問題:道連れは誰でしょう
「F●●K’IN SH■T!!!」
十月も上旬を過ぎれば山野は秋の深まりを増していく。中央部以外は四季の変化に乏しいディール大陸もそれは同様で、日増しに森の緑が焦げた色に移り変わっていった。
当然それは気温の変化も同様で、もはや夜の冷え込みは外套抜きではとても過ごせないほどの寒さだ。大陸北部では次第に人の出入りも少なくなり、住民は必要最低限しか外を出歩かなくなる。
北東の半島、コロンビア半島は特にそれが顕著である。
厳冬の季節は言うに及ばず、まだ秋に入ったばかりのはずの十月ですら緯度によっては雪がちらつくほど。中でも山間部の集落に居を構える住民はもっとひどい。年越しから二週間は完全に雪に閉ざされ、外部との連絡が遮断されてしまうというのだから恐ろしい。
とはいえ、そんな悪環境でも慎ましくも生き延びて年貢を納められるほどの農耕を可能にしてしまうあたり、人間というのは逞しくできているものだ。
しかし――
「GODDAMN SHIT!! ふざけるんじゃないわよクソが!」
「あの……」
何事にも限界はある。極北に住むイヌイットに農耕が不可能なように、あるいは今や毒性ガスが充満して不毛の地となったポーランドの一部のように、人間にも適応しきれない極限の環境というものは存在するのだ。
だから――――そう、これはいたって普通の反応なのだ。
吹きつける寒風は体温を端から根こそぎ奪い取り、顔面に叩き込む風は目を開けることすら難しい。膝まで届く積雪は屈強な男の脚力すら阻んでみせる。たまに溶けた雪が固まって表面が歩けるかという部分があるが、足を踏み入れた瞬間ずっぽりと嵌りこんで抜け出すのに多大な労力を必要とする。
こんな場所に取り残されれば最後、残されるのはたちまちの凍死だった。
「ちょ、大丈夫なんですか副隊長!?」
「大丈夫に見えるなら眼科か脳神経外科に行けっての! こんなんやってられるかバーカ! WHAT’S THE FUCK’IN COLD!!!」
伏字なんか知るか。
部下の気遣いの返事に使い慣れてもいない英語で罵詈雑言を吐き散らす程度にエルモの気分は最低だった。殺人鬼もかくやという目付きで辺りを睨みつけ、口を開けばどうしてこんなことになったのかと運命を呪う喚き声ばかりが飛び出てくる。
はっきり言って、すぐにでも帰りたい。
――ここは、コロンビア半島最北部。万年雪に閉ざされた北方の果て。視界の遥かに北辺海が望める秘境も秘境。
彼女たちが到着するまで、人類未踏の土地にして気性の荒い魔物がひしめくように跋扈していた危険地帯である。
エルモは部下の猟兵一個小隊を引き連れ、ある目的のためにこの極寒の北辺に辿り着いていた。
「私言ったわよね!? 寒いところは苦手だって! 冬は暖房がガンガン利いた部屋で炬燵にくるまってたい派だって! ……それがどうしてこうなるのよ!?」
エルモの服装はいつものそれに輪をかけて着膨れを起こしていた。何重にも巻いた足巻きに、マフラーは特大サイズを巻き付けて首の場所がわからない。金に糸目をつけずに買い込んだ羽毛を放り込んだダウンを纏い、腕の太さなんかは素の三倍はあろうかというほど。
彼女のこの有様を見てモリゾー呼ばわりする人間などどこにもいまい。もはやエルモはそのような名状など通用しない域にまでサイズアップを成し遂げていた。
毛皮のフードとマフラーで限界まで顔の露出をなくし目元がわずかばかり除くだけなのだから、これで彼女が何者かを一目で看破できる者などいないに違いない。
ちなみにあまりの布量のために声がくぐもり、誰かと話すときは怒鳴るくらいの声量が必要になった。そのことがますます苛立たしい。
さらに言うなら、数年前鹵獲したリザードマンの胸当て懐炉はとっくに使用済みである。つまりこれ以上の防寒対策は『慣れ』以外に無い。
――――と、
「あー、どこかで見たことあると思ったら、アッガイじゃねえっすか」
「あぁぁん!?」
どこからなしに聞こえてきた能天気な感想。ギン、と眼光を怒らせてエルモが振り向けば、ぬぼーと何も考えてなさそうな面構えでふらふらと立ち尽くす男が一人。
「だァれが頭でっかちでずんぐりむっくりですってェ!? 言うに事欠いてそれかこのなんちゃって博多忍者がぁ!?」
「いやいやいやいや! 色合いとシルエットの話ですって! それと忍者じゃなくて騎士だっていつも言ってるじゃないっすか!」
「はいはいグリフォンライダー(特技:一揆)ね、良く知ってるわ! ――肝心のグリフォンが影も形もないけどね!」
「こんなとこにグリなんか連れてこれるわけないじゃないっすか!? 羽が凍っちまう!」
相棒を連れてくることができずに徒歩で雪原を行き、鎌と竹槍を装備するその姿は紛うことなき百姓民である。
