ヴィルヘルム・ノイマンという男
ノイマン家は、竜騎士としては比較的歴史の浅い家系である。
竜騎士として正式に家を立てたのがおよそ百五十年ほど昔の話。それ以降半島では新たな家が起きたことがなく、実は比較的どころでなく最新とすらいえる家柄だ。
問答無用で新参の竜騎士。本来ならば他の竜騎士の誰もから家格を下に見られて軽んじられるのが常である。しかし、このノイマン家は例外だった。
その理由は、かの一族の興り方を所以としていた。
コロンビア半島を辺境伯家が治めるようになってから三百年余り。以来二十を超える竜騎士家を輩出してきたが、その大半が赤竜ラースとの契約の延長によるもの。すなわち、ラースの子孫及び連枝との契約を軸にしてきた。
血筋に基づいた契約である。それは元来気難しい気性のドラゴンたちの関心を買うに足るものであり、竜騎士のハードルを大いに下げる要素となっていた。
ありていに言えば、ラースの血縁に限れば竜騎士は容易に契約が叶う環境が整っていたのである。
そんな中、第六紀の終わりに登場し立身をなしたヴィルヘルム家の家祖であるが、彼はなんと赤竜の加護を受けず単身火山のドラゴンに挑み、見事勝利し実力を認められた経緯を持つ。
ある意味真っ当で正式な契約であるが、縁故採用じみた叙爵が常態化していた半島で、新たな竜騎士誕生の報は少なからず衝撃をもって迎えられた。
彼は無名の騎士だったという。大陸各地を放浪し武者修行に明け暮れていた、家柄も定かではない一介の戦士。
流れ着いた半島で竜騎士を志し、火山での三日三晩の大立ち回りを経て現在の騎竜ベグラーベンに打ち克った。武勇をもって騎士位に昇ったノイマンの家祖の逸話は、半島の吟遊詩人たちの知る人ぞ知る詩歌となっている。
本来半島にしがらみのない、辺境伯の類縁でもない彼がなぜ半島に留まり、辺境伯家に仕えたのか。その理由は現在に伝わっていない。
現当主ヴィルヘルムも黙して語らず、真相は闇の中に潜んだままである。
ただ一つ言えるのは――――百五十年前から、ノイマン家は尚武の家であるということ。
寡黙に、冷徹に、そして果断に。
言葉を飾ることを好まず、本心を腹のうちに隠しきり、ただ己の武辺をもってノイマン家は身を立てつづけた。それはヴィルヘルムも同様だった。
ドラゴンという隔絶した武力を与えられ、増長し発言力を強めていく辺境伯家竜騎士の中にあって、彼らの気風は異様に映ってすらいた。
口さがない者は言うだろう――なにが尚武のノイマン家か。辺境伯麾下、武闘派筆頭はミーディスだったではないか。
先の負け戦にも連れられず、おめおめと主君の戦死に立ち会うこともできなかった人間が、どうして武勇を誇れるというのか――と。
しかしそんな讒言をヴィルヘルムは黙殺する。陰険に口を弄するのはベグラーベンに理解のない物知らずであると一笑に付し、取り合おうともしなかった。
――事実、彼の騎竜を一目でも見たものは、あの戦いに間に合わなかったことを決して責めないだろう。
勇猛さをもってして辺境伯に仕えた代々のノイマン家当主。その一人であるヴィルヘルムは、今まさに主君へと矛先を向けようとしていた。
●
先陣が崩れようとしている。
イアン・ハイドゥク率いる敵先陣が前から、百人からなる敵右翼が左から、そして見る間に戦場を駆けまわり込んだ猟兵達が背後から襲いかかり、同盟側の先陣は瓦解寸前にまで追い込まれている。
同盟側右翼は『鋼角の鹿』副団長率いる敵左翼に攻め立てられ身動きが取れず救援が間に合わない。竜騎士たちは上空にて敵竜騎士や鷲獅子騎兵に翻弄され、地上の援護どころではないようだ。
そして、同盟側本陣では動揺が広がっている。
