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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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半島再統一戦争⑤

 沈黙がその場に横たわっていた。

 それまで喚声を上げて敵に攻めかかろうとしていた農兵たち、その誰もが言葉を失って自らの背後を振り返っている。

 彼らの視線の先には、整然と列を組み弩弓を構える部隊の姿。


 ユリウス・メルクル配下の私兵は、事実上消滅したといっていい。

 中核となっていた精鋭の八割が死亡、率いていた家令アントンももはやこの世にはない。残った甲冑を纏う私兵は農兵の内に散らばって味方を戦に駆り立てていた末端である。権限など知れたものでしかない。


 僅か一撃、僅か一射。

 突如現れた五十人ばかりの小部隊が、メルクル家の中核を文字通り吹き飛ばした。


「次発、装填」


 猟師が声を発した。その手はいつの間にか紙巻を手挟み、口に咥えて指先から火を灯す。

 猟兵が動いた。弩弓の巻き取り機からワイヤーを引き出し弦にフックを引っかける。魔力に応じて回転機構が唸りを上げ、見る間にクロスボウの弦が引き絞られていった。

 矢筒から取り出したボルトを装填する音が、やけに音高く響く。

 防ごうにも防げない。装填の手際が早過ぎる。クロスボウとは思えない速度で、見たこともない原理で弦を引き矢をつがえる傭兵たち。あんなものに駆け寄って斬りつける暇などあるものか。


「目標、敵残存部隊」


 ヂキ、と金具が軋む音を立てて、一斉にクロスボウが農兵たちに向けられた。五十もの真鍮色のボルトの威力はまさに目の前に転がる私兵たちが示した通りである。盾もなく鎧も纏わない農兵に耐えられる道理はない。

 数秒後の末路を容易に想像した農兵たちが顔色を変える。


「――――あぁ、そういえば」


 吸い込んだ紫煙を吐き出し、猟師が嘯いた。紅いフードから覗く眼光がちらりと左に逸れる。


「森があったな、うん。逃げられる前に殺せるだけ殺しておくか」


 空々しい呟きが、不思議と農兵たちの耳に痛烈に響いた。



   ●



 地面から湧き出た傭兵たちの放つ第二射が農兵どもを無慈悲に吹き飛ばす。わずか二射で部隊の四割以上を失ったアントン家の部隊は、さすがに耐え切れずに壊乱した。

 農兵たちが逃げる。運よく生き残った私兵の上げる制止の声など聞きもしない。悲鳴を上げて自らだけは生き延びようと、周囲を押し退け東にある森へ逃げ込もうと足を急かす。戦いのことなど頭の中から抜け落ちているのが如実に見て取れる光景だった。


 ――その光景を、ユリウス・メルクルはドラゴンの上で目にしていた。


「アントン……!?」


 メルクルは見ていた。自らが襲い掛かる絶好機を待ちかねて、今か今かと上空で旋回し悠然と構えていた。

 数の利はこちらにある。あちらの方が練度が上でも、数に任せて押し込むことくらいはできるだろうと。押し包みひと塊になった時を狙えば、一撃で華麗に歩兵を焼き払うことができるだろうと。


 メルクルは見ていた。アントンは確かに敵を押していた。傭兵どもが東の森に逃げないよう、回り込んで押し包み、敵を確かに防戦一方に押しやっていたのだ。

 このままいけばアリシア・ミューゼルの籠る本陣にもつれ込むかもしれない。そこを狙って火を噴き落とせば大戦果間違いなしだと、今か今かと待ちかねていた。


 メルクルは見ていた。いつの間にか傭兵が地面から生えて来た。雨後の筍のように次々と。

 唐突に現れた傭兵どもは見るからに物々しいクロスボウを構え、振り返ることもできないアントンたちの背中へ向けて――


「おのれ、卑怯な……!」


 逃げ散っていく農兵どもが見える。何と薄情な平民だろう。竜騎士に仕える栄誉を与えられながら、務めを放り出して逃げるなど万死に値する。所詮は寒村から駆り集めた下民ども、肝心な時に頼りにならない。

 頼りになるはずの私兵は――――私兵は、


「ハスカール……ッ!」


 私兵たちは死んだ。取りまとめ役のアントンも、地上に横たわる馬の横で物言わぬ骸となっている。

 百年以上にわたって一族に仕えつづけて来た家来たち。前辺境伯に無理矢理解散させられ、何年も辛酸を舐め続け、それでも蜂起したメルクルの元へ集った忠義の士たち。


 根こそぎ奪われた。メルクル家を表す、今や数少なくなってしまったユリウスの宝が。


「ハスカァアアアアァアアル――――ッ!」


 ――ォォォォオォオオオォオオオオ……!


 憎悪のままに絶叫を上げる。主人の激情に応えるようにドラゴンも咆哮を上げた。

 膝を締め上げ竜に意志を伝える――狙いは敵傭兵、あの分不相応な弩弓を持った身の程知らずの猟師ども。


「殺せェ! 何もかも! 望みのままに焼き尽くしてやる……!」


 もはやなりふり構っていられる場合でもない。……メルクルの心の中の冷静な部分がそう分析していた。

 傭兵ども相手になすすべなく配下が壊走させられたとなれば、メルクルの立つ瀬などどこにある。

 今おのれにできるのは、アントンたちの死によって空いた穴を埋め、それ以上の功績を上げること。――すなわち、あの部隊を焼き殺したうえで、ドラゴンのみで本陣へ攻め上がる。


 一撃、一撃でいい。あの忌々しい猟師を焼き殺したあと、一撃だけ本陣に火を噴きかける。アリシア・ミューゼルを討つ必要はない、あの赤竜ラースと交戦することもない。歩兵の一人でも殺せれば、それだけで本陣に到達したと箔がつく。

 それだけやれば、この失態もどうにか挽回が叶うはず……!


 心の猛るままメルクルはドラゴンを駆り立てた。右手に剣を抜き放ち、左手の指先を鍔元に添える。拍動する魔力が指先から剣へと伝わり、鍔にはめ込まれた紅玉の変換を受けて刀身が炎を噴き上げた。

 持ち主の意を示すように剣は燃え盛り、轟々と灼ける炎の音に耳鳴りすら誘われる――



 ――否。

 これは耳鳴りなどではない。



「…………?」


 鼓膜を微かに振るわせる甲高い音。谷の間、林のあいだを駆け抜ける風のような。

 ――それが猛禽の上げる嘶きだと気付いたときには、全てが遅かった。


 メルクルの視界に影が差す。雲は出ていないはずなのに、何かに遮られて陽が翳った。

 その影は、無数のグリフォンの形をしていた。

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