拒絶
「――話は分かった。もう帰っていいぞ」
ノエルから来訪の理由を一通り聞き取ったキャバリーは、そんな一言で会話を打ち切った。庵の中央にある囲炉裏に網をかけ、立ち上がるなり傍らの棚から干し肉を取り出す。
完全に目の前の二人を無視して夕飯の用意にかかろうとしている。
「ちょ、ちょっと、キャバリーっ!」
慌てたのはノエルだ。
「話聞いてたの? 私たち、ゴブリンの被害に悩まされていて――」
「聞いてたよ。でもそれ、俺には関係ない話じゃないか」
パン、と手の平を打つ音。少年の手から零れた火の粉が薪に降り注ぎ、熾り火が火勢を増していく。
「……魔王が出た。王国が倒れた。兵士が引き上げてゴブリンが増えていく。このままだと自警団じゃ手に負えなくなる。――――だからどうしたんだよ」
傍らの小さな壺から白い脂を箸で取り出し、囲炉裏の上の網に丹念に塗っていく。
「もう終わってるんだよ、お前たちは。魔王は天下を取りました、人間に為す術はありません、だから何やっても無駄だからそのうち死ぬまで大人しくしてなさい――つまりそういうことじゃないか」
「――――っ」
無感動な瞳で諦観を口にするキャバリー。淡々と無気力な台詞を並べ立てる少年の姿に、とうとうテオが我慢できなくなった。
「何をやっても無駄だと? まだ何もやってないだろうが!」
「やるまでもなくわかりきってるんだよ、馬鹿が。ここで王国と手を切ってゴブリンと対決する? まぁ勝てるかもな。――で、そのあとはどうするんだよ」
静かに問われる。理屈のわからない子供に対するような視線で見つめられたテオは、やや身じろぎしながらも答えた。
「……コロンビア半島では、廃村同然だった村が再興して大陸有数の都市に発展したと聞く。そこを治める男は辺境伯と対等な扱いを受けているのだとか。俺たちもそんな風に力をつけて、ゆくゆくは独力で魔王軍と――」
「やっぱり馬鹿だな、お前」
「な――っ!?」
ばっさりと切り捨てられた。正面から向けられる蔑みの視線にテオが激昂する。
「なんなんだお前は! さっきから人のことを馬鹿馬鹿って、いったい何様だ!?」
「くそったれなモルモット様だ。こうして偉ぶってるくせに死ぬ勇気もない、ヘタレ転生者もどきだよ。……お前らみたいに疑いもなく檻の中で生まれて消える電気信号と、どっちが上等かなんて知らないけどな」
なんなんだ、それは。モルモット? 転生者? いったい何の話をしているのだ。
目の前の少年が何を語っているのかまるで理解できない。困惑するテオにキャバリーが深々と息を吐く。陰鬱に、どこか投げやりに――――微かに羨ましげに。
「……前提条件が違う。ここと、あの半島の交易都市。成り立ち、伸びしろ、起爆剤となる材料、全てがこのド田舎と違っていて参考にならない。
一言で言うとだ。あの交易都市は、発展するべくして発展したんだよ」
キャバリーは語る。交易都市ハスカールがいかに恵まれたスタートを切っていたか。なぜ駆け出しの初っ端で躓いて燻る羽目になったのか。そして再スタートを切るにあたりどんな要因が助けになったのか。
……まるで自分がその場にいて、その目で実物を検分したことがあるかのように。
「最初の立地からして、あの都市がエルフとの交易が計画段階で念頭にあったことは明白だった。特筆できる産品はなく、大街道を通して中央から仕入れた物を輸出のネタにすることはわかりきっていた。麦にしろ魔物素材にしろドワーフの刃物にしろ、エルフの元へ届けるには人手が要って金も要る。――初期費用が馬鹿みたいに高かったんだよ、あのハスカールは」
陸路か海路か、当初の予定がどのようなものだったのかは定かではない。
どちらを取るにしても、隊商をエルフの大森林へ到達させるため護衛か船舶いずれかを充分な規模で用意しなければならない。下手をすれば交易で得られるエルフの特産品の利益を上回るほどの出費だ。主導できるのはそれこそ『王国』以外になかっただろう。
しかし計画は頓挫した。発起人である征服王が早逝し王国は再び分裂、辺境伯は半島の統治と竜騎士の統制にかかりきりになった。
下地を整えさえすれば莫大な利益を上げるエルフ交易は、こうして下地を整える段階にすら届かず暗礁に乗り上げることになったのだ。
「立地が良かった。伸びしろは十分以上だった。唯一の障害だった馬鹿みたいな初期コストはプレイヤーどもが力尽くでクリアしてのけた。……最初の波に乗せるまでが難しかっただけで、もともとあそこはああなるところだったんだよ」
では翻って、この瘴気島はどうなるのか。
「特産品はナシ、独占的に利益を得られる交易相手もナシ、珍しい魔物も特にいない、海路のノウハウを持った船乗りもいない。麦はそれなりに穫れても買い手は全員海の向こうだ」
どこから外貨を得るんだよ、と少年は呆れた顔で嘲笑する。
「思い上がるな。こんな何にもない島で、お前らがあんな風になれるわけがないだろ」
「だったら……!」
言いたい放題に貶されたテオは怒鳴った。
「だったらどうすればいいんだよ!?」
「何も。ゴブリンにでも支配されてればいい」
気のない声だった。
「人がいない、売れる物もない、武器も仕入れ先がない、援軍の伝手もない。――もう詰んでるから諦めてじっとしてろよ。飢えるまでは平和に過ごせる」
「この――――っ!」
「――――――どうせ、何もかも無駄だ」
諦観に満ちた声だった。
「……いいだろ、別に。お前の持ってる剣なんかじゃゴブリンを斬るのが精々だ。ガーゴイルにだって歯が立たないさ。……あと数年もすれば魔王がやってくる。ゴブリンがいようがいまいが、一切合財滅ぼしつくされてゲームオーバーだ」
心の折れた、声だった。
「――――っ、帰るぞノエル!」
蹴りつけるようにして立ち上がり、テオは踵を返した。……なんという期待外れ、なんという軟弱野郎だ。来るだけ時間の無駄だった。
「…………ねえ、キャバリー」
足音も荒く歩き去ろうとするテオを尻目に、ノエルが少年に声をかけた。
「…………帰れよ。話す事なんかないだろ」
「ううん、また来るよ…………でも」
無愛想に呻く少年を見る目は、
「――――あなたは、何を怖がってるんだろうね」
●
遠ざかっていく。
小さな背中。気まぐれに魔法を教えてやった少女が。
あれ以来、初めて縁を結んだ人間が。
「…………ほっといてくれよ、頼むから……」
食いしばった歯の隙間から、苦悶する声が漏れた。
「――全部、嘘だ。作り物だ。何をやっても、なにもかも」
ちくしょう、なんでこんな、どうしてオレが。
――全ては虚構、あらゆる全ては吹けば消え飛ぶ電子世界。
転生ではなかった。ここはただの牢獄だった。
すべて無駄なのがわかっていて、その上で何をやれっていうんだ。
お花見と飲酒で土日をほぼ寝たきりで過ごす羽目に……
今週の更新はここまでとなります




