健やかたれ、勇ましくあれ、猛々しくあれ
春が半ばになれば、この北の果ての半島も随分と暖かくなる。
それはつまり日本のそれのように変態が増えるシーズンであるともいえ、早い話がうちの村にも陽気にやられた馬鹿が出た。
被疑者は堅実な農家の部屋住みである三男坊のスヴェン君(30歳)。前々から深酒が多く、酒場で飲み潰れては部屋住みの苦労を喚くように愚痴っていたが、とうとうやらかしやがった。
被害者は雑貨屋の一人娘アンちゃん(9歳)。……何だか雑貨屋の関係者というだけでざまあみろという気分になるが、彼女に関してはそうはいかない。なにせ村に流れ着いた俺を発見通報してくれたのがこの童女だからだ。
全裸になった被疑者が通りかかった被害者に汚いコマネチをかまそうとしたところを強襲。膝に矢を受けるがいい。
惜しくもボルトは太腿を貫いて、大騒ぎする男にこの日のために用意した長柄杖をフルスイング。おらおら走れ白い豚が燻製にするぞと追い立てて、見事桟橋から海に突き落とすことに成功した。
ふー今日もいい仕事したと額の汗をぬぐったが、野郎なかなか浮かび上がってこない。代わりに赤い液体が海面に広がったところで慌ててレスキュー開始。どうにか酔っぱらいの命は救われた。
もうオジサンったらダメじゃない! 今度からボルトを脚に刺したまま泳いじゃ駄目よと釘を刺す。スヴェン君は血の気の引いた顔でがくがくと頷いていた。
ちなみに怪我は下手な魔法で治してやったよ。こんな怪我で衛兵に転向されてはたまらない。
ロリコン死すべし慈悲はない。不審者はもれなくボルトをぶち込むと村中にお触れが回り、後ろ盾に俺がいることを知らしめると村の浮かれた雰囲気は大分静かになった。……なんというか疎外感。これって村八分? まあいいか。
暖かくなれば冬籠りを終えた熊が腹を空かして動き回る頃だ。村人の中でまともに山を動き回れるのは俺くらいだし、最近は村近辺の狩り兼見回りに終始している。そんなだからあまり成果は上げられていない。
まあ、去年のうちに貯めておいた干し肉や毛皮があるから、もうしばらくはこのままでも大丈夫だろうが。
「わふ」
ちょっとした報告がある。山賊退治に大活躍してくれた暴大猪の牙刀が、とうとう完全体に進化しました。
いや長かった。反り返って歪な形の物を渡されたのが秋の終わりだから、こうなるまで大体五か月もかかったことになるのか。
僅かに歯根から牙が伸びたのを確認したら、砥石で削って形を整え、鉄の鞘に入れて伸びる方向を矯正し、再び伸びたら今度は鉄鞘のサイズを変えて再び矯正。ギムリンに作らせた鞘の数は二十を超える。
少しづつ少しづつ形を変えていって、ようやく真っ当な短刀といえる形に落ち着いた。いや少し長いから脇差か? ……とにかく、それが今の牙刀である。
品質はD++という訳のわからないランクに落ち着いてるし、攻撃値だって12とクロスボウに次ぐ。これはなかなかの代物ですぜ旦那。
これがなんと二振りあるというのだから、二刀流剣士垂涎の品とすらいえる。
「くぅん」
今いいところだから邪魔すんなって。
――ああそうそう、領都から連絡が届いた。あの山賊どもに囚われていた女たちからだ。
どうにか三人とも親族と出会えたらしく、それぞれの故郷へ帰るとのことだった。
手紙を持ってきた行商は一緒に僅かな金を持っていた。彼女たちに渡していた生活資金。もう不要だからお返しします。使った分も必ず返します、だと。
……くれてやったものだというのに、律儀なものだ。
はした金なんていらねーよ! 返事書く羊皮紙だってタダじゃないんだからこんなもん二度と寄越すな、小娘ごときが粋がってんじゃねえと返信を書き殴って帰路に就く行商に渡した。以前騎士様から貰った礼金の半分も添えて。
