とある軍師の場合
「な、に……!?」
信じられない思いでドロクは呻いた。あまりの驚愕に酩酊感など吹き飛ばされている。
ばれる筈の無い秘密が暴かれた――――そんな驚き、ではない。
書いていない。
こんな書簡など、書いた覚えなどまったくない。
ドロクは確かにファーティマを除こうとしていた。新たなカガンの外戚として腕を振るおうとしていた。
だが、それはあくまで砂漠内で完結していた話だ。断じて外部の――――それも、憎むべきファリオン騎士団と繋がってまでやろうとなどはしていない。
だというのに。
だというのに、どうしてこの書簡にはドロク自身の筆跡で騎士団に当てた書面が書かれているのだ……!?
「どうしましたぁ? 顔色が悪いですよぉ?」
ぐわんぐわんと耳鳴りがする。目の前の男の声がどこか遠くで聞こえるほどだ。
「そうそう、この手紙の話なんですけどね。去年……いや、確かもう二年前か? どっちだったっけ? ……まぁとにかく、数年前に暗殺教団が壊滅した事件があったでしょう?」
いきなり何の話をしているのだ。今はそんな戯事に付き合っている場合ではないというのに。
唐突に話題を切り替えたロレンスにドロクは目を向け――――絶句した。
笑っている。
男はニタニタと音が出そうな笑顔で、ドロクを凝視していた。
「あの教団、壊滅したといっても生き残りがいましてね。表立った残党狩りなんてどこもやってないんで当然といえば当然なんですけど。……まぁとにかく、死んだプレイヤーが掲示板越しに警告したらしく、数人のプレイヤーとそいつの取り巻きの構成員が徒党を組んで生き残って、私のところまで流れてきたんですよ。速攻で契約書にサインしましたね、子飼いの諜報員とか喉から手が出るほど欲しかったところですし。
で、めでたく抱え込んだアッサシーンなんですけど、その中で珍しい技能を持った男がいましてね。……なんでも、筆跡の偽造ができるっていうじゃないですか!」
「貴、様ぁ……ッ!」
先ほどまでの醜態などなかったかのように饒舌に語るロレンス。流れるような弁舌を聞いて、ドロクはとうとう何が起きたのか理解した。
――つまり、こいつは。この男は。
あの小娘を裏切る気など元から無く、最初から自分を陥れる気で。
裏切り者の濡れ衣を着せて粛清するために、わざわざこんな手の込んだ真似を。
「ロレンス、貴様謀ったか……ッ!」
沸き上がる怒りのままに立ち上がり、ドロクは腰から剣を引き抜いてロレンスを斬り殺そうとする。しかし、
「無駄ですよ、ドロク殿」
「な――――がっ!?」
動かない。
勢いよく立ち上がろうとしたドロクの脚は、しかし彼の意識に反してぴくりとも動かなかった。
愕然とする。いくら力を籠めようと、膝を拳で殴りつけようと、ドロクの脚は胡坐をかいたまままるで動く気配を見せない。
まるで、下半身が石になってしまったようだ――
「まさ、か……石化の魔法……!?」
「ご明察。気付かれないようにかけるのは苦労しました。おかげで時間がかかるのなんの」
いけしゃあしゃあと言ってのけ、ロレンスはドロクの剣をさっと抜き取って立ち上がった。
「土魔法には自信がありましてね。師匠から皆伝貰えたのは特にこの石化の魔法でして。今の状況におあつらえ向きでしょう? ……いやはや、ここ数年で一番の胸糞タイムでしたわ。下心満載な中年オヤジと密会ですぜ。いつ尻を掘られるかと不安で不安で……え、そういう趣味は無い? そりゃよかった」
「っ、くぁ……」
能天気な男の声。しかしドロクにそれを聞いている余裕などなかった。
自由にならない身体、足先から痺れたように感覚が消えていく恐怖感。耐え切れずに助けを求めて声を張り上げる。
「だ、誰か……! 誰かある……!」
「無駄って言ってるのになぁ……」
誰も答えない。現れない。何かあれば、ドロクが声をあげればすぐさま駆けつけるはずの護衛のものまで、誰も。
「残念ですけど、詰みってやつです。あんたの周り、とっくに手を回してあるんですわ。使用人も護衛も、普段から懇意にしてるあんたの副官も、みーんなこの件について了解を貰ってるんです。死ぬしかないんですよ、ドロク殿」
「な、ぜ……! 何故、だ……!?」
「んー、理由? ちょっと言いづらいんだけどなぁ……敢えて言うなら……」
敢えて言うなら、間が悪かったからじゃないですかね、と男は嘯く。人を殺すというのにあまりにあやふやな理由に、ドロクの頭が真っ白になった。
「ま、だと……!?」
「いやほんとに。……御無念はお察ししますよ? でもあんたには死んでもらわなきゃならない。姫様がカガンとしてやっていくには、幼い頃から支援してきた有力者であるドロク殿がどうしても邪魔になる。実際、バーリ周辺のゼンどもは姫様よりドロク殿の言うことを聞くでしょう? ――――地盤が固まってないうちから双頭政治なんて、冗談じゃない」
「――――ッ」
その時、ドロクは初めて目の前の男と目を合わせた。
冷徹な瞳、酷薄な視線に息をのむ。……先ほどまで酒を飲んだくれて醜態をさらしていた男とは到底思えない。
まるで、得体のしれない化け物と相対した気分だ。
……あぁ、腹から下の感覚が、もうない。
「やめ、たすけ……!」
「残念ですよ、ドロク殿」
心底無念そうに首を振り、ロレンスはドロクの耳元に口を寄せた。
「この酒宴の初めに、きっぱりと謀反を断っていただきたかった。そうすれば、本当に信頼できる側近として姫様も迎え入れたでしょうに」
「あ…………ぁ…………っ!」
身体の末端からじわじわと浸蝕する石化の魔法。それが心臓にまで達した瞬間、ドロクの意識は闇に呑まれていった。
●
問題です。
初対面の褐色黒髪美幼女に舌足らずな声で「お馬さんになって」と言われた場合、どうしますか?
