鬱屈
「――また来たのか」
瘴気島、西海岸にて。
打ち寄せる波の音に紛れるほどの声色で、キャバリーは呟いた。
手頃な岩の上に腰を下ろし、だらしなく足を投げ出して、視線はぼんやりと西の海に向いている。それでも背後から近寄るノエルの気配に気付くあたり、只者ではないのだと理解できる。
「懲りない奴だなぁ、ほんと。お前そんなしつこい奴だったのかよ」
「……何を見てるの?」
少年の嫌味に応えず、ノエルは彼の傍らに腰を下ろした。躊躇なく距離を詰める少女にキャバリーは不快げに仰け反るが、意に介した様子もなくノエルはつい先ほどまで彼の見ていたものを覗きこもうとする。
視線を辿って先を見ても、西の海は鈍色の波濤を覗かせるばかりだ。曇りがちな天気も相まって、灰色の空と海はひたすら陰気な印象を与えて来た。
「イニティフさんから聞いたよ。暇があればいつもここに来て海を見てるんだって」
「何でもいいだろ、別に」
「景色を見てるんじゃないよね。西は崖が多くて、あんな陰気な海しか見えないもの。北は空気が澄んでるとブレンダが見えるんだ。東の海は……海賊が出る時があるけど、代わりに珊瑚が多いよ。南は魔物が多いから落ち着いて眺めてはいられないかな」
「何が言いたいんだよ」
「何を探してるの?」
「――――」
黙り込んだキャバリーが煩わしげにノエルを見やった。険の籠った視線を軽く受け流し、少女は目を凝らして西海を眺める。
――まるで、少年と同じものを探しているかのように。
「…………境目を探してる」
少年が言った。……言ったところで理解できるわけがない、そんなぞんざいさを含んだ声だった。
「王都にはそんなものはなかった。だから人ごみには出ないんだろう。でも人気のないところなら、何かしらノイズが走るかもしれない。もし空間の乱れが生まれたら……」
「生まれたら?」
「……別に。どうだっていいだろ、そんなこと」
「その乱れってどこで生まれるの?」
「さあな。あるかどうかもわからないものだ。生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。生まれはしたけど見逃したのかもしれない」
はぐらかすような言葉。いや、本人としてはそのつもりも無いのかもしれない。ぼんやりと海の果てに視線を彷徨わせるさまは、言うほど熱心に『乱れ』を探しているように見えなかった。
「それ、本当に見つかるの?」
「いつかは見つかるんじゃないか? ……時間はあるんだ、気長にやるさ」
「キャバリー、暇なんだ?」
「…………どういう意味だよ」
むっとした様子で少年が振り返る。不快げに眉根を寄せた顔が、ようやくノエルの正面に向いた。
「どこで見られるかわからないなら、別にここから西の海を眺めるばかりじゃなくてもいいんじゃない? だってそうでしょ? それこそ森の中とか、空の雲の中とか、『果て』なんてどこにだってあるもん」
「…………」
「どこでだって探せるものならさ、こんな所でぼんやりしてないで別のところも見て回ろうよ。知ってる? テムのところの羊、赤ちゃんが生まれたばかりで可愛いんだよ。南の遺跡は不気味だし、海は夏になれば泳ぐと気持ちいい。珊瑚と色鮮やかな魚が泳いでて、すごく綺麗なんだ。廃城だって、私は知らないけどゴブリンが棲み付く前は――」
「お前さぁ……!」
言い募る言葉は、苛立った声で遮られた。思わず黙り込んだノエルにキャバリーは言う。
「お前さ、なんなワケ? しつこいんだよいちいちいちいち! それに来たかと思えば出来の悪い観光案内みたいなことやってさ。何がしたいんだよ!」
「だって――」
「言わなくたって知ってるさ! お前らは俺の力が欲しいんだろ!?」
撃発だった。
抑えつけた物を吐き出すように少年は次々とまくし立てる。
「便利だもんなぁ、大した才能のない奴だってそこそこ使える魔法使いに育てられるチートなんてさ! これが十人二十人になれば立派な軍隊の出来上がりだ! でも生憎なことに枠はあと二人分! こんなシケた島の人間になんて二度とくれてやるか! 残念だったなアテが外れて!」
「違うよキャバリー、私は――」
「だったら直接俺に戦えっていうのか!? どこぞの馬鹿なネット小説みたいにあの城ごとゴブリンたちを吹き飛ばせって? ――できるさ、あぁできるさ! なんなら山ごと削って更地にしてやったっていい!
――――でも、そんなことして何になるんだよ」
瞳を見る。比較的整った顔立ちの中にある黒曜石のような黒い瞳は、まるで死人のそれのように黒く澱んでいた。
「……どうせお前らにはわからないだろうけど教えてやるよ。――ここは、つくられた世界だ」
「…………」
「この島も、あの空も、そこの海もこの雑草も! あの城でふんぞり返ってるゴブリンも全部作り物! 偽物なんだよ、何もかも!」
「キャバリー……」
「お前たちもだ! どれだけアイドルみたいな顔してたって現実には存在しない! こないだ来たあのチンピラだってそうだ。偉そうに王国がどうとか高説垂れてたけどさ、どれだけ立派なものができようが崩れようが、所詮はデジタルデータの集まりじゃないか! 馬鹿馬鹿しい、そんなものに必死こいてありもしない命がどうとか笑わせるなこのNPCども……!」
滝のように流れてくる罵倒の言葉の意味を、ノエルは半分も理解できなかった。それでも、彼の言葉が彼自身を刻み続けていることは朧げにわかる。
何を悩んでいるのだろう。何を苦しんでいるのだろう。きっとそれは、彼自身にしか理解できないし、誰か他人に癒してもらえるものではないのだ。
「でも――」
あぁ、と苛立たしげな視線がノエルに刺さった。殺気すら伴いつつあるそれを、しかし物ともせず少女は続ける。
「――でも、キャバリーは寂しそうだったよ」
「――――――」
一瞬の空白。
立ち上がった少年は、意表を突かれた表情で眼を見開き、
「ふ――――ざ、けるな……ッ!」
ぐい、と首元を引かれる感覚。そして唐突の浮遊感。
激昂した少年に胸ぐらを掴み上げられたノエルは、その勢いのまま背中から地面に叩き落とされた。




