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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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一揆! 一揆! 一揆! 一揆!

「義倉が燃えた、だと……?」

「は……」


 信じられない様子で呟く徴税官に、村の長老は煤に塗れた頭を深々と下げた。


「領内に紛れ込んできた賊に、夜にやられました。皆が目を覚ました時にはあの通りで」


 言って視線を送るのは義倉『だった』跡地だ。村の中でもひときわ大きな建築物だったそれは今や跡形もなく、黒々とした炭と灰がぶすぶすと燻るのみである。

 当然、中に収められていた非常用の麦などは焼き払われてしまった。灰をどれだけ掘りかえそうとも、出てくるのは燃え残りカラカラになった麦粒が精々だろう。


 ――おまけに、悪いことはそれだけではない。


「……その上、消火に当たった若い衆のうち何人もが火傷を負いまして……倉の倒壊に巻き込まれ、煙を吸って倒れております」

「なんだと……!?」


 視線を転じる先には集会などで使う講堂。そこには火傷で身動きが出来なくなった男たちが大勢横たえられている。中からはゲホゲホとしゃがれた咳が響いてきた。

 世話に当たるのは彼らの妻や娘、あるいは恋人たち。彼女たちは疲労困憊といった様子で額に汗を流し、水を汲んだり手当ての布を替えに走ったりとせわしない。


「火付けの現場を見かけた子供がいまして。見かけない男が倉の周りをうろついていたといっています。きっとハスカールの連中に違いありません」

「おのれ傭兵が! 小賢しい真似を……!」

「彼らは見回りと称してよく街道を巡ってきます。土地勘はあるのでしょう。……幸いといえましょうか。火傷を負ったものはいても死者は居りません。夏の種付けには皆元気にはなっているでしょうが――」

「馬鹿なことを言うな! それでは戦に間に合わんではないか……!」


 来たるべき辺境伯との戦いは雪解けの春を予定している。ルドルフ・ベッケンバウアーたち竜騎士は、彼らの提案を蹴り敵対する姿勢を見せるアリシア・ミューゼルを正さんと気炎を上げているという。

 だからこそ、そのためにはまとまった数の兵がいる、兵糧がいる。竜騎士の抱えていた私兵たちでは足りず、北方で接収した兵糧ではまるで足りない。ゆえに村からの徴収と徴兵で間に合わせようとしたのだが……


「徴税官様、失礼ながら申し上げますが――」


 長老が言った。腰を曲げたまま上目づかいに見上げるその瞳には、どこか抜け目ない光が宿っている。


「麦もなく、男衆まで身動きできなくなった今、戦争で人手を取られればそれこそ村は立ち行かなくなります」

「しかし兵糧は必要なのだ。どうにかならんのか?」

「各家が収穫までの備えとして蓄えた麦なら、いくばくか。しかし、それを取られれば我が村は夏まで持ちませぬ。ベッケンバウアー卿は我らに飢え死にしろと申されるのですか?」

「わかっておるわ、そんなこと!」


 なおも言い募る長老に徴税官は怒鳴った。怒りのせいか髭の合間から見える頬が赤く上気している。


 ……しかし、本当にどうすればいいのか。

 麦はない、人は怪我人ばかり。これでは無手で帰還しろと言われているようなものではないか。

 竜騎士は傲慢な気質の人間が多い。このまま成果なしでおめおめと出戻れば、いったいどんな叱責を受けるかわかったものではない。

 しかし強引に徴税を行ったところで得られる麦はたかが知れ、兵を募るにしても集まったのが怪我人ばかりでは面目が丸つぶれだ。


 ――ならば、村を枯らすつもりで略奪同然に徴収するか。


「…………」


 最悪の想像に冷汗が流れる。ごくり、と喉が鳴った。

 ……できるのか。やるのか、それを。本当に。


 根絶やしにするつもりで取り立てれば、恐らく麦は得られるだろう。秋までは持つ蓄えがあると長老も言っていた。ならば春先の行軍に用いるくらいは備えているということ。

 ――限界まで搾れば取り立てられる。損失を取り返す当てはある。領都や交易都市を攻略したのち、そこから得た金銭を補填してやればいい。特に交易都市、あそこには大陸本土から輸入した麦がうなっているはず。

