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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
崩壊の断章
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業深き豚

「――そういえば、聞いたか? 東の村の女長老が殺されたらしいぞ」

「はあ?」


 激しい雨の降りしきる昼下がり、手持無沙汰の慰みの雑談中、出し抜けにトントンが放った言葉にビネガーは眉をひそめた。

 ザーザーと大粒の雨が密林の葉を打つ音が響く。一瞬聞き間違いかと思ったものの、振り返って見た相方の顔は至極真面目で、その話題が単なる法螺話ではないと察せられた。


「……東の長老が?」

「女長老の方だ。『氷結』のエルモア。結構美人でタイプだったんだけどな」

「なんだよ、告る気だったとか?」

「まさか。けどまぁ、お付き合いはなしにしても一回踏んでもらいたいくらいだったね」

「お前そっちの趣味かよ」


 冗談めかして笑い飛ばしているものの、トントンは物憂げな瞳で虚空を見つめている。肉付きのいい腹の贅肉を弓を持ってない方の手でつかみ、片脚を軽く揺すっていた。

 ……長い付き合いだから知っている。これはこの男がストレスを感じているときにする仕草だ。


「……そうか、東の長老が。――――戦線が崩れるな……」

「今すぐは無いけどな。けど、足止めができない以上、本隊が急かされることになるだろうよ」


 あえて気のない声で事務的に受け応える。女長老についてろくに知らない人間が情感たっぷりに驚いてみせるものでもない。

 それに実際、その女長老が倒れたことによるこの戦争の動向の変化の方に興味を引かれていた。


 ――機動防御戦術、というらしい。

 対リザードマン戦においてエルフが用いている基本戦術である。通常の陣地防御戦術が前線に兵を万遍なく厚く配置し、侵攻してきた敵を迎え撃つものであるのに対し、機動防御は兵を前線に散発的、あるいは局所的にしか配置しない。代わりに打撃力、機動力に優れた機動部隊を後方に配置し、迎撃本隊とする。

 突出してきた敵を前線兵力が足止め、陣地内に誘引するのに呼応して本隊が敵後方か側面に迂回し、深入りした敵を根こそぎ撃滅することを目的とした戦術だ。これによって、全体からみると数に劣る勢力であっても、脚の速ささえ活かせば局地的に数的優位に持ち込むことが可能となる。


 一世紀以上昔のドイツの戦術家が起用し、一時期独ソ戦で猛威を振るった戦術である。これによってドイツは量に劣る独ソ戦において一定以上の戦果を獲得し、拮抗した戦況はいわゆる泥沼の東部戦線へともつれ込むことになった。

 言ってしまえば量的劣勢を質的優位によって覆そうとした一例である。


 機動防御に必要な要素は以下の三点。敵を打破可能な機動戦力、敵を引き込み足止めする縦深な防御陣、そして味方援軍が到着するまで持ちこたえられる前線兵力。どれが欠けても破綻するドクトリンだ。

 森林の中では無二の素早さを誇り、さらに適性的に風の次に蜥蜴に優位を取れる水魔法を習得しやすいエルフという種族。密林という二足歩行する蜥蜴にとって侵攻しづらく足止めが容易な天然の防御陣。それぞれの要素が絶妙に噛み合ってこの戦術が運用されている。


 効果は絶大だった。兵数比およそ1対21のキルレシオを大幅に上回り、一時は血気に逸った長老により湿地帯に対し逆侵攻すら提言されるほどに。

 ちょうど大陸から火魔法の達人であるエルラム氏が帰還したことにより、南西の食人花(ラフレシア)対策に振り分けていた人員を引き抜くことができたのも積極論にに拍車をかけた。

 ……沼地に侵攻した途端に待ち構えていたリザードマンの逆襲を受け、侵攻部隊が半壊したことで計画は立ち消えになったが。


「…………」


 渋面でビネガーは深く息を吐いた。……なにか、嫌なことが起きるような気がしてならない。


 いかに優れた戦術であろうと、運用には限界がある。強靭な部品もタフネスを誇るエースも、酷使し続ければいずれ摩耗し脱落していくのが常だ。

 ならば、今回の東の女長老の戦死はその凶兆ではないのか。


 機動防御戦術。……確かに優れた戦術なのだろう。現にリザードマンとの戦争が本格化した今でも、数に劣るエルフがこうして限定的ながら優勢を保てているのだから。

 速力に優れた機動部隊は、確かに精強の集まりだ。しかしいくら速いといえ、前線の兵が鏑矢で合図を送った五分後に到着、というわけにはいかない。必ず援軍の到着にはタイムラグがあるし、それは現場と機動部隊との距離が離れるほどに大きくなっていく。そこを突かれたのだろう。


