それは春雷か、それとも
春、それは雪解けの季節。
長い冬に抑圧された感情は暖かな日差しにより爆発し、生まれた激情は温もりを求めて走り出す。
つまりは交尾繁殖の季節である。ちくしょー。
どいつもこいつも盛りやがって。風習に従い村の若い男どもは意中の彼女に花を届け、女が受け取った瞬間に晴れてカップル成立。初夏には合同で結婚式が開かれるのだとか。
道理で酒場にやってくる男たちがやけににやけた奴と意気消沈してる奴に分かれているわけだ。念願叶ったイケメンたち、おめでとう! そして爆ぜるがいい。夜は月夜ばかりとは限らないんだぜ。
そして身近なところからも裏切り者が出た。あの灰色である。
雪解けの前にひと狩りじゃーと山に繰り出すと、いつもの群れには偉そうにふんぞり返る灰色とそっと寄り添う白い雌の姿が。心なしか腹も大きかった。きっとそろそろ出産も近いだろう。
ブルータス、お前もか。
地面に両手をついて項垂れた。……何というか、還暦過ぎても仲睦まじい親父とお袋の仲を見た気分だ。何も言わなくても通じ合ってるっていうの? 無性に腹立たしい。そして灰色、その憐れむような視線はやめろ。
この春までに起きたことをいくつか報告しよう。
まずはギムリン、あのドワーフの爺さんである。
どうやらあの爺さん、着実に鍛冶の腕を上げているらしい。この間も鍛冶のレベルが3になったと嬉しげに言っていた。最初の頓珍漢な言動からすると雲泥の差である。
なにせあの爺さん、最初に何を思ったか炉に片手を突っ込んで大騒ぎになったことがあった。当然その左手は半分炭化していて、これは治ったとしても後遺症が残ると判断した俺が速やかに介錯、死骸は近くの海に流した。
……どうせリスポーンするんだからという効率的な判断だったのだが、鍛冶屋は素で引いていた。やはり戦鎚で頭蓋を粉砕というのは刺激が強すぎたかもしれない。
一時間後、見習い部屋から平然と帰還した爺さんに暴挙の理由を聞くと、正宗の逸話に倣ってみたと嘯きやがった。
馬鹿め、あれは眉唾物の都市伝説で、そもそもあれは炉じゃなくて焼き入れ水の温度の話だろうと言うと、だらだらと脂汗を流してそっぽを向いていた。この考えなしめ。
今の爺さんは鍛冶屋の雑用をこなしつつ、暇があれば釘やら金具やらを作っている。たまに包丁やつるはしのような鍛冶の依頼が来ると、その木工の腕を活かして柄の彫刻なんかもこなすようになった。付加価値を高めているのじゃ、との言葉だが、どれほど貢献できているのかは不明である。
次に、山賊から分捕ったみみっちい財宝の件。
全部まとめて売り払ってしまえばそれなりの額になったらしく、村に貨幣が流通するようになったというのは以前話題になったと思う。
それとは別に、略奪品の中には持ち主が特定できそうな遺留品がいくつかあったのだ。それを雑貨屋に頼んで領都で持ち主を探すように掛け合っていたのだが、つい先週にその結果が出たという。
どうにか半数は遺族が見つかり受け渡しも済んだのだが、残りは残念ながら音沙汰もなく、領都の官憲に預けておいて半年ののち誰も引き取り手がいなければ拾い主のものとなる。……多分見つかったというのは出まかせで、官憲たちにネコババされているに違いないとは爺さんの言葉だが、あのドワーフ領都でどんな目にあったのだろうか。
あの戦利品室にあった紋章付きの短剣、あれにも持ち主が現れた。領都の竜騎士の一人が大金を積んで南の森のエルフに渡りをつけて鍛えさせたものだそうで、間のリザードマンの横行する湿地帯をやっとこさ抜けて、さあこれから領都だというところで襲われたらしい。何とも運の悪いことだ。
