一揆は乱世の風物詩
ルドルフ・ベッケンバウアーたち三人の竜騎士によって占拠された旧領は、辺境伯領北東部の多くの割合を占めている。ベッケンバウアーが本来領有していた土地に加え、領主時代に隣接していた旧ハービヒ領、旧ディカー領を決起直後に接収したためだ。
広域にわたって点在する農村、数にして二十余り。仮想敵である交易都市の従属村が十程度であることを考えれば、それなりに拮抗した勢力であるといえる。
問題は、これら新たに参加に加えた従属村に鍛冶や石工といった工業品を供給するには、ベッケンバウアーの本拠である城砦直下の城下町では難しいところか。
食糧供給の面では引けは取らないといえど、こと戦闘の関わらない政治的な駆け引きにおいて彼らが不利にあることに変わりはない。一刻も早くアリシア・ミューゼルに要求を通すことが求められていた。
――そんな折のことである。
ベッケンバウアー領の一端に位置するとある村落に、ひとりの男がたどり着いた。
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浮浪者のような男だった。
身に着ける衣服はボロも同然、引き摺る足の靴は半分が破れかけ、ほぼ素足と変わらない。泥と馬糞に身体ごと突っ込んだような汚れようで、身体からは絶えず異臭が漂っている。
男は息も絶え絶えといった様子で村の中央まで身体を引き摺ると、力尽きた様子で膝をついた。
「……だれ、だれかぁっ……! たすけて、たすけてくれぇ……っ!」
否、それは懇願だった。
身体を庇うように丸くなって蹲り、涙ながらに大声で泣きじゃくる。見たところ立派な年齢の青年の年恰好でありながら、恥も外聞もなく。
その異様な光景は否応なく人目を引いた。村人で騒ぎを聞きつけた者たちが集まり、何事かと男に注目する。
その中には村を取りまとめている長老格の男もいて、往来のど真ん中から漂う悪臭に鼻を抑えつつ、不審な男に声をかける。
「おいっ! なんだお前は? いったい何があってそんなに騒いでる?」
「全部っ……全部取られちまったぁ……! 麦も、金もっ、スヴェアまで……っ! こんな、こんなのって、ああぁあぁあぁぁ……!」
「何の話だ? お前は何を言ってるんだ!?」
取られた? 麦を? 誰に?
要領を得ない男の言葉に困惑する。蹲り地面を殴りつけて泣き喚く男は、低く嗚咽を漏らしながらぽつぽつと語りだした。
「……いきなりだったんだ。いきなり、馬に乗った兵士がやってきて、ここはこれから自分たちが治めるから税を払えって。まだ秋まで半年以上あるのに」
決起したルドルフ・ベッケンバウアーたち竜騎士が派遣した徴税官だろう。この村にも貧相な格好をした役人が視察に訪れたのを目撃している。
支配者が変われば税を収める相手も変わるのが道理で、村人も長老も別にこれといった感想など懐いてはいなかった。
……別に、偉い人間たちは好き勝手にしていればいい。自分たちの生活に害が及ばなければ関係のない話だと。
だがこの男の話を聞くに、ことはそれどころでは済まない事態になろうとしているようにも思える。
男の話は続く。
「……できたばかりの村だったんだ。拓いたばっかりでみんな暮らしにも慣れてもねぇ。畑なんて一昨年鍬を入れたばかりで、まともな出来になるわけがねえ。年貢は、辺境伯に免じていただいているはずだったんだ」
だというのにやってきた徴税官はお構いなしに税を払えとのたまったという。当然、男の村の住民はそれに反感を抱いた。
恐る恐る控えめに、年貢については勘弁願えないかと伺ったところ、返ってきたのは鞭による返答だったという。
「年寄りも、女子供も関係ねえ。目つきが気に入らねえからって理由で鞭を振り回しやがる! 言われた通り税を払えって、飢え死にしてでも払わないとここで斬り殺すって。
そしたら奴ら、よりにもよって飢饉の備えに置いてある義倉にまで手を付けたんだ……っ!」
「なんだと……!?」
魔物被害の多発するディール大陸において、飢えを凌ぐ最後の一線となる義倉は領主であっても不可侵の不文律を持つ。おまけに次の種付けに用いる種籾もそこに保管するのが常だった。
それすら侵して野盗のごとく食糧を奪い去っていった手口に、長老は思わず言葉を失った。
「何ということだ、それでは無法者と何が違う!」
「それだけじゃねえ! あいつらスヴェアを、俺の娘を連れて行って、人質にするって! 返してほしけりゃ兵士として戦えって! あいつ、あんなに泣いて、無理矢理ぃ……!」
