選択
――思えば、遠くに来たものだ。
もう十五年。そうか、あれからもう十五年になる。あれとは一番の始まりではない。本当の最初は、もっとささやかなものだった。
戦士を志し、家を飛び出て剣一本で身を立てようと発心した。初めての戦で手柄首をとり褒賞を受け、その際の金と名声で自前の一党を構えようと決意した。
仲間を募った。多くが集まった。凡庸なもの、剣に優れたもの、庶務をこなすもの、一芸に秀でたもの。誰かが加わるたびに人材とは一様でないと思い知らされる。
十人集まるまでが一番苦労した。二十人集めるのはさほど苦にはならなかった。人は人を集めるものなのだと経験から知ることになった。
人を集め、武器を揃え、集団としての体が整ってきたころにウェンターと出会った。
真っ当な戦いなどほとんどない曲芸師ばかりが集まったような闘技場で、ただ一人愚直に剣一本を頼りに戦う藍色の髪の男。寡黙に、ひたむきに振り続ける剣の軌跡は、かつて見た師の振るう剣とどこか似通って見えた。
だから買った。コツコツと貯金し、団員の支度金と装備費に使うはずだった予算全てを擲って男の身を譲り受けたのだ。
いい買い物だったと、今でも思っている。いや、それ以上の出会いだった。
剣一辺倒だと思っていた男は、見た目にそぐわず数字にも長けていた。装備の管理や兵糧の買い付け、流軍に必須の宿の手配。それまで大雑把に管理して商人に足元を見られてきた庶務が、格段に引き締められたのだ。
食事に副菜がつくようになったり、矢筒を多めに買い込めるようになったり、刃研ぎの費用が浮くようになった。
戦力としても申し分ない。我流仕込みの多い他団員とは異なる真っ当な系統立った剣術の使い手で、本来そう言った技術は秘伝と称して広めたがらないのが常でありながら、男はそれを仲間内に伝授することに抵抗が無いようだった。
なんでもウェンターの故郷では、彼の剣術は邪道だとか奇術だとかに類する代物であるらしく、真似できるものならやってみろと遠い目をして呟いていたのを覚えている。
――闘技者上がりのウェンターが加わり、仲間内での技術にも磨きがかかった。そんな時だ、この男に出会ったのは。
半島の猟師。
紅い狼。
狼使い。
この男だ。
いつも斜に構えた言動の癖に、人一倍お人好しなひねくれ者。お前の好意はわかりにくいんだよ、馬鹿野郎。
この男と出会って、自分の中の何かが動いた。歯車が噛み合った。何かが定まった。
こいつ自身が何かを持っていたわけではないのだろう。特異な資質を持っていたわけでも、隔絶した武力を誇っていたわけでもない。そう言う意味では、こいつはそこいらの人間と同じくらいの平々凡々さ。あのままあの村に留まっていれば、あくまでただの優れた猟師で埋没していたに違いない。
だが――――違う。
この男は、こいつは、俺に契機をもたらした。
ウェンターを右腕にたとえるなら、こいつはまさに翼だった。
この二人が揃ったからこそ、俺はこの玉座じみた高座に鎮座する運命を掴んだ。
「――――お前が決めろ、イアン・ハイドゥク」
――そして俺に運命をもたらした猟師は、今再び俺に選択を迫ろうとしている。
「……決める? 俺が決めるだと?」
……あぁ、そうだ。こいつはいつもそうだった。
「そうとも、お前が決めるんだ。この女を斬るのか、それともこの甘言に同調するのか、選択肢を持っているのはお前だ。お前だけだ」
いつもいつも、相手を皮肉るし煽るし小馬鹿にする。
そして肝心な選択をするときは、いつもそうやって試す側につくんだな。
「いいのかよ、おい。俺がこの半島を獲るって言うかもしれねえんだぞ?」
「それならそれで構わない。お前の選んだ道だ、従ってやろう」
「下手すりゃあの姫さんを殺すことになるんだぞ。散々懐かれてたろ、お前」
「それでもだ、団長。俺はお前につくと決めた。もう随分と前に。何があろうと味方に付くと」
詰るようなセリフを浴びせられた猟師は、眉ひとつ動かさずに返答した。
「覚えているか、最初の誓いを。あの日の酒場を」
忘れるものか。何があろうと忘れるものか。
地獄の底まで抱えていくと決めた光景はいくつかある。その中でもあれは特に指折りだ。
でも一番は――
「覚えているぜ。――『あなたは、わたしの力を欲するか』……答えなんざ決まってた」
「『ならば共に戦おう』――あの日から俺の剣は、俺の弩弓は、お前のために振るわれる。辺境伯でもなくアリシア・ミューゼルでもなく、イアン・ハイドゥクのためだけに」
必要とあれば、領都の主君すら弑してみせよう。そう傲然と猟師は胸を張る。
「だから選べ、『鉄剣』のイアン。どんな選択にも従ってみせよう。軍勢を持って竜騎士を打ち破るか。山賊のごとく領内を荒らし回るか。夜中の領都に忍び入り、竜騎士の首を持ち帰ってやろうか」
心にもないことを。それをやって一番心を痛めるのはお前だろう、猟師。ほとんど見ず知らずのガキが死んだだけでブチ切れる男がよく言う。
そうして自分の感情に蓋をして、俺に選択を強いるのがお前の忠義なのか。
それとも、お前なりの俺への信頼の証なのか。
あぁ――――
「――――ふざけるな」
恥ずかしい告白をしよう。
イアン・ハイドゥクには、憧れている男がいる。
「上を目指すのは男の本懐だ。ドラゴンだろうが魔王だろうが、いくらだって相手してやる」
目的のためには手段を選ばず。命を懸けて走り続ける。
まるで狼のような生き様の男だ。
――だが、そいつはいつも、最後の一線だけは断じて踏み越えない。踏み越えさせない。
「だからって味方を殺せるかよ。主君を裏切れるか。筋が違うだろうが」
水と炎のように相反する男の生きざま。均衡を保つ天秤のように危うい疾走。
その背中に、年甲斐もなく憧れた。
――この男が隣にいる限り、その姿を目に追い続ける限り、俺が道を踏み外すことはないだろうと――
「俺は戦士だ。自由の戦士だ。お前たちが並べた中から、俺が選んだ名前だろう。あの日この名を背負ったときから、なんのために戦うなんて決めてあるのさ」
誇りのために、自由のために。
誰ひとり目を背けられないほどに正々堂々胸を張って、輝かんばかりの覇道を往く。
この名に――――お前たちの誓いに恥じない道を征くと決めたのだ。
「――主君は守る。敵は殺す。猟犬は主命無きときは小屋に引っこんでるものさ」
敢えて、野心は封じておく。
これが答えだ。満足したか、馬鹿猟師め。