それが答えだ。
「――ふぅ……」
天幕を出た途端、肌寒い秋の風が身体を吹き抜け、思わず身震いと溜息が零れ出た。
左手には愛用の樫の杖。杖の頭に付呪を施したエメラルドをはめ込んである。
魔法の補助に用いるもので、別になくとも支障は特にないが、あったらあったで便利程度のマジックアイテムだ。だがロレンスはこの杖を肌身離さず持ち歩いている。彼の主君から贈られたものであるし……それになにより、あった方が魔法使いとして気分が出る。
天幕の中には、石像と化したドロク・ゼンが鎮座している。恐怖に引き攣った表情で固まっていて、見ていて非常に気味が悪い。そのうち本当に動き出しそうなリアリティである。
通常なら、石化を解けばかけられた人間は元に戻る。多少の後遺症はあるが、冷凍睡眠の後のように蘇るのが常だ。
だが、ドロク・ゼンの場合はそうはいかない。
念入りに、額の部分を杖で砕いた。ごっそりと。
こうして頭部を欠損させたなら、たとえ石化を解いたところで即死は間違いないだろう。
「――ロレンス殿」
「ん」
天幕の入り口の傍らに、一人の男が膝をついていた。
黒ずくめの衣装、腰に差した短めの曲刀。身に着ける金属類は最小限にして、その上艶消しの塗料を塗って目立たなくしている。目元のみを露出させる黒頭巾から炯々とした眼光が覗いた。
呼び止められたロレンスは振り返ることもせず、軽く目を瞑って問いかけた。
「首尾は」
「委細差し障りなく。ドロクの親族、三親等にいたるまで誅殺いたしました」
「そうか。……アルティングルはなんと?」
「頭領は……バーリの屋敷以外に、本当に親族がいないのか裏を取ってくる、と。どこに隠し種がいるか知れたものではないからとのことで」
雇用関係を結んだプレイヤーの念の入りように、ロレンスは思わず息をついた。
……アルティングルは、暗殺者としての実力はそれほどではないと自称していた。事実白兵戦の技術は中の上がいいところで、正面から来るならばロレンスでもどうにか凌ぐことができる。距離を離したところで土の槍で串刺しにできるだろう。
だが、それ以上に用心深い。気を抜かない。
確実にやれると断言した仕事は必ずやり遂げ、未確定な情報はその旨を必ず確認してから上げてくる。そのプレイヤーのおかげでロレンスの負担がどれほど減ったことか。
二年前にあった暗殺教団壊滅事件を生き残ったのは伊達ではないのだと思い知らされる。
「……さあ、ここから忙しくなるぞ」
これ以上忙しくなるのかよ、畜生。
思わずぼやいた内心と裏腹に、ロレンスは声を張り上げた。
――新たなるカガンは頭抜けた力を持たなければならない。それは軍事力であり、それを支える財力でもある。ならば、彼女に次ぐ実力を持った領主など無用。
バーリ水源には代官を置き、カガン・ファーティマの直轄とする。それまでドロクが行ってきた関税を撤廃し、商人の行き来を活発にする。
二つの大きなオアシスの間で流通が活性化すれば、その間にある小水源も連鎖的に景気が上向くはずだ。
ドロクの元副官にはしかるべき役職を用意した。今まで以上の規模の兵を率い、今まで以上の広さの土地の経営を経験してもらう。
有能で野心のある人材は扱い方さえ心得ておけば裏切ることはない。常に目の前に食べきれないほどのご馳走をぶら下げておけばいいのだから。
何年か後、野心を満たした男が更なる地位を求めて牙を剥くかもしれない。しかし、それを抑えきるのは主君の器量というやつだ。正直そこまで面倒は見きれない。
「一年だ。一年以内に砂漠を纏める。その上で――」
その上で、何をするというのか。
人知れず自問し、砂漠の軍師は自嘲気味な笑みを浮かべた。
何をするのか、だと?
決まっている。乱を呼ぶのだ。
それが、彼女の望みであるならば――――
秋風が吹き抜けた。
叩きつける砂漠の風に、思わず身を竦めた。
何かに導かれるように空を仰ぐ。
黒々とした夜の空、煌々と砂漠を照らし上げる目の醒めるほどの星々。
伸ばした手は、何も掴まない。
掴めなくても構わない。そう思う。