 『氷結』のエルモア。……会ったことも名声を聞いたこともないが、その一言だけで大体のことは察せられる。

 長老格で、二つ名持ち。おまけに二つ名の感じからして、おそらく水魔法を得意としていたのだろう。きっと冷気に弱い蜥蜴たちを何体も氷漬けにしてきたに違いない。大森林の東部戦線は彼女の存在が要となってリザードマンを抑え込んでいたのだろう。

 ――――そんな大人物が亡くなったのだ。


 東部の森は荒れる。ほぼ間違いなく。

 たかが一人、されど一人。人数の少ないエルフはたった一人の欠員が大局を左右する。

 機動部隊の出撃回数は増えるだろう。これまで処理できた小競り合いの何割かが現場の手に負えなくなるからだ。通常の監視警戒にしても現場の負担は増えるに違いない。

 ……こうして疲労は蓄積し、真綿で首を締めるようにエルフたちを追い詰めていく。決壊への秒読みはいつになるのだろうか。


「どうするんだ、これ……」


 光明の見えない未来予想図に、一瞬呆然としてしまった。

 擦り減れば擦り減るだけ現場に負担が圧し掛かる。打開策に当てはなく、精々が機動部隊に飛び入り参加して森林放火に余念のないカワセミ(長老娘命名:ケツァール)の活躍を祈るくらいだ。お前そんな南国鳥(ケツァール)なんて上等な鳥じゃないだろという突っ込みは何年も前に放り投げた。

 このままいけばどうなるか。……いやな予感に思わず眉を顰め、ふと相方はどう考えているのかと何気なく見やると、


「……はぁ、はぁ……フィーナたんのおみ足ペロペロしたい……」

「アホかお前はっ!」


 監視任務など上の空で気楽に長老の娘へ欲情するトントンにどっと脱力した。


「こんな時になに妄想に耽ってやがる! 明らかにそんな空気じゃなかったろが!」

「こんな時だから息抜きに妄想の世界にダイブするんだお! 現実逃避が苦手な奴はVRゲーなんかやらねーお!」

「ネラーみたいな語尾つけてんじゃねえ! そんなんだから村の女たちにキモいキモい陰口叩かれるんだ」

「ぐっさ、うわぐっさ! ぐっさり来ましたよこの野郎! 思わず想像しちまったじゃんか! フィーナたんに蔑んだ瞳で見下されて…………あ、これ結構イケる?」

「知るか!」


 見た目十歳前後の幼女へ萌えの心を拗らせて明後日の方向へ突き進もうとする変態。何を隠そうこの男、ログイン直後早々にエルフ最長老の娘たるくだんのエルフィーナ嬢に出くわすや、涎を垂らしながら突貫をかましてリスポーンを食らった猛者である。

 ちなみにレベル10に到達して死に戻り不可となるまで彼の奇行は続きに続き、ついにはエルフにあるまじき防御値と抵抗値を獲得することになった。そしてカワセミの餌食第一号にもなった。

 何度殺されようと諦めずストーキングに励もうとするその執念は一種敬意すら覚えるが、その根性を他のことに向けられないのか。


「――――私は鳥になりたい。大空を翔ける自由な鳥に。……具体的にはフィーナたんの肩に止まってるあのサイズ調整可能なカワセミに。

 俺もフィーナたんの肩に乗ってフィーナたんの耳たぶ啄みたい! この情熱がわからないか!?」

「わかるか馬鹿! 馬鹿だろお前!」


 ……こうして改めて見ると、もはやどうしようもないのではないのかこの男。


「知ってるか? あのカワセミ、フィーナたんの耳たぶ甘噛みしてると見せかけて舌でねぶってるんだぜ!? 許せないだろそんなの!」

「羨ましいって意味でか?」

「そう!」

「このロリコンが……!」


 自らの性癖を堂々と曝け出す相方とぎゃあぎゃあ喚き合い、ビネガーは堪え切れずに頭を押さえた。怒鳴り過ぎて酸欠でも起こしたのか頭痛が止まらない。

 ……どうにも緊張感に欠ける相方を持つとこうまで苦労するのか。この突っ込みは一体何回繰り返せばいいのだろうか。

 取り留めもない思考が頭をよぎる。ついつい現実逃避のごとく無関係な考えに沈み込んだ――――そのせいだ。


「――――ビネガー、何か動いた」


 その異変に、気付くのが遅れた。

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