思いもよらぬ敵の航空戦力、緒戦で墜ちたユリウス・メルクル、壊走した左翼歩兵、そして目の前で防戦一方に追いやられている先陣を見れば、元々戦意の低い農兵の士気が挫けるのもまた道理といえた。
前に出る勇気がないのだろう。こちらに背を向け先陣に猛烈な射撃を加える猟兵達。彼らが瞬く間にメルクルの私兵を吹き飛ばしたさまをまざまざと見せつけられたのだ。たとえ本陣の兵があれを背後から撃とうと寄せたところで、反転した彼らの射撃で少なからず被害が出るのは容易に想像がついた。怖気づくのも無理はない。
旧ベッケンバウアー領の農民で構成された本陣からは、一戦もしないうちから早くも尻込みする気配が見受けられた。
それを、後陣に控える一人の竜騎士は静かな瞳で見据えていた。
「……崩れるな」
「時間の問題かと」
端的に呟いた男――ヴィルヘルムの台詞に、傍らにいた従者がすかさず頷く。ノイマン家の歩兵副将を担う男の口調には、当然の結果を当然のように受け止める粛然さが滲み出ている。
「まさか、竜騎士が降下する間もなくとは」
「意表を突かれたのでしょう。歩兵が歩兵を堰き止め、竜騎士が焼き払う――ベッケンバウアー卿は、既存の戦術に拘る性質のようですので。ああも迅速に乱戦に持ち込まれては……」
「崩れた兵はどこに逃げると思う?」
「我らの方角にでしょう。敵と逆方向でちょうど下り坂で足も軽い。距離を取れば丘の影が射撃を阻んでくれる。――何より、弱兵の逃走先など真後ろ以外にありません」
「では――――支えねばならんな」
立ち上がった主人の姿を、壮年の従者は感情の窺えない瞳で見定めた。
装飾の少ない甲冑、兜は被らず鉢金のみを額につけ、手には大身の槍を携えている。濃い焦げ茶色の髪は短く刈り込まれ、その険しい顔つきを彩っていた。
これでまだ三十の半ばにもならない若さだというのだから、老け顔にもほどがある。
「……難儀なお方だ。わざわざ自ら、苦難の道を選ばれる」
「性分だ、弁えろ」
「謀反の道です。主君へ刃向う汚名を被っておいて、性分で片付けられてはたまりません」
「……私は、最短最善の道を選んだに過ぎない」
溜息とともに断言する。しかし負い目を感じているのか、ヴィルヘルムは視線を合わせようとしなかった。
従者の心中を察したのか、竜騎士は寡黙なりに言葉を重ねる。
「……半島には、猶予が少ない。手段を選んでいられる余裕はないのだ。迅速にことを治め、魔王の脅威へ備えなければならない。――私は、最も勝算のある方についた。それだけだ」
「私情は挟まぬと?」
「あぁ。だが……多少の役得は、期待しているが」
「猟師コーラル。拘られますな」
ヴィルヘルムと因縁のある『客人』は、今まさに目と鼻の先で戦っている。好都合なことにこちらに背を向けて。
主君の意図を察した従者は呆れた表情を隠さない。明け透けな物言いは二十年来で、それに対するヴィルヘルムも慣れたものだった。
「義従兄上の仇敵だ。機会があるならば逃す手はない」
「呆れたお方だ、血が騒ぐと正直に言えばいいものを。――それにしてもまったく、よりにもよって反逆とは。初代様がこれをご覧になれば、さぞお嘆きになったでしょうに」
「いや、案外その手があったかと膝を打って喜ぶかもしれん」
「迂遠に過ぎます。あなた様とは違い豪気な方だったと聞き及んでいますよ」
「ならばなおのことだろう」
これ見よがしに首を振る従者を尻目に、ヴィルヘルムはドラゴンの背に飛び乗った。土色の鱗をしたドラゴンはいよいよ出番を察して喉を鳴らす。
心なしか口元に笑みを浮かべた茶色の竜騎士は、槍を肩に担いで敵陣を睥睨した。
「――さて、後詰めは後詰めらしい仕事をするとしよう。生憎だが傭兵ども、このまま押しきれるなどと思わぬことだ」
傾きかけた戦局の中、異端の竜騎士が咆哮を上げる。




