山賊団経営なんて下手な自転車操業よりきつい
僅かな違和感。
戦鎚ごしに伝わってきた衝撃は、その体躯から予想していたものより遥かに軽かった。
まあいいか、と得物を肩に担ぎ直し、山賊長――鉄鎚のミグは頬を歪める。
吹き飛ばした男は坑道の壁に顔面から突っ伏し、ぴくりとも動かない。
いかにも狩人風の男だ。麻の上下に毛皮を巻き付けるように縫い付け、あと数週間すればやってくる冬への備えとしている。枯葉色の外套を羽織り、肌色を隠すためかフードを目深に被っていた。
狩人なら持っているはずの弓やスリングショットの類が見当たらない。途中で手放したのか、それともどこかに隠し持っているのか。
――ひょっとすると、こいつも『客人』なのかもしれない。
だとすれば大した戦果だ。この男の襲撃で手下の大半を失ったが、『客人』の奴隷が二人となれば売値も相当なものが見込める。もう一度手下を募るのも可能だし、自分一人だけなら二十年は遊んで暮らせるだけの金を手に入れられるだろう。
独占するなら手下はいらない。適当なところで処分する算段を立てなければ。
そこまで考えてミグは檻を見下ろした。もう一人の『客人』は顔を檻に押し付けて立ち尽くしている。
「ざまあねえな、ドワーフ。せっかく呼んだ助けもこのざまか」
「……ふん」
ドワーフはじろりと睨みつけて一言、
「来るのが遅いわ、飯は何処じゃ戯け。あと顔が鉄格子に挟まって取れなくなったから外すの手伝え。それか口元まで飯を運んで来い」
「減らず口が」
「おうとも。爺の小言は増えはしても減りはせぬぞ。貴様は今後しばらくは老人の長話に悩まされるのじゃ」
殺してやろうか、と一瞬迷った。だがこうやって喚いているだけならまだ無害だ。適当に距離を取ればいい。
こいつらが厄介なのは死んだあと。どこからともなく平然と蘇って裏で奸計を画策する陰湿なやり口である。
そう、蘇る。こいつらに限っては新人時代にへまをして斃れるということがない。それは平気な顔で無茶が出来るという意味であり、それが可能な間、誰もが実戦を生き延び熟練の戦士となりうるという意味でもある。
闘技場の剣闘奴隷商は容易く殺し合いを演出できる前者を、優れた私兵を必要とする貴族や豪商は後者を期待して客人を買い求める。
そしてミグたち人狩りを副業にしている山賊にとって、目の前の囚人をどう言った手合いに売ればいかに儲けられるかというのは重要な問題だった。
戦鎚を突き出す。ドワーフの顔に武骨な鈍器を押し付けて、山賊長は恫喝した。
「――答えろ。そこで伸びてる男はお前と同じ『客人』か?」
「はて、どうだったかのう……」
嘯くドワーフの顔が引き攣っていた。下手なことを言えば殺すまではなくとも痛めつける。無言のうちにそう語っているのが伝わったのだろう。……手下は下手なものだが、相手を殺さず痛めつけるなどミグには慣れたものだった。
「おおう、そう急かすな。……そうじゃな。さっき話した様子では儂と同じ『客人』だったようじゃが。しかしなぁ……」
と、そこでドワーフは顔を歪めて笑った。
「捉えてもいない敵を相手に、何を悠長なことをいっとるんだ、間抜けが」
「なにを――」
問い質す間は与えられなかった。
後方から迫る殺気。振り返る。象牙色の短刀が見えた。数歩退こうとして背中が檻にぶつかった。――避けられない。
衝撃が喉元に叩き込まれた。
「ぐ……!?」
「ちっ……」
互いに漏れる苦鳴と舌打ち。短刀は前もって着込んでいた首当てに阻まれていた。
「野郎!」
罵声を上げて戦鎚を振るう。男はその一撃を短刀で受け――きれずに、得物を取り落した。咄嗟に腕でガードを固めて身を守る様を見て、ミグは内心嘲笑う。
馬鹿めが。腕など圧し折ってやる。
しかし――
がつ、と硬質な音が響いた。およそ男の身に纏う毛皮の腕巻からは考えられない音。
腕に何かを仕込んでいた。そう気づいたのも束の間。猟師は弾かれる勢いに任せて大きく後退する。
千切れ跳んだ毛皮の腕巻。その下から白銀の篭手が覗いていた。
「……う、あー。首が折れるかと思ったぞ、まったく。力任せに殴りやがって」
「馬鹿な――」
信じられない思いで自分の持つ戦鎚を見下ろす。麻痺の術式を組み込んだ鋼鉄の戦鎚。今までこれを受けてすぐさま起き上れた者はいない。
だというのに、こいつは一分とかからずに身体を動かし、気配を殺して背後に迫って見せた。
……一体何者だ?
