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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
恋のから騒ぎ
323/494

とある副団長の苦悩:後

 よくよく考えてみれば、ルッツのあの激励のような茶々入れのようなけしかけの言葉は、やはり面白半分の悪戯であったと結論するのが妥当といえよう。

 泣く子も黙る『鋼角の鹿』副団長をいかに不慣れな色恋事とはいえ狼狽えさせようとは、あの少年も中々肝が据わった振る舞いである。

 これはもう彼の漢気を見直して、普段の鍛錬の難度を一段階上げてみるのがいいだろう。


 ……別に、年齢半分以下の子供に手玉に取られて腹が立ったということはない。ないったらない。


「――――なるほど。いつもの数倍落ち着きを失ってるのはおおよそ理解した。……で、一体俺に何の用だ?」


 そう言って、食卓に腰掛けた猟師はじとりとした視線をウェンターに送ってきた。

 紅い髪を適当に後ろで縛り、ゆったりとした平服に身を包んでいる。羽織った赤銅色の外套が床に垂れ下がり、足元の白狼がじゃれついていた。


 銭湯でルッツにからかわれた数日後、日の暮れた酒場での話だ。

 あれからどうにもエリス宅へ夕飯をお邪魔しに行くのに気が引けたウェンターは、ここ数日はハスカールの酒場で夕食を摂っていた。そこで偶然猟師の姿を見かけ、つい奢りという形で同席することを持ちかけたのである。

 内心ダラダラと冷や汗を流しながらウェンターが銭湯であったことを話すと、ただでさえだらけきっていた猟師はますます目を据わらせてやる気を失っていった。

 そして聞き終わるや否や開口一番その一言。心が挫けそうだ。


「何の用って……その、あの……き、求婚したものか、と」

「ほう? むしろまだ告白のひとつもしてなかったものかと俺の方がびっくりだが」


 得意の皮肉がぐさりと刺さる。相談相手の人選を間違えた気がしてならない。

 しかしそれも仕方がなかった。ウェンターの立場は特殊で、それを理解したうえで助言してくれそうな人間は限られている。


 プレイヤーという、いずれ帰るべき故郷(リアル)がある存在のことをきちんと理解している人間、という意味で現地人は除外。

 出来れば同性に相談したいことであるためエルモは除外。というかあの通販狂いに恋愛相談などできそうもない。

 同じくギムリンは開発チートにしか興味がなく、さらに年を食い過ぎて価値観が違い過ぎる。

 タグロは酒の席だと方言丸出しで何を言ってるか理解できず、同時期に街に棲み付いた白頭鷲は獣で言葉が通じないことをいいことにそっぽ向いて全無視である。メッセンジャーだけやってやるという意志表示か。

 領都の方には辺境伯に仕える魔法使いがいると聞くが、そこまで親しくない上に奇行が目立つと評判でお近づきになりたくない。


 するとどうだろう。同性で、比較的真っ当な感性の持ち主で、かつウェンターより人生経験が豊富そうな人材となると、それこそ目の前の男くらいしか該当する人間がいないではないか。

 苦渋の判断、背に腹は代えられぬと断腸の想いで悩みに悩んでの相談だった。


「何やら不愉快なことを考えている顔つきだが……まぁいいか。

 しかし、恋愛相談なぁ…………言っとくが、俺もそんなに経験豊富というわけでもないぞ」

「そうなのか?」

「そうだとも。異性にモテたことなんてほとんどないな」


 言って、猟師は軽く顔をしかめつつエールの入った酒杯を舐めた。


「成人してからは仕事一筋だったし、学生時代はお世辞にも愛想のいい性格をしてなかった。周囲からはいつも一歩引かれてたっけ」


 代わりに同性からはやたらモテたな、と乾いた笑いが漏れる。一体どんな人生を歩んできたのだろうか。

 ……そう言えば、この男がこのゲームを始める前のことをウェンターは何も知らなかった。エルモやギムリンのように出身地や学生時代の専攻くらいはポロリと漏らしてもおかしくはないのに。

