半島再統一戦争⑨
ドラゴンが墜ちた。
主君を失い、片翼を潰され、水色の巨体が為す術もなく空でもがく。しかし大空の覇者は翼以外に自らを空に繋ぎとめる術を持たず、地響きを立てて墜落した。
繰り返す。ドラゴンが墜ちた。
その光景は周囲の眼にはどのように映ったであろうか。一騎で戦局を覆しうる暴虐の化身、竜騎士の武威の象徴、半島の君臨者の威容。――そのドラゴンが、鷲獅子を駆る傭兵とエルフの放った矢によって無惨に落とされた。
先の魔王軍との戦いで敗れたといっても、所詮は遠く芸術都市で起きた出来事。土地にしがみつき畑を耕す農民たちにとって実感の湧かない事件である。コロンビア半島の平民にとって、ドラゴンとは依然として絶対的な存在だった。
彼ら農兵が同盟軍として竜騎士の指揮下に入ったのは、その土地を治めんとするものに従ったというのもある。しかし最大の理由は単純な引き算によるところが大きい。
――要するに、よりドラゴンの多い方に勝機があると見込んだのだ。
五騎の竜騎士を同志に迎えるベッケンバウアーに対し、アリシア・ミューゼルの従える竜騎士は四騎。そして肝心の彼女自身は若く経験に乏しく、その立場ゆえに戦場に立つかどうかも危ぶまれる。……ならば状況は五対三、どちらが有利であるかなど赤子にでもわかる計算である。
常識、諦観、あるいは信仰。アレに叶うものはなく、アレをより揃えたほうが勝つという三百年来積み上げてきた固定観念。その頑強さは大義を辺境伯側に奪われても農兵千人を集めたという事実が証明している。
――――そのドラゴンが今、この場で墜ちた。
誰が落としたのか、などということは問題ではない。傭兵たちにどんな豪傑が揃っていようと所詮はヒトの枠を外れない。そんなものに落とせる道理がないのだ、あれは。
ドラゴンと比較すれば子犬も同然の体躯の鷲獅子たち。取るに足らぬ、足元にも及ばぬと一蹴されると考えていた空飛ぶ騎兵に、見るも無残に落とされた。
常識が覆される。神話が崩れる。確信を揺るがされる。
その光景を目の当たりにした『鋼角の鹿』は快哉を上げて意気を新たにした。半島で絶対視されていたドラゴンたち、その観念を覆そうというその端緒に己はいるのだと大いに士気を上げた。
その光景を目の当たりにした農兵たちは震えあがった。気の進まないこの戦いで唯一心の寄る辺にしていた勝利の象徴、その一体が呆気なく失墜したのだ。
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「ハスカァァアァアアアアアル!」
その瞬間、ガインが吼えた。
びりびりと空気が震えるほどの大喝。常の寡黙さなどかなぐり捨て、見開いた目は墜落したドラゴンの元へ。
投げ捨てていた円盾を拾い上げ、片手斧で力任せに打ち鳴らす。耳障りな金属音が鳴り響き、彼の率いる傭兵の鼓膜を破らんばかりに揺さぶった。
「あれを見ろ! あれを見ろ! ドラゴンが墜ちた、傭兵が竜騎士を落としたぞ……!」
湧き上がる昂揚感、今ならば空だって飛べそうなほどの興奮のさなか。
この瞬間を十年以上待ちわびた。下賤の刃は高貴の竜にも届きうるのだと、今まさに証明されたのだ。
数的不利などもはや目の端にもかからない。なぜならば今まさに絶対的不利を覆した騎兵どもが空を舞っているのだから。
「――この日、世界が変わる」
見えているか、団長。聞こえているな、副団長。憶えているな、クソ猟師。
ついてきてよかった、信じてきてよかった、挫けずにここまで来れた。
あの日立ち上がれたのは――――誰のせいだったかは死んでも明かしてやらないが、あの夕日は誰もが心に焼き付けている。
「総員、斧を抜け」
歯を剥き出しにして笑みを浮かべる。快活に、獰猛に。
この日くらいは、笑って戦い、笑って死のう。そう思えるほどの光景だった。
「斧は両手に、盾は背負え。守るのは背中だけで充分だ」
正面にいた敵左翼は逃げ散った。彼らはもはや脅威にならず、ガイン中隊はノーマークとなった。手筈通りに。
左翼上空に展開していた竜騎士は落とした。もはや制空権は同盟側になく拮抗状態である。この状況でドラゴンのブレスが落とされることはない。手筈通りに。
――ならば、やるべきことはただ一つ。
これより我らは敵先陣の側面を突く。一切の守りは不要、求められるのは一撃必殺。深々と斬り込んで反対側に抜けるくらいの打撃力。
いいものが見れたのだ。これくらいの捨て身でなければ、代金としては不足に過ぎよう。
振り返る。背後には百人からなる部下の姿。誰もが戦意に溢れた顔つきで、今にも吼え猛りそうな表情で命令を待っている。
無論、溜めこめさせる理由はない。ガインの大声が轟いた。
「答えろ! 俺たちは何だ!?」
――――ハスカール! ハスカール! 一騎当千、無敗の鹿!
「答えろ! ここは誰の戦場だ!?」
――――ハスカール! ハスカール! 無敵の傭兵、鉄の壁!
「――――結構。ならば走れ傭兵ども! 斬って斬って斬り刻むぞ……ッ!」
ガイン中隊百人の鬨の声が轟いた。盾を打ち鳴らし大声で言葉にならない叫びをあげる。獰猛に、鮮烈に、残虐に。
一片の慈悲も残さず敵を撃滅するのみと咆哮する。
――イアン・ハイドゥク率いる辺境伯軍先陣とぶつかっていた同盟軍シュルツ・ハービヒ率いる農兵部隊。その側面に、ガインたちが獣じみた気迫とともに猛然と斬り込んだ。




