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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
311/494

攻め寄せるもの

 焼き尽くされた。この日のために数を揃え森の中に潜伏させていた手駒を、まるでとるに足らない塵芥のように消し飛ばされた。

 おかしな話だ。吸血鬼アデラールはまだ何もことを為していない。グールを北城門の近くに伏せ、都市の中から合図が上がるのを待っていた。ただそれだけのはずだ。誰も殺していない。誰も襲えていない。


 あくまで念のための計画のはずだった。当初の襲撃計画が不首尾に進み、搦め手が必要になった時にようやく声がかかる程度の。何事もなければ死都と化したハインツに押し入ることすらなく根城にしている丘陵地帯の廃砦に引き返すはずだった。

 だというのに、だというのに。


「おのれっ、おのれ……!」


 あらん限りの憎悪を籠めて空を仰ぐ。芸術都市の上空には、巨大な翼を広げて王者のごとく悠然と旋回する、黒いドラゴンの姿があった。猛々しく響く咆哮がどこまでも忌々しい。


 ――竜騎士。半島にて最強を誇る辺境伯の私兵ども。

 なぜあれがこの芸術都市にまで来られたのかはわからない。不測の事態に過ぎる。本来アレの登場は予期できたことだが、それは最短でもこの都市を制圧しきったあとになるはずだった。

 何か取り決めがあったのか。だがどうやって。早馬を飛ばしたところで半島までは一週間近くかかる。強い西風が吹くこの季節、内海を介して帆船を使えば短縮できようが、それでも内海を横切るには二日以上が必要だ。

 ……まさか傭兵どもが連れていたグリフォンライダーか? ――それもない。たとえ空を飛んだとしても、竜騎士の到着があまりにも早過ぎた。


 まるで訳がわからない。混乱を増していく思考の渦に気が狂いそうになる。それと同じくらいの怒りに眩暈を覚えた。


「無様な……あぁ無様な! この私が、この私が劣等種ごときに!」


 歯噛みしながら泥水にまみれ、必死になって身を隠した。ついさっき、空を行くドラゴンがこちらに視線を向けた気がしたのだ。

 12月の寒空の下、汚泥にまみれてみっともなく逃げ惑うこの屈辱。一張羅の貴族服は見る影もなく泥に染まった。許すまじと身を震わせる。


 ――ドラゴンブレスによってアデラールの手駒は半壊した。百足らずのグールの大半は灰も残さず焼き消され、その事実はアデラールに遁走を決意させるに十分なものだった。

 かといって真正直に後ろに向かって逃げるなどできはしない。背を向ければ必ずや追撃がかかる。あの竜騎士もそれは理解しているはずだ。

 だから手勢を分けた。生き残ったグールのうち二十体を集め、一斉に北に向けて走らせた。あたかも整然と統率がとれた集団のように、その中に吸血鬼がいると見せかけるために。

 まんまと引っかかった竜騎士はその二十体に火を噴きかけ、用は済んだとばかりに芸術都市へ引き返していった。今は都市内部へ目を注ぎ、警戒を強めているのだろう。


 アデラールは森に身を隠しながら残ったグール数体とともに南西(・・)へ走った。……あの聖騎士による光の一撃があった場所、吸血鬼ユベールが担当していた主攻の西城門手前。

 思っていた通り、西のグールたちは壊滅していた。一時は一千を超えた大軍勢が見る影もない。統率していたユベールの姿もなく、あの光に呑まれたのだろうと判断した。

 主人を失い、当てもなく彷徨うグールたちを掌握し支配下に置いた。少しでも身を守る手駒が欲しかったからだ。


 なにしろ――――もうじき、陽が昇る。

 すでに空が白み始めている。忌々しい太陽が昇ろうとしていた。

 夜が明ければ吸血鬼は大幅に弱体化する。特殊能力は精度を失い、鋭敏な感覚は鈍麻し、岩をも砕く剛力は常人程度に劣化する。おまけにアンデッドの代名詞である再生力も色を失い、日光により継続ダメージを受け続けるのだ。まともな戦いになるはずがない。