 皮算用というのはわかっていた。目論見が外れればこの村は滅び、ベッケンバウアーたちは一挙に苦境に立たされる。内乱で傾こうとしている半島を立て直すのも難しくなるだろう。

 しかし、それを前提におかなければ到底――


「……ええい、荷が勝ちすぎる! 私では判断しきれん……!」


 結局、その徴税官は選択を保留し、一旦北方へと帰還することになる。竜騎士たちに一度伺いを立て、その村の扱いを決めるために。



   ●



「…………行ったか」


 痩せた馬に騎乗した徴税官が街道の果てに見えなくなったのを確認すると、長老は冷え切った口調で村に向き直った。

 講堂からは徴税官がいなくなったのを察した『患者』たちが早くも飛び出して来ていて、ガヤガヤと騒がしく広場に集まっている。煤だらけになったお互いの顔を指差して笑いあうその姿からは、とても怪我人という風には見えない。


 ――――当然のこと。彼らは怪我人ではなく、そもそも火傷を負った村人など一人もいない。


 全ては狂言。徴税官が来る前に村人たちは自ら義倉に火を放った。

 当然中身の麦は全て売り払った後である。示し合わせたように偶然通りかかった行商人が、この倉の中身を残らず買い取っていったのだ。それも十二分に色を付けた値段で。



 ――どうせ竜騎士に奪われる麦なら、いっそ売り払ってお金にしてはどうです? ええ、今ならお勉強させていただきますよ。

 金貨は嵩張る? 隠す場所に困る? ……なら証文にしてはいかがでしょう。懐や服の裏にでも縫い込めばそうそうばれませんよ。

 ただ麦を売り払ったとなれば、ベッケンバウアー卿からのお咎めは免れないでしょうね。でしたら、賊にでも奪われたことにでもすればいいでしょう。ちょうど交易都市のハスカールといえば傭兵上がりで有名ですし、こういう戦法も取りかねない方々だ。

 ……そうですねぇ、信憑性を持たせるために化粧品もご提供いたしましょうか。これを塗れば火傷が膿んでいるように見えますし、この飲み薬は喉を焼いて声を枯らすことができます。――あぁ、数日もあれば治るのでご安心を。蜂蜜があれば治りはもっと早くなるのですが……あ、近くの山にある? それは重畳。



 ノーミエックと名乗ったその行商人は、あれよあれよと商談を取り纏めたかと思うと、その場で義倉の中身を買い取っていった。

 目の前で義倉の中に詰まっていた麦が青白い粒子に変わり、行商人が連れていた男の手元に集っていくさまはそれは神秘的で……不思議と、その男の顔に見覚えがあったのが不可解だった。

 売り飛ばした麦は証文にして、長老の襟に縫い込んでいる。交易都市に行けば現金と替えて貰えるのだという。


「あとは……奴らの出方次第」


 竜騎士たちが何も寄越さなければいい。問題なく辺境伯に勝利し半島を支配するというのならそれでいい。今年の秋からはつつがなく税を支払おう。

 しかしそれ以上を望むというなら――麦を、男手を取り立てていこうとするのなら――


「しかし長、これから俺ら、何食って暮らせばいいんで?」


 近くに寄ってきた男の一人がガラガラ声でそうぼやいた。頭に巻いた包帯を外せば、傷一つない頭が覗く。


「倉は焼けたし、春から先は持つかどうか……うちの娘、食べ盛りで腹ぁ空かさせたくないですがねぇ」

「何を食べるか、か。……一応、手立ては考えてある」


 ――最近、路端で自生しているのをよく見かけるようになった。

 長老は振り返ると、気の抜けた声で応えた。


「――カボチャを採ってこい。道に生えるなら、きっと山にも散々生ってるはずだ」

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