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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
決断を迫る者
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とあるゴブリンの場合:後

「――敢えて言うなら、間が悪かったんだろうなぁ、チコ」


 倒れ伏すゴブリン――つい先日まで同じ男を仰いでいた魔法使いを前に、アムールの言葉が虚しく響いた。


「ま、が?」

「その通り」


 呆然と繰り返すチコに首肯する。肩に担ぎ上げた杖が酷く重く感じられた。


「これが何年か前なら――それこそ十年も前なら、誰がうちから独り立ちしようがとやかく騒ぐいわれなんかなかった。それこそ応援だってしてやれた。バーダンの野郎だって反対はしない。うちら一党で力を合わせて、新たに新居だって建ててやっただろう。

 でも今は駄目だ、駄目なんだよ、チコ。

 王国が倒れ、大陸が混沌の様相を見せ始めている。既存の勢力は弱体化し、魔王という巨悪に怯えて積極的な行動に出られなくなった。――この瘴気島だってそうだ。北の港に駐留する兵どもはケツをまくって数を減らし、指揮官のうち数人までが逃げ出す始末。島民の協力がなけりゃ税の取立てだって危ういありさまだ。

 この意味が分かるか? ――――今なら作れるんだ、俺たちの国が、ゴブリンの王国が」


 人間の軍に蹴散らされる害獣としてのゴブリンでなく、一個の勢力として独立する。混迷を極める大陸から瘴気島を切り離し、どさくさに紛れて掠め取る。今ならばそれが叶う――否、今以外に時はない。そう判断した。

 機会は一度きり。ゆえに失敗は許されない。不確定要素は念入りに取り除かなければならない。そう、断じて。


 北部の王国兵どもを追い払い、瘴気島の西半分を完全に制圧する。東部の人間どもは抗うならば殺し、従うならば農奴として従える。武器は持たせずことごとく徴発し、粗悪な農具の所持のみを許して税を搾る。

 以上をもって瘴気島の独立とし、ゴブリンの王国をここに打ち立てるのだ。


「――そのためには、人間たちに俺たちの団結を見せつけなければならない。鉄の結束、付け入る隙の無いバーダンの統率力を。

 わかるか? 今この時だけは、離反者を許すわけにはいかないんだ」

「…………」


 滔々と語るその姿に何を見たのか、チコは倒れ込んだまま黙りこくってアムールを見上げていた。

 わなわなと指先が震える。目元が引き攣り、信じられないものを見る視線がアムールを射抜く。


「…………なんで、だよ」

「チコ?」

「なんでバーダンなんだよ!? あんな奴! ちょっと力が強くて、長生きしてるのが取り柄なだけの……! 魔法だって鍬の扱いだって、オレやアンタの方がずっと上手くできるじゃないか……!?」

「――――」


 恐らくこのゴブリンに噴き上がったのは、ある種当然の不満。

 どうしてヤツなのか、どうして自分ではないのか。そんな憤懣がチコの中に渦巻いているのだろう。……アムールは軽く息をつき、言葉を続けようとして――



「どうして――――どうしてアンタ(・・・・・・・)()()()()()()()、先生……!?」



 その怒声に、思わず言葉を失った。


「――――――」

「バーダンじゃなくて、アンタなら! アンタだったら文句なんかないのに! 何も言わずについていったのに! 先生なら、せん、せいなら……!」

「チコ」

「魔法も、字の書き方も読み方も、モノの数え方も。みんな、先生が教えてくれたんじゃないか! それにオレの、オレの名前だって、先生が付けてくれたんだ!」

「――チコ」

「バーダンの奴じゃない。先生だ、先生なんだ、せんせいなんだよ……っ!」


 先生、先生、先生。教え子が師を慕う声が耳に刺さる。裏切ったのはお前なのだと突きつけられる気分になる。

 …………何を裏切ったのだろう、何を切り捨てたのだろう。

 いつの間にか誰かの期待に背いていた、その事実が背中にのしかかるような――


 顔を抑えて嗚咽するチコを前に、アムールは手に持つ杖をだらりと提げた。


「……理屈で言えば、な。あいつが、統率個体だったからなんだ」


 ゴブリンはリザードマンと同様に、極めて魔物に生態が近い。ゆえにシャーマンやロード、リーダーといった上位種も存在する。

 これら上位種の特徴は下位種以上の生命としての強靭さと、そして短命の克服(・・・・・)にあった。


「あいつは、バーダンはな。レッドゴブリンっつって、体毛が赤茶けたゴブリンなんだ。肉体的には相当頑健で、そこそこ悪知恵も働く。そして何より、他の連中よりも老化が遅い(・・・・・)

「…………」

「統治ってのはさ、時間がかかるんだよ。特に人間を相手取って一戦やらかすっていうならなおさらだ。十年二十年じゃ利かないくらい長くかかっちまう。それが政治って奴なんだ。

