リザードマン、その秘術
一にも二にも速戦あるのみ。
ソルの提唱する対エルフ戦、その基本骨子はまさにこれに尽きた。
数度の斥候、そして掲示板でのエルフの発言を観察していれば、彼らの戦術がどういったものなのかはおおよそ察しがついた。
機動防御戦術。本隊を後方に置き、要請があった時に出動させ突出してきた敵を撃つというもの。
いうなれば現代のJIT生産システムに似ている。『必要なものを、必要な時に、必要なだけ』用意する。余分な在庫――遊兵は持たないし、回数を重ねれば効率化し洗練されていく手法である。
しかし、それはあくまで工程を担う人員の疲労度を度外視した場合の話だ。極限まで無駄を削ったということは遊びが少ないということでもあり、事態の急激な変化に対応しづらいという欠点を抱えている。
限界は必ず存在する。『機動防御』と洒落た文言で飾り立ててはいるが、所詮数的劣勢を質で誤魔化そうとひねり出した苦肉の策であることに変わりはない。戦況を決定する要因とはそのものずばり『数』なのだから。全ての戦域に十分な兵を厚く張りつかせられるなら。それに越したことはない。
この場合必要なのは鈍重かつ予期されやすい大軍で攻め寄せることではなく、少人数による迅速な急襲だ。
掲示板や前線のエルフの動向を観察し、機動本隊の居場所を推定する。そこから最も遠い戦線から攻めかかり、少数精鋭によって敵前線を蹂躙し、機動部隊が救援に来る前に撤収。欲をかかず深入りせず、エルフ一体でも削れたならば戦果として引き上げる見切りの早さこそが肝要だった。
中核はプレイヤーが務めている。分散して配置したリザードマンプレイヤーが敵機動部隊の動向を察知次第、掲示板に符牒を書き込み襲撃地点を決定する。符牒は一か月ごとの集まりで適当に決めたもので、解析のおそれのないものを使用していた。
戦果は現れている。有言実行とばかりに沼地を東奔西走するソルは単身十人以上のエルフを屠り、最たる戦果として東の森の前線指揮官だった女エルフを倒すに至った。
光明は見え始めている。ここ数年、大陸中央との交易でにわかに活気づいたエルフを押し返せる算段が、ようやくつき始めようとしていた。
●
ささやかな祝勝の宴だ。族長ゲルドが催した、数人を招いた程度の。
到着したときには大分経っていたらしく、既に出来上がっているものも多くいた。中には下戸だというのに無理やり飲まされたのか、だらしなく舌を出して寝転がっているプレイヤーもいる。
「うむ、よく来たな! まずは駆けつけ一杯」
「は……」
簾を押して宴の場に姿を現したソルに向けて、胡坐をかいて円座に座った年配のリザードマンがずい、と手に持つ酒杯を差し出してきた。畏まった態度で腰を下ろしたソルは言葉少なに杯を押し頂き、中に溜まった液体を一気に喉に流し込む。蜥蜴の口に合うように注ぎ口を設けた酒杯には金色の酒が湛えられていて、飲み干すとかっと熱い感覚が胸に込み上げてきた。
蜂蜜酒。普段飲むそれよりも段違いに高い酒精に、ソルは思わず驚いた顔で手元の酒杯を見下ろした。
「これは……」
「姪の一人が養蜂と造酒に凝っていてな。飲み甲斐のある酒を作れないものか、と工夫の毎日よ。最近出来のいいものができたからと儂に寄越してきたのだ」
年配の男――ジェムザはそういうと、自分も手に持った酒杯を仰いでひと息に蜂蜜酒を飲み干した。ぶはぁ、と満足げに息を吐き、
「……あれだ、あのカボチャだ。毒沼に根を伸ばして、どういう理屈かただの池に浄化する得体のしれない植物。あそこで湧いた池の水を使ったのだそうだ。辛味はなくなったが驚くほど酒気が強くなった」
「なるほど、それで」
「貴様らが言う『サイオーガウマ』というやつよ。世の中何がどうなるかわからんものだ」
呂律の回らない口調でそう言うと、ジェムザは鱗ごしにもわかるほど赤らんだ顔でケタケタと笑った。……相当に出来上がっているらしい。
プレイヤーと現地人とのつなぎ役を任されている男だ。色々と負担がかかっていると聞いていて、たまにはこうやって羽目を外すのも仕方のないことなのかもしれない。
「――それで、族長はいずこに? 姿が見えませんが」
宴会場を見回してソルはジェムザに問いかけた。広くもない酒の場の、ひときわ立派な上座だけがぽっかりと穴をあけている。今回の宴の主催者は姿をくらましていた。
ソルの問いにジェムザは何でもないことのように答える。
「ゲルドか。つい先ほどまではいたんだがな、たった……どれくらい前だったか? まぁいい、貴様が来るちょうど少し前に席を外したところだ。すぐに戻ってくるだろう。何やら企んでいる様子であったが……ふむ、まったく見当がつかん」
「なるほど」
今回の戦いに対する恩賞か、それとも何か新しい試みでも発表する気なのか。