 肉壁が必要だった。来るであろう追手にけしかけて逃げる時間を稼ぐ壁が。

 聖騎士に目をつけられる危険を冒して西城門に近づき、残ったグールたちを回収した。その数およそ四十体弱。詳しく数える気にもなれなかった。


 森に隠れ怪しまれないように少しずつ移動し、芸術都市の南にまでようやく到達した。内海に面した東側を除けば、この夜唯一吸血鬼が襲わなかった方面だ。警戒は緩んでいると踏んでいた。

 予想は的中で外に出ている兵士の姿はなく、竜騎士もこちらを見もしない。遠目に見ても城門の上にいる守備兵はまばらで、そう統率のとれてない動きから数合わせの新兵だと解かった。


「は――――はぁ……!」


 逃げられる。ようやく、ここから。

 敵はアデラールたちアンデッドが北か西に逃げたと思い込んでいる。進軍方向からして当然の判断だ。警戒の目もそこへ向くはず。だから裏目を突いて南へ出るのだ。

 目指す場所は要塞都市だ。正確にはその周辺に点在している拠点跡のどれか。あの辺りは都市国家時代の遺構が少なからず残っていて、手をかければそれなりに居住可能なところが多い。

 一旦南の地で身を隠し、ほとぼりが冷めるのを待つ。食糧は近場の村人を襲えばいい。少量の血を抜いて暗示をかけた上で帰せば、怪しまれることもないはず。

 一年もすれば警戒も緩むだろう。その後悠々と丘陵地帯に帰ってやればいい。そうすれば、そうすれば――


「あ、あぁああぁぁあああああ」


 声が漏れた。我ながら情けない喘ぎ声。ユベールあたりに見られたら侮蔑されるに違いない。

 だがそれも仕方がない。なぜならば――


「――よーう、団体さんかい? 芸術都市からのお帰りとみたがどうよ?」


 浴びせられた陽気な声。痛烈な覇気が身を叩く。

 ようやく芸術都市から逃れようと身体を起こし、グールたちを引き連れて南へ向けて進もうとした、その矢先のことだ。目の前に奴らが現れた。


 男の集団だった。数は恐らく三百を超えるだろう。整然と並んだ姿は確かな規律が窺える。

 誰も彼もが革製の鎧を身に纏い、真鍮色の盾と斧を提げている。

 先頭に立って彼らを率いる男は、黒いグリフォンに跨っていた。


 目と鼻の先だった。どうして気付かなかったのかと、手下と己に罵声を漏らしたくなる。

 どんなに速く駆けようと、朝が近く全力の出せない身では逃げきれない距離だった。


「あ、あああぁあぁああああ」


 歯の根が合わない。この瞬間、アデラールは自らの死に場所を悟った。

 嫌というほど知っている。半島に名を轟かせる元傭兵ども。ドワーフ製の斧と盾を振るい、立志伝を邁進する鉄の壁。


「随分数がすくねえが、それはまぁあいつらが上手くやったってこったろ。……まぁ、腕ならしにはこれくらいがちょうどいいか」


 『鉄壁』のイアンがそう嘯き、腰の剣を引き抜いた。それを合図に背後の傭兵たちが一斉に抜剣する。盾を前面に押し出して、溢れ出る殺気もそのままに。

 こちらの手駒は弱体化しかけたグールがたった四十体。まるで話になりはしない。


「じゃあ行くぞ野郎ども! 突撃! 突撃! 突撃! 雑魚相手だ、一人だって死ぬんじゃねえぞ……ッ!」


 吐き出した気炎に応える鬨の声。地響きすら起こして迫る歩兵たち。


 押し寄せる敵を目前に振り返る。

 東の空からは、赤い陽が立ち昇っていた。

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