被害に遭った騎士様からはいくらかの礼金と仕官のお誘いがあった。……なるほど山中を無事に進める人材はそれなりに有用だ。伝令にでも使おうという腹だろうか。
はっきりと断るのは後に響きそうなので、前向きに検討する形で善処させていただくとお茶を濁した返事を手紙で返している。伝わるかなぁこの日本人的な気遣い。
そして俺はというと、ついに新たな魔法、光魔法の習得に成功した。
光魔法は治癒術も兼ねているから長生きしたければ必ず習得しておけ、とは先代の言葉だが、これがなかなか難しい。
火や水、風や土のように直接見て触れられる事象でなく、あくまで間接的な存在であり、波動だったり粒子だったりと現代ですら存在が曖昧な光子である。ましてや、それを操るなど。
現代科学の知識を持つプレイヤーでも困難な代物だ。それをNPCが習得するとなれば、変態じみたイメージ力を発揮するか、このファンタジー世界で科学的思考を極めたモノホンの変態か、あるいは何かをきっかけにトランス状態に陥る位しかきっかけは掴めまい。
そしてそのラリった境地に陥りやすい職業というのが宗教家であり、この世界で光魔法が神聖視される所以だったりする。
荘厳な礼拝堂、正面のステンドグラスから降り注ぐ光は、掃除不足で舞い上がる埃に反射し光条をかたどる。光に包まれた敬虔な信徒が夢見心地に見上げると、光の中には神聖な何かが信徒を祝福するように蠢いている。……それ実はあんたが動かしてるだけだから。神託直後の脱力感もただのMP切れだろ。
――とにかく、光魔法の習得の件だ。
色々めんどくさいから狂信者にでもなってしまえと冊子には書いてあったが、残念ながらそんな理由で入信したら帰った時にお袋に殺される。神と遭えば神を斬れ、仏と遭えば仏を殺せがうちの家訓である。多分それ解釈間違ってる。
これはもう実地体験しかあるめえと一念発起。晴れた日に轟々と燃え盛る焚火を目前にして結跏趺坐。火炙りによってじりじりと減っていくHPを気にしながら、休憩を挟みつつ七日七晩耐え抜いた。
そして得ました、耐熱と火属性耐性。そっちじゃねえ。
これはアプローチの方法間違ったかもしれんと仰向けにぶっ倒れて空を見上げると、真昼の太陽が目に染みた。光が屈折して日輪を描いて見えたとき、なんでかわからないが直感したのだ。――これ、いけるわ、と。
……何とも締まらない結果だが、やっちまったもんは仕方がない。こうして俺は光魔法を習得した。
さて、以上が冬の間に起きた変化であり、今や正月などとうに終えた、新たな芽吹きの春の季節、その夜中。
俺は一日の狩りを終え、仕事道具の整備点検を行っていた。何だかんだでこの猪から作ったクロスボウも四か月以上現役だ。それも武器専門でもない村の鍛冶屋が試行錯誤しながらの作品だから、それほど耐久度も見込めない。どこか罅でも入っていれば死活問題だし、そろそろ鍛冶屋に言って本格的な整備を頼むべきかもしれない。
そんなことを考えながら作業していた時、不意に妙な音が聞こえた。
「――ん……?」
手を止めて耳を澄ます。……なんだろう、今のは。
風のように尾を引く音。まるで狼の遠吠えのような。
だがあの灰色の縄張りはこの山小屋からは少々離れている。遠くから聞こえたにしてはやけに音が大きかったような……。
クロスボウを持って立ち上がった。ひょっとしたらはぐれの狼が近くに迷い込んだのかもしれない。一匹狼は獲物を捕らえるのが難しく、飢えている場合が多い。村人を襲う前に仕留めるなり追い払うなりしておくべきか――。
やれやれ世話が焼けるぜと、誰もいないのにこれ見よがしに首を振り、外套を纏って夜の偵察だと山小屋の扉を開けると、
「――――――グルゥ……」
目の前に、そこらの虎より大きな狼が唸り声を上げていた。