その時の光景を思い出したのだろう、男は真っ赤に腫らした目からさらに涙を流し大声で泣き喚く。
大の男のあまりに哀れを誘う光景に、長老の傍らで話を聞いていた一人娘が不安げな顔を向けて来た。四年前に嫁いだ娘の腕の中には、まだ幼い孫が抱きついている。……あるいは彼女たちの未来が目の前にあるのかと思うと、焦燥感ばかりが募る。
「お父さん、これ……」
「だいじょうぶだ、兵隊なぞに好き勝手させるものか。しかし……」
しかし、これはどうすればいいのか。
長老は改めて地に伏せる男を見下ろす。泥だらけの肌には無数の傷が見え隠れしていて、青黒い痣が痛々しい。農作業で鍛えたのか意外に逞しい腕には、鞭で打たれたような鋭い跡が残っていた。
「……おねがいです、たすけてください……! このままじゃスヴェアが、娘が……」
「助けるっていっても、どうすれば……」
涙ながらに縋りつこうとする男から後ずさり、長老は途方に暮れて立ち尽くす。実際、何をすればいいのかがまるでわからなかった。
領主と掛け合うか? ――きっと難しい。
ルドルフ・ベッケンバウアーの苛烈な噂はこの一週間で瞬く間に半島中に広まった。たかが一農村の代表が頼み込んだところで鼻で笑って切り捨てられるに違いない。
下手な申し入れをして領主の逆鱗に触れたら……考えるだに恐ろしい。目の前にいる生き証人が最悪の末路を物語っている。
ならば逃げるか? ――不可能だ。
逃散は領主が最も警戒することの一つだ。領境の街道には人の行き来を見張る衛兵が目を光らせているに違いない。
それにまだ春にもなっていない。身体の弱い老人もいるのに、村を捨ててこの寒空の下さまようなど自殺以外のなにものでもない。
――――なら、言いなりに従うか。
「…………」
言いようのない不快感に襲われ、長老は生唾を呑み込む。……ただ諾々と従う、という選択肢に、抑えきれない忌避感が残る。
「ふざけるなよ……ふざけるなよ、おい!」
それまで聴衆の一人として男の言葉に耳を傾けていた村人の一人が叫んだ。
「またか! また竜騎士は好き勝手に俺たちから奪うのか! 冗談じゃねえ!」
目を血走らせ、唾を飛ばして怒り狂う村人は、十五年前のスタンピードで母親を亡くしていた。そのとき、彼はまだ十二歳だったという。
「そうだ! 言われるまま兵士になってみろ、きっと敵と一緒にドラゴンに焼き殺されるんだ!」
「いやよ! まだお腹の子供の名前だって決めてないの! 戦争だなんて……!」
「なんで俺たちばっかり! あいつらは好き勝手空を飛んで、見下して!」
口々に不信の言葉を噴出させる村人たち。領主として返り咲こうとするベッケンバウアーへの不信が、ここに来て頂点に達しようとしていた。
「……あぁ、そうだ」
忌避感の正体に、ようやく長老は思い至った。
――俺たちばかり。
そうだ、そうだとも。
十五年前、あのスタンピードで。同じ思いを俺も懐いた。
逃げ遅れた母親、荒れた畑で食うにも食えず飢え死んだ父親、領都へと身売りに行った姪。
あれが、あのスタンピードが何もかもをぶち壊した。なにもかもを奪い去った。
無茶苦茶になった畑で、それでも年貢は当たり前のように課されて、壊された生活の保障なんてされるわけがない。
竜騎士は相変わらず優雅に空を飛んで、地べたを這いずる俺たちになんて目もくれない。
――俺たちばかり。
聞けば、交易都市の従属村は開拓するにも手厚い支援を受けた上で、最初の数年は年貢まで肩代わりしてもらえるという。
頻繁に見回りの兵が街道を歩き、治安は田舎とは天地ほどにも違う。彼らはこの村にも駐留所を設けているが、それでも数日に一度来る程度だ。
元は廃村も同然だったというのに、見違えるほどの発展を遂げたのだ、あそこは。
どうせ住むなら、あっちが良かった。
この差はなんだ。この違いはなんだ。
決まっている。治めている人間が違うのだ。
「……このまま、俺たちだけが割を食ってたまるか」
食いしばった口から、押し殺した声が漏れた。
「何が領主だ、クソ竜騎士め。麦だけ取って、荒らすだけ畑を荒らして、挙句人まで攫うのか。――そんなのは領主じゃねえ……!」
目にものみせてやる。こればかりは、一発くれてやらなければ腹が収まらない。
「俺たちにだってなぁ! 人は選べるんだ! 焼き殺されるだけの人形じゃねえんだ!」
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――――その日、ベッケンバウアー領のとある農村にて、農民たちが領主へ反旗を翻すことを決意した。
一揆の勃発である。




