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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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半島再統一戦争③

 ユリウス・メルクル配下、同盟軍左翼の歩兵が歩を進める。前方に立ち塞がるのは独立歩兵大隊中隊長のひとり『禿頭』のガイン。目立った武功はあまりないが、イアン・ハイドゥクの旗揚げの頃より付き従ってきた古参中の古参だという。

 得手は片手剣と盾を用いた堅実な手口であり、勇猛に前に出るよりも着実に押し進む戦いを好む。麾下の歩兵たちもどちらかというと守勢に向き――


「だから何だというのだ。いかに優れた歩兵であろうと、焼き払えば終いではないか」


 そう言ってメルクルは家臣の報告を脇に退けた。


「歩兵が空を飛ぶか? 火を噴くか? 馬鹿馬鹿しい。空の覇者が地を合う毛虫の違いに注意を払うものか。我らが警戒するべきは、奴らの装備にドラゴンを撃ち落とす兵器があるか否か。その辺りはどうなのだ」

「は……物見の報せによれば、敵兵にバリスタなどの装備は見当たらないとのこと。……『鋼角の鹿』の中には強力なクロスボウを用いる隊もあると聞きますが、見受けられません」


 ならばよし、とメルクルは青い巻き髪を掻き上げて頷いた。……もっとも、バリスタなどがあったとしても馬鹿正直に当たってやるほど親切ではない。鈍重な攻城兵器がいかに照準しようと、余裕を持って躱してみせよう。


「頼むぞアントン。ロイター卿やハータイネン卿はヨラとハービヒが引き受けるそうだ。私とディカーが敵右翼を叩く。あの貧相な歩兵を押し留めるのが貴様の役割だ。農民どもに逃げられないよう、上手く追い立てよ」

「ははっ、腕が鳴りますな」


 言って、鎧姿のアントンは朗らかに笑ってみせた。普段は家令として屋敷を取り仕切る男だが、竜騎士に私兵が許されていた頃は歩兵を率いていた。久々の戦場だが二倍も戦力差があるのだ、多少の空白など問題にもなるまい。


 ――歩兵弱卒で知られる半島兵。しかし竜騎士の私兵、それも中核をなす親衛隊は精鋭と言って過言ではない。彼らは歩兵であり戦場では常に主君である竜騎士に敵ごと焼き払われる危険を背負う。でありながら数度の戦場を経験し、生き延びた上で精鋭と称されるのには理由があった。

 難しい話ではない。要は、彼らの剣が敵の血に濡れたことが数えるほどしかなかったというだけの話だ。


「あまり派手に燃やさないでいただけますかな。以前のスタンピードの際、目の前を焼かれたせいで眉に痕が残りまして」

「善処はしよう。精々身の回りを固めておくのだな」


 軽い調子でやり合い、メルクルは今度こそドラゴンで飛び立った。

 敗北は無い――負けようのない戦いならば、あとは工夫を凝らして焼くとしよう。



   ●



 戦端を切ったのは予定通り、アントン率いるメルクル家私兵と、ガイン率いる辺境伯軍右翼だった。

 真鍮色の盾を構え前進するガイン隊に対し、アントンはその右手に回り込む形で迫った。狙いは戦場の東にある小さな林に逃げ込ませないため。まずは逃げ道を塞いだうえで、数の有利を活かして押し包むように攻めかかる算段だった。


 数の利はアントン側にある。貧弱な装備に対し良質な武具、しかしその差は兵士に二倍の働きを与えるものではない。ひとりの農兵がピッチフォークを突きつけ、それを傭兵が盾で防ぐうちにもう一人の農兵が守りの隙間を突けばいい。


「かかれ! かかれ! 一人死ぬ間に一人殺せば、最後は我らの勝ちぞ!」


 鹿毛の馬に跨り、槍を振りかざしてアントンが叫んだ。選ぶ戦術はただ一つ、農兵を前面に押し出しての消耗戦である。練度の低い下民の兵など所詮その程度にしか使えない。もとより敵ごと焼き殺す味方に訓練を課す意味などないのだから。


 ――ガン、ガン、ガン、と派手な音が鳴り響く。


 農兵の持つ武器が奴らの持つ盾を打ち鳴らす音だ。見た目ばかりがキラキラしい真鍮色の円盾。主君に従い登城した際、領城で奴らがあれを誇らしげに背負っているところを見るたびに不快感が込み上げてきたものだ。