 猟師自身が語りたがらなかったというのもあるが、周囲の人間も誰も彼もがそういった話を避ける傾向にあったように思う。今更ながらウェンターはそのことを不思議に思った。


「――あぁ、俺の話なんぞどうでもいいか」


 物思いにふけるウェンターをよそに、猟師は気を取り直した様子で居住まいを正した。


「恋愛相談といっても、俺も御大層な人生を歩んでるわけでもなし。大したアドバイスは送れん。……ただ、いささかの年長としてささやかな助言くらいはできるだろう。

 ――――心算(・・)は固めておけ」

「心算……」


 それは、どういうつもりで言った台詞なのか。

 訊ね返したウェンターに猟師は言った。


「……ここがゲームなのか、実はそれに見せかけた別の『何か』なのか。判断することは難しい。だが事の本質はそんなところにはない。リアルでさえ現実と胡蝶の夢を見分ける術がない以上意味のない考察だ。だから、たかがゲームに本気になるなとか、そんなありきたりな忠告なんぞドブにでも棄ててしまおう。

 だが似たような言葉は身に刻んでおくがいい。――――俺たちは、あと十五年もすればここからいなくなるということを」

「――――」


 『客人』と。

 この世界の人間はプレイヤーをそう呼称する。

 最後までともには歩めぬ異質な旅人。

 どんなに事績を残そうが、所詮は三十年程度で世界から姿を消すまろうどに過ぎないと。


 ……いつの間にか忘れていた。十年以上も過ごすうちに、こんな生活がいつまでも続いてくれるのだと思い込んでいた。目を逸らしていた。

 近からずとも遠くない未来だ。それでも直視すれば、あまりのもどかしさに一歩も動けなくなりそうで。


「子供は作れるらしい。――知ってるか? 辺境伯の血筋にはプレイヤーのそれが混じってるんだと。まぁつまり、人生を謳歌するに不足はあるまい。だがその分――」

「……別れは、辛くなる」


 その通り、と猟師は頷き、静かにに酒杯を傾ける。


「つらいぞ、きっとつらい。回収間際の問題作だ、一度別れたら再び会うなんてできるはずもない。永劫の別れだ」

「だから、後悔の無いように過ごせと? いつ万が一が起きて、未練を残したまま日本に帰ることがないようにって――」

違う(・・)


 ウェンターの言葉を遮って、男は首を振った。


「未練を残さない。後悔の無い人生。――そんなことは当たり前(・・・・)だ。わざわざ語るまでもない。そんなもの、やろうと思ったってそう簡単にできるものじゃないんだ。

 俺が言いたいのはね、若者。この全てが終わっても、()を始める心積もりでいろと言うことだよ」

「次……?」


 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

 問い返したウェンターに猟師は鼻を鳴らし、


「まさかお前、新卒社員の分際で枯れた人生を歩む気か? 人生残りの半世紀を、ここに残してきた家族に操を立てて無為に過ごそうと思ってるのか? それじゃ彼女たちも報われまいよ。

 頼むから、これが全てなどと思ってくれるな。この別れに絶望なんてしてくれるな。――ここから去っても、俺たちには故郷での生活が待っているんだから」

「――――」


 人生は始まったばかりなのだと猟師は言う。ここを去って帰還しても、ウェンターはあくまで就職して数年もたたない若者で、再び誰かと恋に落ちることもあるだろう、と。


「囚われるな、とは言わない。それは時間が解いていく鎖だからだ。――だが区切りをつけろ。大切なものは大切だったと心の奥に仕舞い込んで、ときたま取り出して思い出に浸るくらいが丁度いい。引け目を感じることなんかどこにもないんだ。

 生きているんだ。思うさま駆け抜けて、力の限り戦うものだ。…………そうとも。生きているなら、前に進まないと」

「コーラル……」


 茫とした瞳だった。まるで自分に言い聞かせるような猟師の言葉に思わず言葉を失う。

 ウェンターの視線に気づいた猟師は僅かに苦笑し身じろぎした。


「――む。酒が入り過ぎたな。どうにも最近、夢見が悪いせいか繰り言が増える。身体の調子は良くなってきてるのにな。――――まぁ、とにかく、だ。

 思うように生きてみなさい。今も、そして次の生も。惚れた相手が前を向いて生きるのを、わざわざ咎める女はいないさ。

 いつまでも拗らせたまま引き摺り続ければ、どこぞの下らん馬鹿女のように膿を溜め込む羽目になるぞ――――」


 壁に立てかけられた燭台から放たれるオレンジ色の光が、猟師の横顔を照らし上げる。

 顔に斜めに走った歪な陰影が、まるで傷痕のように揺らめいていた。

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