「あぁ、そのハンマー? 毒か麻痺か行動阻害か。確かに変な感じがするがね。正直まだ頭が痺れるし」
警戒を強めるミグに、男は何でもないことのようにフード越しに頭を掻き、
「……でもまあ、互いに仕込みは済んでいたということさ。……いやいや、ちゃんと護ってる所に当たってくれて助かった」
掛け紐を解き、邪魔な外套を取り払う。頭には白銀の額当て。側頭や頭頂、頭の前半分を覆っている。一目で匠のものと分かる精緻な細工は傷一つなく、坑道の松明を受けて煌めいている。赤い反射に混じり放たれる蒼い燐光は、その防具に付与された魔術によるものか。
……それで防いだのか。
田舎の猟師が身に着けるには場違いな値打ものに目が奪われる。同時に、そんなものに頼ってでかい面をする男に無性に腹が立った。
「……は。その兜、どこぞの貴族の墓でも荒らしたか。御大層な装備じゃねえか。――薄汚ねえ猟師にはもったいねえから俺が貰ってやるよ」
「そう言ってくれるなって。実際、麻痺耐性は持っていてね。これがなくとも似たような展開にはなってただろうよ。……もっとも、最初のあれで頭蓋骨が砕けてなかったら、だが」
あくまで軽い口調を崩さない男。その両の手元がわずかに青白く発光し、次の瞬間二振りの武器が出現していた。
インベントリ。
やはり、と山賊長は内心歓喜した。やはり『客人』だった。これで、こいつを生きて捕らえられれば、自分の人生はもはや約束されたようなもの。戦鎚を持つ手に力が籠る。
そして、
「斧か。見覚えがある。ハクンの奴が持ってたやつだ。持ち込みのネタは尽きたらしいな、盗人」
猟師が持つ得物。一つは先ほど取り落した象牙色の短刀。まだ在庫があったらしい。そしてもう一つがこの坑道で奪ったのか、ミグの見慣れた片手斧だった。
そう、ネタは尽きた。荒事に慣れない猟師はこれで終わり。ここから奴から引き出てくるのは虚しい抵抗と命乞いの言葉だけだ。
「ネタ切れじゃと!? 貴様この二刀流から滲み出るムアコック臭がわからんというのか!?」
「誰がムーングラムだニッチ過ぎるだろうが!」
こんなところで緊張感のないドワーフを怒鳴りつけ、男は両手の武器を構えた。ただの猟師とは思えないほど堂に入っている。
「……確かに仕込みはもうない。手持ちの武器は斬る物ばかりで、叩いたり突いたりには向いてなくてね。けど奪ったもんだからって馬鹿にしたもんじゃないぞ。斧の扱いには慣れている」
飄々とした笑みさえ浮かべて。気負いもなく殺気を受け流し、猟師はミグを挑発するように言い放った。
「――うちの鬼上司直伝の戦斧術。その一端をお見せしよう」
「抜かせ――――――ッ!」
突進する。上段に構えた戦鎚を振り下ろす。直撃すれば間違いなく脳天を砕くだろう。
躊躇いはない。加減をすれば死ぬのは自分だと本能が告げていた。