 ゴブリンは――ただのゴブリンは、四十年くらいしか生きられない。長く生きられて四十年だ。半数以上は二十歳を超える前に死んじまう。信じられるか? 小学校卒業で独り立ちで、大学卒業も出来ずに死んじまうんだぜ? ……そんなの、国造りの視点からすりゃ短すぎる」


 代替わりは国が衰退する最大の要因だ。いかに繁栄を極めた勢力でも、所詮は一代で築いた泡沫の夢。次世代に移れば、人も心も離れていく。

 ゴブリンからすれば事態はさらに深刻だ。親が倒れ代が移ったとしても、跡を継ぐのは小学生レベルの知能しか持たないただのゴブリン。法も掟も、運用する側の者が幼稚では呆気なく瓦解してしまうに違いない。


 どれだけ栄えても、どれだけ巨大になろうとも、頂点が代わっただけで崩れ去るような脆弱な勢力になど意味はない。

 そう考えてアムールは諦めた。残せるものなどないと、精々享楽的に生きる以外の過ごし方などないのだと。


 ――――そんなとき、バーダンに出会った。


「――あいつのガキなら、同じように多少は長命なゴブリンが生まれるかもしれない。マシな頭のゴブリンが生まれるかもしれない。……遺伝子的には間違っちゃいないんだ、もしかしたらやれるかもしれない――そう思ってあいつの傍に仕えることにした」


 だが、違う。

 それは違う。きっとその理由は、本心を己自身からも隠すための取ってつけた欺瞞に過ぎない。

 本当の理由は、アムール自身が起たず、あくまでバーダンの補佐に徹しようとした理由は――


「――――あぁ、やっぱり嘘だよ、チコ。……俺はさ、怖くなったんだ」

「せん、せい……」

「お前たちを背負うのが怖くなった。命を、未来を。こんな俺が――あと十五年もすればいなくなる俺が――左右していいのか。ゲームが終われば無責任に放り出してしまうことが怖かった」


 馬鹿みたいな話だ。たかがゲームに責任だの命の重さだの。

 所詮世界は電子の塊。リセットボタン一つで消え失せる、塵芥のような虚構だというのに。

 本当に、誰かの運命を握った気になってしまっただなんて。


「…………わがん、ねえよ、せんせい……」


 そう言って、チコは弱々しく頭を振った。


「わかんねぇ、わがんねぇよ。オレ、ばかだもん。十年先だとか、もうオレ死んでるよ。そんな先のことなんかしらねぇよ……」

「そうだな」

「いやだよ、そんな理由であきらめるなよ、せんせい。ちょっとのあいだだけでも、そのちょっとをいっしょに行きたかったよ……」

「……ごめんな、チコ。俺に意気地がなかったんだ」


 泣きじゃくる教え子を前に、ゴブリンの魔法使いは途方に暮れたように立ち尽くした。



   ●



「遠き、山に、陽は落ちて……」


 洞窟に鼻歌が響いていく。ドヴォルザークの『新世界より』。よくチコにせがまれて歌っていた歌だ。


「星は、空を、ちりばめぬ……」


 片手にはずしりとした革袋。染み出た赤黒い液体がぼたぼたと足元を濡らしていった。

 ぶらぶらと洞窟を歩く。鼻歌は洞窟で反響して、いい具合にコーラスを響かせてくれた。


「今日の、わざを、為し終えて……」


 ――首は、見せしめにする。

 串刺しにして、拠点にしている廃城の門前に晒す。これで多少は離反者も抑えられるはずだ。

 全てはゴブリンの王国のため。これは必要な処置、必要な犠牲だった。


「風は、涼し、この夕べ……」


 これは、ゲームだ。

 全ては虚構。苦しんで死んだ人間も、嬲り殺されたゴブリンたちも、自分を慕ってくれた教え子も、全ては幻。今この場でメニューからログアウトを選んでベッドから目覚めれば消えてしまう偽物に過ぎない。

 とっくの昔に割りきったことだ。客観的に事態を俯瞰し、合理的に筋道を立てる。そうでもしなければ間に合わない(・・・・・・)

 まさに箱庭、国造りゲーム。効率化を推し進めた先に義理だの人情だのが差し挟まる余地はない。壮大なストラテジーが眼前に広がり、今にもアムールが次の一手を打つ瞬間を待っている。


 これは、ゲームだ。

 ゲーム、なのに――



「――――なんでだろ。楽しくねぇなぁ、畜生……」



 道は遥かに、果ても見えず。

 それでも、走り出したからには止まれない。

瘴気島ゴブリンの人間との融和ルートが断絶されました

以降、彼らは死力をもって人間勢力と対峙します

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