リザードマンを束ねるゲルド族長は、こうやって勿体ぶった演出を好む傾向にあった。野心ある男だ、自らを大きく見せたいのだろうとソルは分析しているが、現代人の眼からすればいささかわざとらしい感が否めない。しかし、それが通用してしまうのも単純な蜥蜴人ゆえなのだろう。
――それにしても。
「酒、か……」
改めて蜂蜜酒を呷り、もったいないな、とソルは改めて溜息をつきたくなる。
米どころの出身で、それなりに日本酒を嗜んでいたソルにはわかる。――――この蜂蜜酒、身内だけで消費してしまうのはあまりにもったいない。どこかに売りに出せればきっとひと財産になるものを、と。
意外なことに、リザードマンは発酵の技術に長けている。味噌や醤油は言うに及ばず、最近は米酒にまで手を出し始めたくらいだ。
温暖湿潤な気候で微生物の活動に適した風土だからだろうか。それとも初期のプレイヤーによる試行錯誤の恩恵だろうか。詳しくはわからない。
ただし原材料の栽培に毒沼を介するせいで、育った米や大豆はことごとくが毒性を帯びる。酒に加工したところで毒は消えず、耐性のあるリザードマンにくらいにしか食用できない。造酒に使用する水にしても同様で、ジェムザが先ほど語った『辛味』とはすなわち毒の刺激である。
試しに捕虜にしたエルフの一人にリザードマンの酒を与えたところ、頭髪が禿げあがった上に頭皮が紫色に腫れ上がり、泡を吹いて気絶してしまった。
捕虜虐待だのと非難されるのもアレなので秘密裏に敵陣へ送り返したが、掲示板を見る限り一命をとりとめたものの禿げた頭だけは治らなかったらしい。正直済まなかった。
――それが今やどうだろう。辛味が消えたということは、毒が薄まったということだ。それはつまり誰にでも飲める酒が作れるようになったということで、この不毛の湿地帯にも名産と呼べるものが生まれたことを意味している。
これを元手に中央との交易を進めれば、沼地を豊かにすることはきっとできるだろう。長年いがみ合ってきたエルフとの和解も、ヒューマンを間に挟めばあるいは叶うかもしれない。
富をもたらす方法は略奪だけではない。――それさえ理解してしまえば、そこからはきっとあっという間だと思う。
――――だが、そうはなるまい。エルフとの戦いは治まらない。人間への敵意は決して止まない。
何より族長がこの戦いを煽っている。彼の野心は貴族的なエルフへの反感から来たものだ。彼らがエルフである限りゲルド族長が矛を収めることはないだろう。
……あぁ、もったいないな、と。
杯に注いだ蜂蜜酒を再び口に含み、ソルはしみじみと呟いた。
●
「おぉ! 此度の勇者ではないか! 楽しんでいるか、ソル!」
飲み始めてどれほど経った頃だったか。会場の簾を押し退けて巨体のリザードマンが姿を現した。
筋骨隆々たる体躯、二の腕は女の胴ほどの太さを誇り、尻から伸びる尻尾は二メートル近い長さだった。身体中を走る刃物傷は彼が潜り抜けた歴戦を示しているかのようだ。一般的なリザードマン同様にソルのような布の衣服は纏わず、首回りを付呪を施した首飾りでジャラジャラと飾り立てている。
族長ゲルド。ウェンズ湿地帯のリザードマンを束ねる壮年の男だ。
「これは族長。お先にご挨拶もせず、失礼を」
「構わん構わん、席を外していたのは俺の方だ。わざわざ咎めるものか」
ソルの挨拶に鷹揚に首を振って応じると、ゲルドは酒宴場を横切り上座にどっかりと胡坐をかいた。すかさず傍らに待機していた側近が杯に酒を注いで差し出す。なみなみと酒杯に注がれた蜂蜜酒をひと息に飲み干すと、族長は満足げに息を吐いた。
「いい酒ではないか! ジェムザ、そなたの姪はよい仕事をしているな!」
「は、恐れ多いことで」
畏まった口調でジェムザが応じた。
「縁談の話は来ているか? これほどの造酒の腕、あれ一代で途絶えさせるのはもったいないであろう?」
「いえ。それがなにぶん蜂以外に興味を示さないもので。私としてもそろそろ嫁ぎ先を危ぶんでいるところでして」
「それはいかんな。女は若いうちに孕ませるのが一番だ。早いところ相手を見つけてやらねば。
――ソル! 我が勇者よ! 貴様、確か独り身であったな? ひとつ名乗り出てみるのはどうだ!」
「いえ……」
何故かお鉢が回ってきた。まるで日本のパワハラ上司のような無茶振りである。汗腺もない身ながら冷や汗が流れそうになる。
ソルは憂鬱な表情を押し隠しつつ両拳を床に付けて一礼し、断り文句を必死で考え込み、
「……私は……この三十年、剣の研鑽に生きると決めていますので。今さら所帯を持とうとは……」
「ふん、剣の研鑽とな。――しかし貴様、最近では魔法の方にも手を出しているそうではないか!」
苦し紛れの言い逃れは容易く粉砕された。しかしソルにも言い分はある。
「……剣とはすなわち兵法です。敵を打ち倒すあらゆる術を指します。ですので、魔法を知るために魔法に習熟するのは理に適ったことかと」
