黒幕の茶会
錠を仕込んだ剣が三振り。ならば、鍵も三本用意するのが道理である。
一つは当事者ラスボーンに、一つは立会人ジュナ・ディーマーに、そしてもう一つは観客席に紛れ込ませた手の者に貸し与えた。
ジュナ・ディーマーはマクスウェル子飼いの小貴族だ。司法貴族の身分にはあるが、金に汚く格下の者には居丈高に振舞う悪癖がある。収賄の証拠を押さえた上でマクスウェル自身が脅し上げ、それ以来法政の面でマクスウェルが影響力を増すための手駒として働かせていた。
仕掛けに気付いた猟師が異議を申し立てたとしても、ディーマーと彼女に指名されたサクラに検証を行わせれば問題なく剣は鞘より引き抜ける。宝鍵の仕掛けなど、三者の検証によって否定したうえで勢いに任せて有耶無耶にするつもりだった。
あとは決闘の進行に異議を差し挟んだ猟師にペナルティを与えればいい。剣を取り上げて素手で戦いに臨ませるか、あるいは手枷や足枷を嵌めて改めて戦わせるか――――なんにせよ、異議を唱えた時点であの男は詰みとなる。
使用した剣も鞘も、決闘が終わる昼前には処分する算段が付いている。貴重なアーティファクトゆえに出費は痛いが、これもまた必要経費だ。……そも、あの剣は出所すらどす黒いため、残したところで表に出せない代物ではあるのだが。
遺憾なことに、剣に仕込んだ毒は強力なものにはできなかった。決闘後、死体から検出されるのを恐れたためである。
酩酊感と倦怠感、そして平衡感覚を乱す程度の薬効。掠りさえすれば毒は全身に回り、重めの風邪にかかった病人のように平常でいられなくなる。この数日碌な食事をとらせず不調に追い込んだ猟師ならば、この症状もそれ由来のものだと判断される程度のものだ。
――そう、食事。
あの猟師が口にするはずだった牢獄での食事には、衰弱を早めるための毒を仕込んでいた。生憎と全て看破されたらしく、毒の入れようのない食後の果物のみを摂っていたらしい。
不可解な男だ。口が悪く迂闊な言動が見られるというのに、最後の一線では異様なほどの勘の良さを発揮する。獣じみた危機感知は、なるほど『狼』と称されることだけはある。
あれさえ成功していれば、わざわざ剣に仕込みをする必要などなかっただろうに。
――いささか手間が冗長にはなったが、これにて仕込みは終了となる。かくして猟師コーラルは凶刃に倒れ、決闘相手であるヘイデン・ラスボーンは三か月以内に謀反の容疑をかけられ処刑される。嫌疑などいかようにもかけられる。現にラスボーンはこの数日、竜騎士を妻に迎えるからと相応しい爵位への陞爵を望んで不穏な動きを見せていた。叩けばいくらでも埃は出よう。
遺された竜騎士は時機を見た上でロドリック王子への輿入れを申し入れることになるだろう。一介の貴族、それも一度は没落し領土を失った辺境貴族から次期国王の側妾だ。断る術などありはしない。
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王都の街中にある商業区、その何か所にはカフェテリアが存在する。
屋外のテラスで茶と軽食を楽しむための喫茶店である。ささやかな雛壇で楽士が思い思いの楽器をかき鳴らし、たまに来る大道芸師が曲芸を披露し客の目を楽しませていた。
中世の世界観にそぐわないその外観は明らかにプレイヤーの手によるものであり、そんなものが現在に至るまで存続していることこそ、王都の治安が安定していることの証左だった。
主に来る客層は懐に余裕のある貴族、あるいは豪商の類だ。楽士たちの奏でる音楽が周囲に響き渡るこのカフェテラスは、客同士の会話を周囲に漏らすことなく容易に掻き消してしまう。
――早い話が、密談に向いた席であった。
「あらあら、始まったみたいねぇ」
テラス席の一角に、一組の男女が腰掛けていた。
一人は王国宮廷魔術師筆頭マクスウェル。公務の際身に纏うローブと異なり、今は軍服然とした服装とその上に外套を着けている。人相がわからないようにフードを目深に被り、俯きながら深く座り込んでいた。
