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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
427/494

名もなき港町にて②

今週の投稿は月水金の三回の予定です

「ふ――――あはははっ」


 壁がそびえている。

 身の丈以上の高さを誇る白塗りの壁だ。手前の地面を掘り返し壁として積み上げたのだろう。直前に深い空堀が横たわり、堀の底から見上げればなるほど城壁のようにも見える。

 堀ごとあれを越えるにはガーゴイルの跳躍ではやや難しいくらい。否応なくよじ登ることになるだろう。壁面が白いのは、おそらく強度を増すために粘土でも塗りたくったか。

 手前には逆茂木がいくつも地面に突き立ち、勢いをつけての突撃を阻んでいた。騎兵相手ならばいざ知らず、あんなものを地面に立てて守りにしたつもりとは。


「涙ぐましいわねぇ、コーラル! 精一杯の悪足掻きといったところかしら。なんていじましいの……!」


 よほど時間が押していたと見える。防壁が白く塗られたとはいえ、所々が塗りが不十分。虫食いのような丸い穴が点々と残っていた。

 目の前の光景がそれはもう相当の苦労の上に成り立っていることを察し、カーラは憐みの嘲笑を抑えきれない。


「いいわ、いいわぁ! 諦めの悪い殿方は嫌いだけど、今回は乗ってあげる。付き合ってあげるわぁ! ――その壁、微塵に砕いてあげる……!」



   ●



 第一陣、殺到。

 ガーゴイル、デーモン、小型のインプで構成された魔族軍は、耳障りな気勢を上げて突撃する。その数およそ千以上。


 防ぐ手段などない。青銅獣を止めるのに槍を携えた兵卒程度では力不足も甚だしい。現にオスヴァルトたちは守りの兵を既に引き上げ、防壁の上にまばらに配置している。

 ――そう、まばらに。オスヴァルトの率いる半島歩兵、先の戦から回復したものも合わせれば1200人。それだけの兵がありながら壁の上に立つ兵は200にも届くまい。

 板バネを用いた簡易のクロスボウを持たせているが、それでも火力不足は明確だった。


「ベェェエエエエエエ……!」


 山羊頭の悪魔が嘲弄じみた咆哮を上げた。上位種であるアークデーモンと異なり翼は小さく角も短い魔物だが、敵の守備が薄いことを理解できる程度の知性は有している。

 ゆえに彼らは確信する。――死に体の敗残部隊が立て籠もる港町は意外な建築技術を披露したものの、根本的な兵力不足はまるで解決していない。ただ踏みつぶされるのを待つ憐れな獲物に過ぎないのだと。


 クロスボウのボルトが散発的に降り注ぐ。腕のいい職人がいるのだろう、存外に威力のある射撃はインプに当たれば殺害せしめるが、デーモン相手には硬い獣毛に覆われた毛皮と鋼のような筋肉に阻まれ致命傷に至らず、ガーゴイルに至ってはその大半が突き刺さりもせず青銅の皮膚に弾かれる。

 無駄な抵抗、防ぐまでもなし。

 デーモンは腕を掲げるのみでわずかに足を遅らせるのみであり、インプたちはその小柄さを生かしてガーゴイルの背中に隠れた。射撃を意に介せず突き進むガーゴイルたちは彼らにとって体のいい盾だった。