どうせこの村じゃこれほどの大金の使い道なんて見つからない。金は貯めこんで腐らせるより世を回る方が天下のためだ。
「――おん!」
「うひゃああっ、何をするか!?」
この野郎、身体によじ登るだけじゃ飽き足らず耳を舐めやがった。
よくもこの下郎と首根っこをひっつかみ目の前にぶら下げる。そいつは四肢をぶらつかせながら楽しげに首を傾げた。
子供の狼だ。雪のように真っ白な毛並みで、背筋に通ったラインは青みがかって見える。大きな丸い目は好奇心で金色に輝いていた。
……最後の報告。元気になったよ、この小僧。
いささか元気に過ぎるのではないだろうか。こいつが死にかけてからひと月が過ぎたが、他の子供は皆巣穴に籠っている。俺が巣穴に近づいたときに、こうやって考えなしに飛び出てくるのはこいつだけだ。
訪れた春の暖かさと、辺りに咲き乱れる花に興味津々で、気が付けば転げるように走り回って真っ白な身体を土で汚している
数日おきにこうやって巣穴に様子を見にやってくるのが最近の日課になっているが、これならもう心配はなさそうだ。
ほらほら母親のところに戻んなさい。群れの他の連中を見ろ、はらはら落ち着かなげにこっち見てるだろ。
じゃれついてくる仔狼を片手でいなし、喉元をくすぐった。目を細めて口を半開きにして心地よさげに喉を鳴らしている。……ここまでわかりやすく懐かれたら、俺だって悪い気はしないが。
「――――グルゥ」
野太い唸り声が聞こえた。振り返ると灰色が座り込んで小僧を見つめていた。ぱたん、ぱたんと尻尾を揺らし、澄ました表情を作っているが相当心配してると見える。
なんとも子煩悩な父親だこと、と生暖かく見守っていたら、じろりと睨まれた。照れるな照れるな。
膝の上で欠伸をする小僧の頭を撫でながら考える。
「……ふむ、いやまあ、確かにこれでは先行きが不安だな」
以前とは逆の方向で。
今のこいつは、何というか無警戒に山火事に突っ込んでいきそうな雰囲気がして危なっかしい。これでは長生きできるか怪しいものだ。
親しいからといって群れの一員でもない人間の男にじゃれつくようでは、先行きが思いやられるというもの。
七つまでは神のうち、いつぽっくり死んでもおかしくないとはよくいうが、せっかく生き延びたのだからこのまますくすくと成長していってほしいと思う。
どうしたものかねと同意を求めて顔を上げると、目の前には真っ赤な口腔にずらりと並んだ白い牙。灰色が大口を開けていた。
ばくりといかれましたよ。すっぽりと頭を丸かじり。痛い痛い歯が当たってる涎が顔にかかってべたべたする。
何をしやがると振り払うと、今度は別の一頭が背後からのしかかってきた。……君たち、何を考えてるか知らないがこっちは割と真剣に悩んでやってるんだがね。
――――よし、決めた。
小僧の脇の下に手を差し入れ、白い身体を掴み上げる。きょとんとした顔の仔狼と目を合わせた。
「お前に、まじないをかけてやろう」
「くぅ?」
なあに、大したことではないさ。ただ名前を付けてやるだけだ。
俺がお前に名前を付けてやる。他とは違う特別という理由で。
この言葉は、この世界ではお前だけを表すんだ。きっと目立つぞ。他の狼たちや人間、周りの自然に潜むカミ達だって、一人特別なお前に一目置くに違いない。
死を呼ぶものだって、目立つお前を引き込むのは遠慮するさ。
だから頼むぞ、名前負けしないよう逞しく育ってくれ。
「――――ウォーセ。お前の名前は、ウォーセだ」
かの島国ではとうに失われ、北方の文献に遺るだけの言葉。
吼える神 の加護がお前にあるといい。
今年もよろしくお願いいたします