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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
微睡む半病人
388/494

枯れ木のごとく

「――ぁ、ぁあああぁぁああああっ!」


 なんたる規格外、なんたる頑健さか。

 拘束は一瞬だった。血液の大半を凍らせたというのに、お構いなしに全身の氷を破砕し、自らの筋肉すら引き千切って魔族は自由を取り戻した。


「なんっだこれぁ!? 身体中がジャリジャリするじゃねえか!」

「――――無駄に頑丈だのう」


 忌々しげに舌打ちを漏らし、老魔術師はひと息に飛びずさった。一足おきに杖先で地面を叩き『仕掛け』を施すのも忘れない。

 五歩も跳んで間合いを取り直した老人が改めて向き合う頃には、魔族は完全に凍結を砕いているように見える。


 ――否、違う。

 破れた膝の皮膚、露出する白い骨、肉が凍り付きささくれたままの断面。自在に動けるように見えて、魔族は未だ凍結から抜け出せてはいない。

 でありながらこうまで支障ない仕草で身動きできる理由は、恐らく痛み自体を感じていないからだ。

 骨が身体を支え、腱と筋がわずかばかりでも繋がっていれば、機械でも駆動させるかのごとく平然と動き回る異常な性質。在り方がアンデッドじみていながらその身体はあくまで魔族のそれという異様。


 ――――『客人』


 第六紀の統一戦争では奴隷として動員された彼らが猛威を振るったという。レベル10までは何度でも復活し敵陣に突撃する不死身の弱兵。この瞬間さえ乗り越えられれば、と心を殺した彼らは痛覚を完全に封じて戦いに臨んだのだと。


 痛覚に対する無頓着さからみて、この男は恐らく『客人』の一人であろうとオーサーは推定した。


「……とはいえ、ここまで極まっとるのは初めて見るがのぅ」

「なんか言ったか、ジジイ!」

「見た目と裏腹にのろまな足じゃといったのじゃ、ゴキブリ肌めが」

「抜かせェ!」


 怒号を上げた黒肌の魔族。――瞬間、男の足元が爆発した。

 地面を炸裂する勢いで魔族が踏み込む。目指すは老人の正面一直線に――ではなく、大きく弧を描いて老人の側面を突く軌道を取った。

 魔族が疾駆する中ちらりと視線を向ける先は、オーサーが仕込みを入れた地表の位置。罠にはかからぬと言わんばかりに嘲笑を浮かべ、手に持つメイスを振り上げて――


「五連火炎、紅蓮の光芒」


 ずぼ、と地中から引き抜いた杖先。先端からは赤い光が糸のように伸び、それを伝ってボコボコと連続して数珠なりに地中から跳ね上がる赤い球体。その数五つ。

 杖先に釣り上げられ赤熱する魔力の塊は、五つとも砲身(・・)を魔族に向けていた。


「な――がぁっ!?」


 命中。突撃のさなかの半包囲攻撃、躱すなどという思考すら湧くまい。

 黒煙を上げながら吹き飛ぶ魔族。老人は杖を振るって煙を払い、空いた手を軽く掲げて握りしめた。


「ぬ、ぐ……」


 中指の指輪にはめ込んだ宝石が粉々に砕け散る。引きかえに身体に充満していく魔力の不快感に、オーサーは低く呻き声を上げた。


 ――今の充填で中指の神経が一瞬で壊死した。どれだけ力を籠めてもぴくりとも動かない。かつてなら治癒の見込みもあったろうが、年老いた身ではそれも難しい。

 魔力薬と異なり即効性があり限界以上に補給が可能なこの手法は、代わりに肉体への負担が段違いだった。


「――――ホ。なんじゃ、指の十や二十、くれてやるわ……!」

「小細工が……ッ!」


 受け身のつもりか地面を転がって勢いを殺した魔族が立ち上がり、激昂して再び突っ込んできた。五連の仕込みは出し切った、これ以上の罠はないという判断だろう。それは正しい。

 しかし、


「――非才な身じゃが、得意な魔法くらいはあっての――」


 その距離ならば、こちらが早い。

 侮るなかれ、ここにあるのは現役最速の魔法使い。終生鍛えた高速詠唱のスキルは、一拍あれば火球を放ち、一秒あれば火竜を象る。

 ならば待ち構えた敵を迎え撃つ術式など、鼻歌まじりに用意しよう――!