 ――魔族先鋒が雪壁の残骸に辿り着くまでに射撃によって失われた戦力、精々インプが五十。

 他愛ない。論じるまでもない被害。このままひと息に堀を越え防壁を破るまで。


 呆気なく接近を許した敵の貧弱さをせせら笑い、デーモンは雪の名残が残る溶けかけた雪壁を無造作に蹴散らした。途中、何かを踏み割る感触が足の裏に伝わり――



 ――刹那、鼻面を大槌でカチ込まれたような衝撃が顔面に叩き込まれた。



   ●



「持ってくるに決まっとるじゃろ、ヴァーカ! トマトでも喰っとれ!」


 徹夜明けのテンションのまま上機嫌に勝ち誇るギムリンの声が物見塔に響き、あまりの身も蓋の無さにオスヴァルトは頭を抱えた。

 事態はまさに防戦のまっさなか。戦場を一望できるこの塔からは、防壁の上で弩弓を構え懸命にボルトを装填する兵たちの姿がある。

 そして肝心の敵軍は――


 阿鼻叫喚。

 鼻を抑えつけもがき苦しむデーモンたち。インプたちもあまりの激臭に苦しみ悶え、鋭い爪で自ら鼻を切り刻む者もいる始末。

 唯一嗅覚のないガーゴイルは怯みもしないが、いきなり混乱の坩堝に叩き落とされた自軍に困惑して歩みを弱める者も多い。


「……存在自体は、知っていたが……」


 これほど効き目があるとは思わなかった、とオスヴァルトが戦慄を籠めて呟く。それほどまでに目の前に広がる光景は衝撃的だった。


 ――魔物除けの果実。通称腐れトマト。

 仕掛けは単純である。雪玉のなかに仕込んだ腐れトマトを雪壁の中に埋め込んだのだ。春が近づき雪が解ければ雪玉が露出し、これを敵が踏み割れば潰れたトマトが悪臭を撒き散らす。

 物理攻撃に強く、魔法にも対策を持つだろう魔族軍だが、臭気による攻撃は思いもよらぬはず。むしろ戦闘に向けて興奮し大いに息を荒げている連中に防げるはずもない。


 あまつさえ魔族の注意は突如立ち塞がった新たな防壁の方に集中している。今さら役立たずとなった雪壁の残骸に気を配るモノ好きなどいないだろう。

 さらに注意を引くために防壁の上に兵を置いて矢を射掛けさせてやれば、敵は躍起になって前進してくるに違いない。

 ――そうドワーフ二人は断言し、事実敵軍はこの有様。


 ……しかし、これは。

 いくらなんでも、有りなのか。


「はっはーっ! 見てみよあの間抜けを! 鼻を雪に突っ込んで痺れを抜こうとしとる! 馬鹿めそっちは汚染済みじゃ! ふひっ、見事にのたうち回っとるわ……!」

「見事な壊乱ぶりじゃのう、足が完全に止まっとる。あそこを爆薬でまとめて吹っ飛ばしたらさぞ気持ちいいだろうに。つくづく惜しい」

「硫黄が足りん。手持ちの火薬じゃ無理と結論が出たではないか。代わりのものを仕込んでおいたのだから――――おおっと、あれか!? あれだな! 決まった……ッ!」


 小規模な爆発が敵中で生じた。雪中に仕込まれていた陶器がデーモンたちに踏み割られると同時に爆発し、その勢いのまま内容物を周囲に撒き散らす。

 陶器の中に封入されていたのだろう黄土色の液体がデーモンに降りかかると、かかった皮膚がかぶれでもしたのか悲鳴を上げてデーモンがもがきだす。


 少量の石灰と数種の鉱物と火薬、そして凝縮したトマトの織り成す絶妙なシンフォニー。近づきたくない。色んな意味で。


「……しかし、都合よくかかってくれたものだな、あの罠」


 気を紛らわせる意味も込めてオスヴァルトが言った。


「敵がもっと遅く到着すれば、雪も解けてあの仕掛けも意味を為さなくなっただろうに」

「はっ! 勝利条件を履き違えては勝ちを逃すぞう、オスヴァルト殿」


 目を細めながら敵軍を眺めつづけるガルサスが言った。


「儂らの役目はあくまで時間稼ぎ。春になり辺境伯たちが援軍を寄越すまでの繫ぎに過ぎん。雪解けまで敵が待ってくれるというのなら、それこそ万々歳ではないか」

「うむ。それに仮にあれが不発に終わっても暴発はする。あれ、臭気は一週間は持つからのう。特にあの液は本来航海中に海に撒く濃縮版でな、効果は実証済みじゃ。その間は防げるという寸法よ」


 ケタケタと笑いながらギムリンが頷く。何が老人をそこまで駆り立てるのか、物見窓から身を乗り出して戦場を見物する様は緊張感に乏しいこと限りない。


「……む、まずいな」


 ――と、ふとギムリンが呟いた。

 一変して真顔になった黒髪のドワーフは、険しい目つきで敵軍と守備兵の様子を観察し、次いで指を舐めて窓の外にかざして風向きを測った。

 そうやって何かを結論した様子のドワーフはガルサスやオスヴァルトたちに振り返ると、重々しい口調で口を開く。


「――――各員、手拭いを用意せい」

「まさか……」

「風向きがヤバい。こっちにくるかも」


 途端、塔の内部が騒然の坩堝と化した。

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