もう一人は見慣れない女だ。露出の多い服装に波打つ金髪、豊満な身体つきはテラスの柵越しに道行く男たちの誰もが振り向くほど。彼女と一夜を共にするならば、全財産を擲つ男もいるに違いない、そう思えるほどの美女だった。
妖艶な美貌を持った女は、血のように紅い瞳で右手に掲げ持ったオペラグラスを熱心に眺めていた。オペラグラスの向く先には何があるわけでもない。ただの虚空を見つめ、女は妖しく笑って見せる。
「――――あらあら、ヘイデンとやらもお手柄じゃない。彼、あの猟師に傷をつけたみたいよ?」
「…………そうか」
言葉少なにマクスウェルは答えた。強いて無表情を装ってはいるものの、眉間に深く入った皺は滲み出る嫌悪感を隠しきれていない。叶うならば早々にここから立ち去りたい、というのが本音だった。
……傷をつけた。だから何だというのだ。
あれだけお膳立てをしておいて、なすすべもなく猟師に倒されたなどと言う報告など認めない。仮にも近衛軍の小隊長を務める身分ならば、歩兵弱卒の半島で名が通っている程度の猟師など、容易く降すくらいはしてのけて貰いたいものだ。
「驚かないのね。あのコーラルに優勢を保ってるだなんて、うちの小蝿ちゃんが聞いたらきっと羨ましがるわ?」
「貴様らの内情など知ったことではない。この決闘も、既に結果の見えた茶番に過ぎん。わざわざ神経を割くまでもない」
「ふぅん、ノリが悪いんだぁ?」
オペラグラスをずらしてマクスウェルを覗き見た女は、何がおかしいのか含み笑いを漏らした。神経を逆なでする笑い声に、マクスウェルはますます不快感を隠せなくなっていく。
「……善戦しているようで何よりよ。アタシとしても、わざわざ手間をかけて剣を用意した甲斐があったというものだわ」
「用意した、か。貴様のやったことといえば、私が軍から流した装備に手を加えた程度だろう」
「あらぁ? それだってやる側からしたら大変なのよ? 剣の強度を損なわないように毒を焼き入れて、更に鞘には宝鍵の付呪。三日間の仕事にしてはほとんど突貫工事だったんだから。
ま、でもアタシがじかに働いたわけじゃないのですけど?」
「……処分は、本当に任せていいんだな」
「もちろん。お任せいただいて構いませんのことよ、筆頭さま。モノはもちろんのこと、関わった人間の記憶に至るまで、一切合財痕跡を消したうえで撤収いたしますわぁ」
ちろり、と真っ赤な舌を覗かせて唇を舐めた女は、芝居がかった仕草で肩をすくめた。通りすがった給仕に茶のおかわりを要求し、王侯貴族のように悠然と構えている。ポットを片手に茶を注ぎ終えた給仕は、礼代わりにニコリと女から向けられた微笑に顔を赤らめて下がっていった。
上品な手つきで茶器を口に運んだ女は、うっとりと息を吐くと茶器を机に戻し、意味ありげな視線でマクスウェルを眺めやる。
「…………なんだ、その目は」
「いいえぇ。だって可笑しいじゃない? こうしてあなたとアタシが向かい合いでお茶を頂くだなんて」
殺気すら籠ったマクスウェルの視線に動じることもない。女は余裕ぶった仕草で今度は茶菓子に手を出した。
「いえ、本当は駄目元だったのよ? あなたに誘いをかけたときは。……てっきりにべもなく断られた上に、殺し合いになるかもと思っていたもの」
「本来ならばそうしていた。誰が貴様などと取引に応じるものか」
「あらコワい。――でもあなたは今、こうしてお相手をしてくださってるわ?」
「……大場より急場を取ったに過ぎん。今の貴様よりも、貴様の煽り立てたこの騒動を治めた上であの猟師を殺しておく方がよほど重要だと判断したまでだ」
苦渋の判断だと魔法使いは語る。事実その顔は憤怒と後悔に歪み、今にも殺さんばかりの視線を女に叩きつけていた。
「だが逆に、貴様があの猟師に関心を持つ理由がわからない。
――――魔族カーラ。貴様は何を思って奴を狙った。奴はそこまでの男なのか」
「――――――――ふふっ」
宮廷魔術師の問いかけに、金髪の魔族は淫蕩な笑みを浮かべた。




