フラグは立てぬ
――さて、結果発表といこう。
アリシア・ミューゼル次期辺境伯がイアン・ハイドゥクとの結託を明らかにし、日和見を決め込む四人の竜騎士へと恭順か討伐の二択を迫った、その返答とは。
「――――まさか、ひとりしか来ないとは思わなかった」
「まったくだわ。あの姫様、案外人望ないのね」
俺のぼやきにエルモが追従する。相も変わらずモコモコのモリゾーかゴンタ君のような服装で、いっそそのまま森に潜めばギリースーツばりに隠密行動してしまいそうな雰囲気だ。
気のない口調で弓の弦の調子を確かめる我が副官に俺は言った。
「いや、むしろうちの団長が嫌われていると見た。ほら、絵に描いたような成り上がり者だしなぁ」
「それはそれで問題ね。あんなのでも一応継承権は持ってるわけだし、親戚付き合いちゃんとやってればあと一人二人は味方にできたんじゃない?」
「かもしれん」
何しろ子供ができたからってそっちにかかりきりだったからなぁ。何だかんだで元気な男の子で、うちの白狼にも物怖じせずに抱き着きに来るやんちゃ坊主である。……あれ、これってお嬢と同じ?
……ともあれ団長も、交易都市の取り纏めにエルフ交易の仲介、さらには歩兵部隊の練成にと他のことが疎かにならざるを得ないほど多忙なのは確かだ。そのあたり汲んでから謀叛起こせやと竜騎士どもに声を大にして言ってやりたいが、もはやこと既に遅しである。
「……夫人は、何か考えてるみたいだが」
「あの奥さんがねぇ……」
あのにこやかな笑顔を思い返しているのか遠い目になるエルモ。
「何度か街中で会ったことはあるのよ。息子さんを連れて買い物に出てて、普通の主婦……にしては若くて綺麗だけど、そんな腹黒には見えなかったわ。ウェンターのことが話題に出ると、花が咲いたみたいに笑っちゃって……」
「人は見かけによらないというやつか」
「よらなすぎるわよ、あれ。ああいうのを魔性っていうんでしょうね」
しみじみと頷き合う。あのご夫人は一番敵に回したらいけない類だ。
恋する乙女と強かな母、そして冷徹な知恵者。
人格が分かれているというわけではない。あれは豹変ではなく角度を変えたというのがより正確だ。どれもが彼女の本質で、本人としては使い分けている気すらないのだろう。
一見すると腹黒だが、彼女の方向性は一貫している。――ただ夫のために、息子のために。それはすなわちウェンターの直接仕える団長の立身出世に関わることであり、それに反するなら大枠の主君すら斬り捨ててはばからない。
一言で言うなら、まぁあれだ。
愛は女を無敵にする、というやつだろう。
「……愛って怖いな」
「あんたがそれを言うとすごく釈然としないんだけど?」
はは、何を言っているのやら。
俺に愛を語らせたらそれはもう大したものですよ。愛が世界を救うとか割と本気で信じられる。人は持たざるものをこそをより客観的に俯瞰することができるのである。
――さて、脱線した話を戻そうか。
エリス夫人が色々とやらかしてくれたおかげで、ルドルフ・ベッケンバウアー側は人員、兵站ともに制限された状況に追いやられた。これは主力歩兵部隊が港町に追いやられ余力で戦わなければならないこちらがわと、歩兵だけならばほぼ同規模あるいはやや少なくなる予想だという。
何より、秀吉の鳥取攻めよろしく敵の兵糧を買い集めたのが地味に効いてくる。兵は食わねば動かせず、兵力が多いほど食糧の消費は激しくなる。――すなわち彼らは動員を制限されたのと同時に、可能な限り短期に戦いを決する必要が生じたのだ。
何しろ彼らのやり方といえば総動員もいいところで、なりふり構わず集めた人足は調練すら怪しい素人農民ばかりときた。敵を一時だけ堰き止められればいいとはいえ、何とも末期的な様相である。
当然、農兵たちは初夏には村に戻って農作業に従事しなければならない。さもなければ今年の収穫に影響が出るわけで、収穫が減れば軍の継戦能力に致命傷を負う。――そら、また戦いを長引かせられない理由が出来た。
上がらぬ収益、増える食い扶持、ままならぬ練度と日を追うごとに下がる士気。今頃ベッケンバウアーたちは頭を抱えているのではないだろうか。
常ならばこんな問題点が浮上することなどあり得なかっただろう。いつの頃からか大陸のスタンダードは志願兵制。村から溢れた余剰労働力が職を求めて兵になるのが常である。それが突然強引に徴兵を開始したのだ。当然生産力の低下は防ぎようもなく、そもそも彼らがそれを予見して何かしら対策を立てているかも怪しい。
資本、労働、土地。生産性の三要素のうち、労働をごっそりと奪われたのだ。半島はもともと土地がやせていて広げようがないし、資本に投資しようにももはやトラクターでも導入しなければどうにもならないレベルで人手が足りない。
――兵なし、麦なし、時間なし。しかし保有するドラゴン(大食い)の数はやや上回る。ならばベッケンバウアーたちが取る戦略はただ一つ。
春のうちに短期決戦を挑み、交易都市を占領して略奪。得られた富を使って各地の回復を図る。
ここまで手の内が読めているのだ。いっそ持久戦に転じてじわじわと追いつめてやるというのも手といえる。
しかし、アリシア・ミューゼルは敢えて彼らの手に付き合うことにした。真正面からの決戦である。
場所は辺境伯領北部、旧ベッケンバウアー領にほど近い見晴らしのいい平原。
時は三月中旬、今から一週間先の話である。
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「……そういえば、夫人の件で気になることがあったんだ」
「何? なにがあったの?」
「いや、それほど重要なことじゃない。ただ、夫人の体臭がな――」
「うわ、あんた人の臭い嗅いで何してんの気持ち悪っ、人妻にストーカーとか洒落にならないわよ」
「違うわ馬鹿エルフ! そうじゃなくてだな、微妙に……あー、まぁいいか」
「そこで止める!? 言うことがあるなら最後まで言いなさいよ!」
「いや、これはむしろ最後まで言ったらフラグが立つタイプのネタだ。終わった後に伝えるくらいが丁度いい」
さて、余談は終わりだ。
戦の日取りが近付いている。無駄にしていられる時間はない。
口やかましく話の続きを催促するエルフを無視し、俺は部下たちと訓練へ打ち込み始めた。