 平民はあの盾を背負う奴らを見て亀鹿と呼ぶ。なるほど、見るからに鈍重で頭の悪そうな傭兵にぴったりではないか。


 なんだというのだ、薄汚い傭兵が。

 たかだか傭兵、ただの歩兵の分際で、まるで竜騎士と同等とでも言いたいかのように半島にのさばる。その存在全てが癪に障る。

 歩兵がどうして成り上がれる。どうして重んじられる。お前たちがそうやって上に登って行けるというのなら、下に留まるしかなかった自分はなんだというのだ。


「死ね! 私に続け……!」


 盾を並べ、守りを固めている個所があった。そこを起点に固めていくつもりか。

 そうはさせない。アントンは乗騎の腹を蹴りつけて単騎乗り入れた。渾身の突きが円盾にぶち当たり、呻いた傭兵が後ずさる。そうして綻びの出た敵陣列を馬体ごとぶつかるようにしてさらに崩す。


「攻めよ! 攻めよ! この程度、メルクル閣下の出る幕もないわ! 押し込み突き殺せ……!」

「く……後退……っ!」


 たまらず怯んだ傭兵が叫ぶ声。誰が叫んだのかはわからない。傭兵どもは誰も彼もが似たような装いで、派手に着飾るということがない。指揮官が見分けづらいのだ。

 ひとりだけ地味な茶色の革鎧を纏う男が前に出てくるのが見えた。男は円盾と同色の斧を手に歩を進めると、図らずも突出していた農兵を一閃。無造作に頭蓋骨を砕き絶命させる。


「一旦下がり、陣形を立て直せ……!」

「させるな、攻めたてろ!」


 バカン! と異様な音を立てて地面を蹴り、アントンの騎馬が棹立ちになった。

 高くなる視界、広がった視野の向こうでは、傭兵たちが背中を向けて走り去り離れた場所で陣形を組み直すため集結しようとしている。

 農兵を叱咤するアントンの姿に恐れを抱いたのか、敵指揮官らしき斧の傭兵は目を細めると無言で後ずさった。


「押しているぞ! 攻め手を休めるな!」

「ちィ……ッ!」


 未完成の陣に攻めかかろうとするアントンたちと、食い止めようとする傭兵たち。一人、また一人と櫛の歯が欠けるように農兵を妨げる傭兵が減っていく。士気が砕けたか、みっともなく背中を晒して陣へと逃げようとするさまは笑いすら誘った。投石を命じたが、目端が利くのか傭兵どもは背中に盾を背負って器用に投石を防いでいた。

 最後まで残っていたのはやはりあの男。しかし多勢に無勢だ。よほどの手練れなのか、四人一斉にかかった突きを盾で受けると、逆に恐るべき怪力で農兵を吹き飛ばしてみせた。


「……潮時か……」

「殺せ……!」


 逃げた。とうとう逃げた。

 敵指揮官が這う這うの体で後方へ駆けだしていく。よほど怖気づいたのか盾まで放り投げるという無様さ。身軽になったぶん足も軽くなったか、みるみるこちらとの距離を離していった。


 だからどうしたというのだ。まさに追撃の絶好機だ。

 敵は半壊、逃げる先で盾を構えシールドウォールらしきものを敷いているが、そんなものは勢いに任せて蹴散らしてくれる。農兵どもは意気軒昂、名高い傭兵を相手に優勢に進めているという事実が味方に勢いを与えていた。


 意気揚々と農兵に追撃を命じ、後方に温存していた親衛隊たちにも突撃を命じる。このままひと息に踏み潰せば、わざわざ主君のドラゴンに頼るまでもない。

 喚声を上げて走り出す私兵たちを見送ったアントンは高揚した気分で背後を振り返った。背後の空には主君の青みがかったドラゴンの影。出番を待って悠然と旋回する様はさながら大空の覇者のごとく。


 振り返った地面には死体が広がっていた。粗末な装備を身体の端に引っ掛けた農兵たち、傭兵たちの死体は思ったよりも少なく――――否。



 無い。



「どこだ……?」


 何かがおかしい。何かが噛み合っていない。

 どうしてこうも容易く押し込める。どうして奴らは簡単に逃げ散る。

 どうして奴らはああやって陣を組み直せる。まるで最初から仕込んでいたかのような手際ではないか。

 どうして奴らの死体が見当たらない。いくつかは見つけられるが、怖気づいて逃げた傭兵が残す死体にしてはあまりにも少なくないか。


 目まぐるしく回転する思考、悪酔いでもしたような感覚が言いようもない焦燥感を生み出す。何かがまずいと頭の中で割れ鐘のように警鐘が鳴り響き、アントンは呆然と周囲を見渡して、



 ――視界の端に、何かが蠢いた。



「あ――――?」


 後ろだ。最初に傭兵たちが布陣していた位置。アントンたちが踏み躙り通過した場所。

 農兵たちの死体がまばらに散らばるほかは、何もないはずの場所。

 そこに、



「――――オン」



 雪のように白い体毛の狼が、のそりと身を起こしていた。

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