らうとは、俺も耄碌したかねぇ?」


 なんじゃとう! といきり立つドワーフを尻目に、手元のスープを一気に飲み干す。

 ――バター入りのスープ。ようやくここでもできるようになった贅沢の味だというのに、どうにも気分が晴れない。



 ――ミサイルも、砲撃も、空爆も、宇宙から降るレーザーも。たとえ映画じみたロボットが活躍したとしても、それだけで戦の趨勢が決まるわけではない。戦場を踏み固めるのは、いつだって軍靴の仕事だ。


 ……あぁ、忌々しい。またあの上司の言葉を思い出してしまった。


 歩兵だ。

 この戦い、歩兵が鍵を握るだろう。

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