名もなき港町にて③
「混成部隊というのは厄介でのう」
白髪のドワーフが言った。手拭いを口まわりに巻きつけ、くぐもった息を受けて布がひらひらとはためく。
「古くから三科編成ともいうじゃろう、あれじゃよ。訓練や備品管理は兵科を統一している方がやりやすいが、いざ運用するなら統合して用いたほうが良いという理屈じゃ」
「近世の軍事の基本じゃな。コーラルも何度か話題にしとった」
黒髪のドワーフが相槌を打つ。三科編成――すなわち、歩兵、騎兵、砲兵の三種類を併せて運用するのがもっとのバランスが良いのだと。
ギムリンは物見窓を全開にして少しでも風通しを良くし、塔の中に入り込んだ悪臭をどうにかしようと悪戦苦闘している。
「騎兵は砲兵を蹴散らし、砲兵は歩兵を吹き飛ばし、歩兵は騎兵を食い止める。見事な三竦みだのう」
「奴はこうも言っとったな。砲兵を活かせるかどうかは歩兵の練度による、と」
「そりゃそうじゃろ。砲に弱いというのは歩兵が身を寄せ合っとるからじゃ。散らばってバラバラに攻められたら狙いようもない。……逆に、それだと騎兵に轢き殺されるのじゃが」
陣形がどうだとか槍衾がこうだとか、勝手に軍事談義を始める二人のドワーフ。話に置いて行かれたオスヴァルトがつい口を挟んだ。
「……ホウヘイというのがわからない。王都の魔導兵のようなものだろうか」
「近い。もっとも、砲は魔法ほどに融通が利かんのが玉に瑕だがの」
オスヴァルトの疑問にガルサスが答える。王国魔導兵は戦地において陣地に籠り、長距離術式を打ち込むことで知られている。とはいえそれを行うには綿密な測定と計算が必要で、算出が終わったとしても敵がその場に留まっているとも限らない。目標の敵に当たるかどうかは運試しになってしまうのだが。
運用の難しく、用いるにも魔法に才を持つ人材が大量に必要な面倒な戦術――それがオスヴァルトの魔導兵に対する認識だった。
「まったくもってその通り。砲も似たようなもんじゃよ、移動は鈍亀、向きを変えるだけでも一苦労。逃げるときは真っ先に打ち捨てられる厄介者よ」
「馬鹿みたいに火薬を食うしのう。戦術に組み込めるまで導入したら破産待ったなしじゃ」
「量が揃えば敵なしなのだがな……地下王国が懐かしいわ。あそこなら大砲なんぞダース単位で完備しとった。あんな防壁なぞむしろ照準の邪魔まである」
いまだ悲鳴の木霊する戦場を眺め、遠い目をしてぼやくガルサス翁。それほど故郷が懐かしいのか。
「――まぁ、とにかく。兵科というのは複数を混成し有機的に連携させてやれば、何倍もの力量を発する。それは三科でなくとも同じ事じゃ」
「魔族軍のことか?」
「然り。見よ、あの軍を。雑兵にインプ、盾役にガーゴイル、小部隊の統率にデーモン。そこそこにバランスのとれた編成だとは思わんか」
「それは……確かに」
「あー、ガーゴイルが厄介だの。インプが完全に身体の陰に隠れられる。こちらからの矢はガーゴイルに弾かれるし。ちょっとした盾付きのデサントみたいなもんかの」
「うむ。でさんと、とやらは知らんがそれであっとる。というわけで――――あれを引き剥がすとする」
改めて窓から敵軍を見下ろす。防壁の向こう側、雪壁の残骸跡で騒ぐ魔族軍の動向は、なるほど大きく三通りに分かれていた。
一つはデーモン。初めはあの果実の悪臭に苦悶したものの、臭いに慣れたのか踏みとどまるものが大多数だ。山羊の嗅覚では相当に苦しいだろうに、周囲の魔物を統率しようとやかましくいなないている。
もう一つはガーゴイル。青銅の獣は嗅覚をもたず、よって果実の影響を受けずに防壁へと突撃をしかけていた。碌に知性も持たないのか、陣形など一切保たず思い思いに堀へ飛び降り壁に取り付こうとする。壁の上に控えていた守兵に頭上から岩を落とされ転落していくものも多い。
そして最後に、身の丈人間の半分ほどのインプが――
「……逃げた?」
「否。あれは回り込もうとしておるのじゃ、姑息にもな」