エルモの揶揄に堪え切れず、タグロはたまらず悲鳴を上げた。
「大体俺ってくる必要あったんスか!? 馬すらいない北の果てなんてグリフォンライダーが役立つ場面なんかないでしょ!?」
「別に騎乗スキル持ちが要るってわけじゃないわ。必要なのはインベントリのあるプレイヤーよ」
「まさかと思ってたけどほんとに荷物持ち!? 食糧やら野営道具やらやたら詰め込まされるなーと思ったらそれか!」
今明かされる衝撃の真実。今更気づくなんて遅いわ馬鹿め、とエルモは舌を出そうとして――――やっぱりやめた。濡れた唇から体温が抜けて凍り付くに決まってる。
ここは不用意な動きが生死を分かつ極限の極寒地獄。下らない駄洒落に費やしてる暇などないのだ。
「――無駄な体力を使わせないでよね、この素人が」
「理不尽過ぎっす!? ……素人玄人いうならますます俺がいる意味なくねっすか!? ドワーフのあの爺ちゃん連れてけばいいじゃん!」
「ギムリンがこんな所に来たがるわけないでしょ。それにあのジジイ、戦闘に関しては場末の喧嘩が精々のド素人だもの。下手すれば戦闘になるっていうのに来たところで邪魔になるだけよ」
「猟師が返ってくるの待てばいいじゃん!」
「これ以上寒くなったら私が死ぬわっ! この服装ただでさえ動きにくいのにそれ以上とか潰れるわよ! それともアレなの? あんたが私を背負って歩いてくれるわけ!?」
「ひっでえ……!」
ぎゃあぎゃあとひとしきり喚きあって満足したタグロとエルモはどちらともなく引き下がった。お互いにぜいぜいと肩で息をして意味のない疲労感に浸っている――――と、
「…………あの、すんません。だったら俺はなんでいるんでしょう……?」
疲れ切った目つきで肩を落とし、無気力に質問をエルモに向けてくる男がまた一人。
ハスカールの薬師、ビョルン氏(37歳独身)である。
「俺、要らないですよね。特に剣の腕があるわけじゃないし、『ご客人』みたいに便利な力が備わってるわけじゃないし、つーかただの薬師だし。…………こ、こんな、凍え、死にそうなとこ、にくる理由って……」
「あら、そんなのきまってるじゃない」
紫色に罅割れた唇、疲労と悪寒でぶつ切りになる言葉、挙手した腕はぶるぶると震えている。
今にも倒れそうな様子のビョルンに向けて、エルモはあっけからんと答えてみせた。
「そんなの――――――薬膳鍋を作ってもらうためよ」
「………………………………え?」
その瞬間、目の前にいたタグロはおろか、周囲の猟兵全員が絶句した。
「…………は?」
「へ?」
「何言ったのこの姐御? なに? 何言ったの?」
「聞き間違いだよな? 今薬膳鍋って聞こえたんだけど違うよな? 山菜鍋とかの間違いだろ?」
口々に否定の言葉を漏らす猟兵達。それら全員をごく普通に無視し、エルモはビョルンの肩を掴む。
「ここは寒いわ、とても寒いの。わかるわねビョルン君」
「いや、それは――」
「体を冷やした状態から急に戦闘になれば、筋は固くなるし脚はもつれるし思うに動けない。怪我でもすれば低体温症でそのまま永眠しかねないわ。わかるわねビョルン君」
「それはそうですけど――」
「つまりこの北の果てを旅する私たちには、身体を芯から温めてくれる料理が必要なの。つまり薬膳鍋、わかるわねビョルン君」
「でもそれって――」
「わかるわね、ビョルン君……?」
「――――――」
ぎちぎちと肩をへし潰す勢いで握力が強まっていくエルモの両手。『鋼角の鹿』随一の強弓を引く指力は伊達ではない。顔を蒼褪めさせた薬師は声もなくがくがくと頷いた。
「――――まぁ、そういうワケだから」
くるりと部下に向けて振り返ったエルモ。ハスカールの将来のための命令とはいえ不本意極まりない任務に駆り出され、大嫌いな極寒の地に放り込まれた猟兵副隊長の機嫌はすこぶる悪い。
任務を放り投げてきやがった我らが隊長は、今頃驚異の鈍感と難聴力を発揮させつつ若紫のごとく手塩にかけて育てた恋人と、嬉し恥ずかしの王都デートのまっさなかだ。
……楽しんでいるんだろうな、きっと。
街中のカフェテラスとかでおそろいのカップでお茶したり。
流行の仕立て屋で色々服を試着してみて、『これ、似合ってますか?』とかやってみたり。
仕事帰りは二人並んで腕を組んで、肩に頭を乗せて一緒に歩いたり。
そんな中、あのクソ猟師に仕事を押し付けられた自分は、今こうして寒さで死にそうになっている。
……あぁ、なんというか、とても――
――――とても妬ましい。
顔を引き攣らせる猟兵達に向き直ったエルモは、にこやかな笑顔の下にどす黒い感情を隠す様子もなく控えさせていた。
曰く――
「怪我したり調子が悪くなったらすぐに言いなさい。彼が腕によりをかけた鍋をご馳走してくれるそうよ」
――――お前らも酷い目に遭え。
今週はこれにて。




