半島再統一戦争⑩
「――まず第一に、誰でもいいので竜騎士を一人落とすことです」
そう言って、エリス夫人は軽く目を伏せた。
「なかなか難題を言うじゃねえか。竜騎士を倒すために竜騎士を落とせって?」
本末転倒ともいえる夫人の提案にイアンが苦言を呈する。高座に行儀悪く肘をつき、もう片方の手で頭をガリガリと掻いた。
「普通こういうのは、アーデルハイトの嬢ちゃんたち竜騎士に相手してもらって、その隙に歩兵で押しまくるもんじゃないのかよ」
「正攻法でやるならそうでしょう。ですがそれでは被害が無駄にかさばるのですよ、傭兵卿」
「被害だぁ?」
まさか素人同然の農兵軍団に自分たちが遅れを取るとでもいうつもりか。顔をしかめた団長に、エリス夫人は首を振る。
「被害とは味方のそれのみとは限らないのですよ、傭兵卿。あなた方が相手をする敵兵もまた、半島の民であることをお忘れなく。
彼らの多くは常ならぬ徴兵行為によって駆り出された農民に過ぎません。初夏には畑に種を播き、秋に収穫して糧とする……我々の口に糊する麦もまた、彼らの農耕によって生み出されているのです」
「殺し過ぎれば、後々俺たちに響いてくるってか?」
「その通り。ここで彼らを無情に惨殺してしまえば、この乱を治めたとしても先が続きません。あくまでこの戦いは前哨戦、本来の敵は半島の外にいるのですから」
先を見据えて戦略を練ることを夫人は訴えかける。あくまで前座に過ぎないベッケンバウアーに手間をかけ過ぎれば、いずれ力をつけた魔王軍に圧殺される未来が待つのみだと。
しかし、ドラゴンを先んじて叩くとして、それが被害を抑えることに繋がるのだろうか。
竜騎士を仕留めるにせよ歩兵から押し込むにせよ、歩兵規模1.5倍の戦力差は健在である。戦いは数であり、その有利は竜騎士を失った程度では覆らない。
たかがその程度で敵が戦意を失って逃げ散るわけでも――
「いいえ、いいえ。それは違いますよ、傭兵卿。賭けてもいい、たったそれだけで彼らの士気は砕けます」
そう言ってイアンの思考を遮り、夫人は人差し指を立てた。
「……なるほど、閣下の生まれは半島ではありませんでしたね。でしたら彼らの抱える信仰とも呼べる竜騎士への絶対視が理解できないのも道理です。――ですので、えぇ。例え話をしましょう」
雑兵の視界をご存知ですか、とエリス夫人。
イアンはその問いかけに思わず笑った。……これでも傭兵団を立ち上げる前は騎士団に雇われて砂漠の民と相対していた身だ。十年以上経つとはいえその経験はそう簡単に薄れはしない。
「あぁ、知ってるぜ。――前と、両隣りだ。隣の戦友より先の横脇は見えないし、振り返ったところで掲げた槍が群がって後ろも見えない。つまり俺が見えるのは目の前にいる敵だけだ」
「常に先陣を切りたがる傭兵卿ならではの答えです。軍の中心にいる者なら前すら見えなくなるものですが……それはまた別の話でしょう。
さて、ここで本題ですが――――半島の兵はそれ以外にももう一つ、視界を持っています」
にこり、と微笑みを浮かべて夫人は天井を指差した。
「……天井……いや、空?」
「ドラゴンです。正確には、自らの上空から襲来する竜騎士を。舞い降りて眼前の敵を焼き払う彼らに備え、兵は常に視界の端に竜騎士を収めています」
兵にとってドラゴンとは、前線を巻き添えにする恐怖の象徴であると同時に、一度火を噴けば必ず敵を滅殺する勝利の象徴でもある。
ゆえに彼らは常にドラゴンを目で追ってしまう。彼らが健在ならば敗北は無いと知るがために。彼らの敗北を目撃したことがないために。
――では、その彼らが落とされる瞬間をまざまざと見せつけられた場合、兵たちは何を感じ取るというのか。
●
「メルクルが……!」
水色の騎影が墜ちた光景を目にし、信じ難い思いでハービヒが呻いた。
本来なら手薄な敵右翼に真っ先に接近し、第一の戦果を挙げるはずだったユリウス・メルクル。そんな彼がまさか初めに落とされるなどと、一体誰に想像できようか。
まして彼を落とした相手は竜騎士でも何でもないグリフォンの騎乗兵。ドラゴンと比してふた回り以上も矮小な半獣半鳥に言いように翻弄されるなど、想定外にもほどがある。
「おのれ、傭兵が……!」
歯噛みしながらもハービヒには手も足も出しようがない。メルクルが落とされた敵右翼にはそれなりに距離がある。そのうえ上空にはあのグリフォンどもが飛び回り、今もなおベッケンバウアーとディカーに取り付こうとしているのだ。
ドラゴンの爪とブレスを身軽に躱し、執拗に背中の竜騎士のみを狙おうとする鷲獅子の騎兵。二人の竜騎士はそれに手を取られて地上に注意を向けられないでいた。
――――そして、肝心の自分自身は。
「ぐ……!?」
唐突に身を襲う痺れるような悪寒。咄嗟に身を反らしたハービヒの肩のあった場所を火球が通り過ぎていった。直撃を避けたとはいえ軌道に残る熱気が鎧越しに伝わり、兜の中が茹だりそうになる。
慌てて首を捻じり敵を振り返れば、身を翻し背中をこちらに向ける翠色のドラゴンの姿があった。
――――アーデルハイト・ロイター。
ロイター家の竜騎士。ハルト・ロイターの一人娘。魔法に対して際立った才能を示すという若手の女騎士。
所詮は若手と侮っていなかったと言えば嘘になるが、騎乗においてここまでの実力を示すとは思わなかった。
当たらない。近寄らせない。背中につかせない。
ひらりひらりと身を翻し、高度の緩急をつけてこちらを翻弄しにかかるさまはドラゴンの巨体を感じさせないほど。ブレスを撃ち込もうにも射線を見切られているのか常に死角に回り込まれ、これまで三発放って掠りもしなかった。
対してあちらは背中に目でもつけているのか、的確にこちらの軌道を予想してブレスを置いてくる。これまでハービヒ側の被弾は二発、至近を掠めたのが三発にのぼる。いまだ墜ちていないのはひとえにドラゴンの鱗の堅牢さによるためだ。
もはや取り繕いようがない。ドラゴン乗りとしてハービヒは、アーデルハイト・ロイターに完全に上を行かれていた。
「――――っ、またか……!」
再びの射撃。人間の頭ほどもある火球が飛来する。またもや竜騎士狙いのそれにハービヒはドラゴンごと蜻蛉を切ってこれを回避した。空転する視界、腹の浮く感触を堪えて体勢を立て直し敵の姿を捉えようとすれば――
消えた。
「ぐ……どこに……!?」
まただ、またやられた。
内心の苛立ちを悪態とともに吐き捨て、首を巡らせて敵の姿を探し求める。騎竜もまた獰猛な唸り声を上げて首を動かしていた。
なぜハービヒが頻繁にアーデルハイトの姿を見失うのか。その理屈を彼が思い知るのはこの直後である。