 杖が旋回する。魔力の充填は済んでいる。

 杖先を浅く握り、柄頭を高々と掲げる姿は、さながら鎚を振り上げる鉱夫のごとく――


「重縛、圧潰、泰然の光芒」


 振り下ろした杖に触れた瞬間、凄まじい下向きの力がゼノンの身体を襲った。


「お、ぐぁ……!?」


 重力魔法。

 地属性の上位とされる属性。これか石化の魔法のいずれかを会得して、はじめて一流の地魔法使いとされる代物。

 確かにある意味一般的な攻撃ではあるが――――通常の五十倍(・・・)の重力に至れる使い手はそうはいない。


 一般的に、人間が耐えうる重力は4Gが限度とされる。訓練を受けた戦闘機乗りでも9G、最大でも12Gが限界である。無論これは耐G服あっての、それも瞬間的な加重の話であって、持続的にかけられる重力など考慮に入れられていない。

 ――では、一人の人間に連続的に通常の五十倍の重力をかけた場合、どうなるか。


 内臓ごと押し潰される(・・・・・・)


「が、ば、ぁあぁああああああああああぁあ!?」


 悲鳴か、それとも憤怒の怒声か。

 口から溢れ出る血塊を吐き出しながらゼノンが絶叫した。爪は罅割れいくつか骨を脱臼し、零れ出そうな眼球を閉じた瞼で必死に抑え込んでいる。下方に殺到し行き場を失った血液は皮膚の脆い関節部分から噴き上がり全身が搾り上げられようとしていた。

 今にももげようとする頭部。四つん這いに身体を支える四肢は完全に陥没して地中へ埋まった。頬を地面に押し付けられ、伸びきった舌で地面を舐めさせられる魔族に、屈辱を感じる余裕はない。


 ――――それでも、まだゼノンは生きていた。


「呆れた頑丈さだわな、魔族」


 心底呆れた口調で老人が言った。額には脂汗、杖を支える腕は激甚な疲労に痙攣し、足は今にもくずおれそうになる。


「――まだ死なんか。並ならば一瞬で潰れよう、あるいは痛みに狂おうに」

「がぁぁあぁあぁああああ! あぁあぁああぁああああっ!」


 驚くべきは『客人』ゆえの鈍感さか、それとも無駄に頑強なその外皮ゆえか、あるいはその両方か。

 もはや意味をなさない叫び声が空気を震わせる。癇癪を起した子供のように出鱈目に力を籠め、どうにか拘束から脱しようとする黒肌の魔族。

 これで倒しきれないとなれば、いよいよ打つ手がない。魔力切れがそろそろ近く、魔法を緩めればたちまち立ち直った魔族がもののついでと腕を振るい、老魔術師は一瞬で血煙と化すだろう。


 ――この場にいるのが、この老いぼれだけであったなら。


「止めを刺せい! 剣を投げよ!」


 張り上げた声は、背後に控える兵たちに向けられていた。


「剣を放り、上から落とすのじゃ! 今ならば通る(・・・・・・)……ッ!」


 ゼノンを襲う重力場、その天頂から剣を落とす。五十倍の重量をもって落ちる切っ先ならば、この硬い肌にも通用しうるはずだ。たとえ通らなかったとしても、衝撃が通るのは確認済みである。


「ギ、ァあぁああぁあ! 舐め(ぁぇ)ん、()ァァアアアアア!」

「おおぉぉぉおおおおおおおお……!」


 重力場が拡大する。ドーム状に展開されていた結界が内圧に押し広げられるように体積を増し、限界を超えて更なる重圧を魔族に叩きつけた。

 がりがりと音を立てて革靴が地面を削り後ろへと押し退けられる。自らの術式の圧力に吹き飛ばされまいと耐えながら、兵士にとどめを刺させようとオーサーは振り返り、



 ――――ばちゅん、と。

 自分の胸元から、湿り気を帯びた音を聞いた。



「――――――」


 視界の隅、背後の上空、遥か彼方に滞空する見慣れない影。

 ――――魔族。

 こちらを指差す手元には、『次弾』のつもりか胡桃大の飛礫が握られていた。

 身体を見下ろす。異音のした自分の胸元、真ん中に拳大の穴が開き、砕けた白い胸骨が覗いている。


「――なん、と……」


 杖が手から滑り落ちる。どさりと音を立てて膝が折れた。

 無念、と歯噛みする間もなく、老魔術師の意識は闇に砕けた。

明日の更新はお休みさせていただきます。

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