「言うではないか。魔法などという惰弱の技術など、我らの鱗があれば恐れるに足るまい」
「数年前までその鱗が欠けていましたので。腕が生え変わるまでの碌に剣を振れぬ間、手慰みの修練の対象としては適当でした」
――四年ほど前のことだ。リザードマンが人間の治める要塞都市ニザーンを攻めたとき、ソルは負傷によって右腕を失った。
それについては別にいい。リザードマン再生力に優れ、一年もすれば失くした腕も生え変わってくる。同時に千切れた尻尾や舌は先に再生したし、別段ソルが困ったことはない。
しかし、新しく生えてきた細く未熟で鱗の薄く碌に動かせない腕を見て、先行きに不安を感じたのも事実である。
毒爪が弱まっている。
右手の毒腺を改めて再生し、一から鍛え直そうというのだ。リザードマンたちも毒の威力を高める鍛錬方法など知らず、日々過ごすうちの経年による強化に任せていると聞いた。
それを知ったソルは考えを改めることになった。
……これはいけない。このままではソルの右爪は、実戦に耐えられるまで威力が伸びたときにはログアウト間近になってしまう。
NPCなら寿命の限りまで爪の毒を強められるだろうが、プレイヤーには残り二十年程度しか残されていないのだ。この出遅れはもはや致命的といっていいだろう。
実質として、ソルの右腕は毒爪を振るう武器としての役目が失われたことになる。
――だから、別の活路を魔法に求めた。
幸いなことに目星はあった。ニザーン攻めの際に使用した付呪入りの胸当てだ。
円盤型の心臓のみを守る胸当て。これには耐寒と水属性耐性の付呪が施されている。掲示板によれば、これらはスクロールを用いるならば火属性に属する付呪魔法であるらしい。……ぎりぎり、リザードマンに適性がないわけでもない……と信じたいところだった。
方針を定めたなら、あとは実行あるのみである。リアルでやり慣れた瞑想の延長で自己に埋没する。リザードマンの身体強化に特化した魔力と、胸当てに滞留する魔力を手探りで照らし合わせ、それをどうにかこうにか動かしたり抜き出したりできないかと試みたのである。
はたから見ればさぞかし滑稽な光景だったに違いない。胡坐をかいた蜥蜴が黙然と目を据わらせ、手元の胸当てを弄りながらあーでもないこーでもないとぼやき続ける姿は。
長く苦しい道のりだった。リザードマンの脳筋種族の蔑称は伊達ではない。とっかかりを掴むまでに半年かかり、どうにか火花を指先から飛ばせるようになるまでさらに半年。ようやく形になったのはつい昨年の話である。
かくして世にも珍しい火魔法を操るリザードマンはこうして生まれ、純肉体派の正統リザードマンからは疎まれるようになった。無論そういう手合いは魔法抜きの剣試合で叩きのめしているが、戦闘スタイルが変わってしまったことに自分でも違和感を感じてしまう。
……リアルに戻った時、変な癖ができてたらどうしよう。小太刀主体の流派とはいえ、利き手以外は自由にしていいというわけではないのに。
「……ふん。手慰み、手慰み、な……。どうあがいても自力で魔法を習得できぬ同胞が聞けば怒り狂うであろうな。……まぁ、実際に役立っている以上、とやかく言うのは筋違いではあるか」
もっとも、今となっては無駄な徒労であったが、と族長は意味深な言葉を漏らして鼻を鳴らした。どこかこちらを小馬鹿にした様子に、ソルの目元がピクリと引き攣る。
「……それは一体、どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味よ。我らリザードマンに、そもそも魔法の修練など無用の長物。わざわざ貴様のような苦労を重ねずとも、秘術を用いれば力を得ることが可能なのだ」
……なんだ、それは。秘術とは何だ。
いきなりきな臭くなってきた話に目を細める。得意げに胸を張る族長はソルの様子など意に介さず、高らかに手を叩いた。
それが合図だったのか、簾の向こうから、何かがぞろぞろと運び込まれてくる気配がする。
「……いや、貴様には感謝せねばならんな、ソル。貴様が長老格などという大物を仕留めたからこそ、この秘儀の開帳が叶うこととなった。……これでようやく、我らは奴らエルフと同じ土俵に立つことができる」
「まさか……」
背筋を駆け昇る不快な予感。喜色を浮かべた族長の背後に、それは物々しく運び込まれ、族長は感極まったように脚を蹴立てて立ち上がる。
「さぁ、祝杯を挙げよ! 今宵の肴はこのエルフだ! 数百年を生きたエルフの肉を食らい、我らは魔法の力を手に入れる……!」
運び込まれた配膳台。その上には、先日ソルが倒した女エルフの遺体が配置されていた。
リザードマンが魔法の技術を得るための秘儀には、高位の魔法に熟達したエルフの肉を必要とする。