いったい誰が計らったのか。魔族軍の半数以上を占めていた小悪魔は、悪臭を避けるために雪壁跡を大きく迂回して回り込もうとしていた。聞くに堪えない甲高い奇声を上げ、蝙蝠の翼をせわしなく動かして群れる姿は遠目には雲霞の群れにすら見える。
港町の北は内海に面している。必然インプたちは防壁を南へと回り込み、臭いの届かないところから攻めるつもりなのだろう。
「馬鹿な、南は守りを薄くしていいとのことだったはずだろう。あれでは――」
「構わん。むしろジャンジャン寄せて来い」
オスヴァルトの焦る声をガルサスが遮った。
……戦力の乏しいこの状況では、兵を西に集めて備えさせるほかなかった。主戦場は雪壁跡地になるとの予想だったからだ。南は申し訳程度に壁を盛っているが、西のような仕込みをする間などなかったはず。
「安心せい、計算は完璧よ」
ギムリンが唸るような声を上げる。
「獣の考えることなどお見通しじゃ。獣のように馬鹿な人間を相手にするようなものよ。――前は悪臭、先は固い壁。回り込んでみれば南側の防壁は明らかに適当な造り、守りの人間もどうにも少ない。これは好機――――そう思うじゃろう?」
インプどもが壁に迫る。守兵は懸命に矢を射かけているようだが、七百近い軍勢に対し守兵は百人が精々。思いのほか素早く動く小悪魔のこともあって、まともな戦果を挙げられていない。
「敢えて壁は低く積んだ。ただのハッタリ。見せ札じゃよ、あれは。――本命はその手前、広めに掘った堀にある」
インプが堀に飛び込んだ。翼は跳躍の補助に用いるのが精々で飛行には向かない。一旦堀の底を駆け抜けて壁をよじ登ろうという魂胆なのだろう。
汚らしく顔を歪めて堀に着地したインプは――――ずぼり、とその足を膝まで泥に埋め込ませた。
「溶けかけた雪と泥。土魔法使いがおれば、泥粘土のごときぬかるみを作るなど造作もない」
「そうじゃ、そればかりは納得いかん! 何故ドワーフが魔法なんぞ使えるのじゃ。科学厨なら科学厨らしく電気とスチームで勝負せい! あれだと世界観間違っとらんか!?」
「『客人』の癖に固定観念にとらわれ過ぎなんじゃ貴様は! 魔法の使えるドワーフがいないなど誰が言った。適性があるなら伸ばすのが常識じゃろ!」
「浪漫がない! 面白味がない!」
「馬鹿め、勘違いしとるようじゃが言っとくぞ。そもそも儂らの鍛える合金は立派な魔法金属よ! ミスリルを上回らんがため、先達が編み出した鍛冶の秘術。鋼鉄と黄金に硫黄と水銀その他もろもろの宝石類を混ぜ込みルーンを刻んだ炉にて加熱する! 重く、鋭く、そして堅牢なこの合金こそが――」
自慢げに胸を張るガルサスにギムリンが茶々を入れ、とうとう本格的な口喧嘩に発展し始めた。状況を理解しているのかいないのか、しまいには掴みあいの喧嘩にまで。
「お二方……」
「なんちゃって科学趣味者! 技術大国が笑わせる!」
「錬金も刻印も立派な科学よ! 貴様の常識をこの世界に押し付けるな!」
そうこうしている間にインプが迫る。次々と堀に飛び込み、泥から抜け切れずにもがく仲間の頭を踏み越えて進もうとし、やはり途中で泥に捕まって足を取られる。
もう七割近くが堀に攻めよった。インプの生きた身体で埋め立てられるぬかるみの堀、無事なインプはまだ数百は残っているというのに。
――そして今、後方のインプの一団が堀に飛び降り、仲間の身体を足掛かりに軽々と堀を抜けようと――
「ギムリン殿、ガルサス殿!」
「――こういう時、どんな台詞がふさわしいか知っとるか……!?」
「舐めるな似非ドワーフ! 儂こそ大陸唯一の火器保有国出身者よ!」
まだ諍っている。遠く耳に響くのは誰かが放った鏑矢の音。なんの合図なのか、それとも決壊が近いと悲鳴を上げる声なのか。
オスヴァルトがとうとう声を荒げると、二人は互いの頬を引っ張り合いながら口を揃えて、
『――――ようこそ、殺し間へ』
刹那。
港町内部に築かれた投石機から打ち上げられた大量の石が、堀にひしめくインプたちへ豪雨のごとく降り注いだ。




