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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
302/494

ハインツ防衛戦⑦

「はっ、はっ、ふぅっ……!」


 芸術都市西城門を巡って守兵たちがグールたちと争い続けている中、都市の衛兵ジャンは北尖塔の階段を息を切らせながら駆け上がっていた。

 身に着けた鋼鉄の鎧が足に負荷をかける。すでにに四時間以上戦い通しで疲労も濃い。深夜の塔の中、壁の燭台にかかる灯りだけが頼りという薄暗い中では、昼間に走るのとはまた別種の負担が心身にかかっていた。


 ――傭兵たちの様子を見て来い。防衛戦の指揮を執っているロドルフォの命令である。一時間ほど前から唐突に北尖塔からの射撃が勢いを失い、不審に思った指揮官が状況の確認のためにジャンを走らせたのだ。


「くそっ、これだから傭兵は……っ!」


 悪態をついて疲れた脚を叱咤する。思うように進まない戦況への苛立ちを余所者の傭兵たちに向けていた。

 ……なにがハスカールの弓法だ。とんだ期待外れじゃないか。ロドルフォ将軍の前であれだけふてぶてしい態度を取っておいて、いざ戦いが始まるとこのざまだ。だから余所者は信用できない。


 門の軋む音がここにまで届いている。補強の木材は到着次第打ち付けているが、それでも焼け石に水だ。きっと夜明け前にはこじ開けられる。

 南側の尖塔が吸血鬼の襲撃を受けた。無数の蝙蝠に姿を変えて矢狭間から入り込んだ吸血鬼に、中の射手たちはほぼ全滅してしまった。

 異変を察知したロドルフォ将軍は手持ちの精鋭を割いて向かわせたが、結局間に合わなかった。尖塔の中には無数の死体とグールになった守備兵たち。元凶の吸血鬼はあざ笑うかのように姿を消して、一矢報いることすら叶わなかった。

 転化したばかりのグールなど、ロドルフォ将軍直下の精鋭たちにかかれば不意を撃たれなければ脅威にもならない。化け物になった元仲間たちは瞬く間に斬り伏せられ、転化しなかった死体とともにことごとく首を落とされた。

 無念極まる。本来敵を殺すための剣で仲間の首を落とす羽目になった彼らの心中たるや、想像に余りある。


 新たに射手たちを編成して南尖塔に籠めたものの、急造の弓兵では実力など知れたものだ。吸血鬼の襲撃を防げなかったこともあって士気も低い。また襲撃を受けたら、今度こそ壊乱する。


「それがわかっているのか、傭兵ども……!」


 きっとわかっていないに決まっている。所詮は雇われの無法者、辺境伯に帰順したからといって戦術戦略など理解しているはずがない。

 打算まみれの余所者め。雇われは雇われらしく、金で雇われて金のために死ねばいいものを。


 扉が見えた。これを開ければ尖塔内部の広間で、話が本当なら弓を持った傭兵たちが敵に矢を射かけているはず。中に螺旋階段があって、上れば屋上につく。

 ジャンは息を乱しながらも怒気を滲ませ、乱暴に内部へ続く扉を蹴り破った。


「貴様ら! 一体何を怠けて――ぐぉおおおおお!?」


 衝撃が顔面に叩きつけられた。そうとしか考えられない。

 一変した場の空気。二十六年あったジャンの生涯でいまだかつて経験したことのない壮絶な臭気が鼻面を襲い、物理的な衝撃さえ伴って彼の精神を打ちのめした。


「なんっ!? なんだ、この臭いは……!?」

「んー? 夜食の配達かい? 勘弁してくれよこんな臭いン中で食えるわけ……む?」


 愕然と膝をつき悶絶するジャンに対し、中で控えていた男たちの反応は場違いなほど呑気なものだった。

 矢狭間から外を窺っていた指揮官らしき男が振り返り、ジャンの様子を認めるなり心配そうな顔で話しかけてくる。


「おいおいあんた大丈夫か? 今にも死にそうなくらい顔が真っ青じゃないか。夕飯で変なもんでも喰ったのか?」

「――――っ! …………っ!? ――ぉおおぅぅぇええええええええっ!?」


 大丈夫じゃないのはお前らの頭だ。そう言おうとして限界が来た。

 こらえきれずに背中を丸め、大きくえずく。びちゃびちゃと音を立てて胃の中のものが石畳に広がり、辺りの臭気に酸っぱい臭いが入り混じって気が狂いそうになった。


「あーあーあー、きもっち悪いなお前。あとでちゃんと掃除しろよ」

「……き、きさ……っ」


 気持ち悪いのはここの臭いだ。どうしてお前らはそんな平然としていられるんだ。

 あからさまにばっちい物を見る目付きでこちらを見やる指揮官に殺意を覚えつつ、ジャンは少しでも落ち着こうと息を整え――無理だった。


「ぅぅぉおおおおおおおえええええええ!?」

「お前は俺らの邪魔しに来たのか。――レイロフ! 悪いんだが世話してやってくれ」

「へい」


 指揮官の言葉に従い、部下の一人が声を上げる。驚いたことに、射手として配置された傭兵たちでありながらその男は弓もクロスボウも帯びず、盾と斧を持って矢狭間から離れた場所で腰を下ろしているところだった。他にも数名同様に斧と盾を持つ傭兵たちがいて、その光景がさらにジャンを混乱させる。

 レイロフと呼ばれた男はジャンの背中をさすりながら肩を支え、慎重な手つきで壁にもたれさせた。重装備での全力疾走と酷い嘔吐で消耗したジャンは為すがままにされ――


「――小隊長! 北側から来ました、一名様ご案内です!」

「お出ましか。――準備はいいな、野郎ども!」


 クロスボウを手に外を窺っていた猟兵の一人が唐突に声を張り上げた。当然のように応答する小隊長。途端に近接装備を持った男たちが殺気立つ。矢狭間に張り付いていた射手が何を思ったのか持ち場を離れ、壁沿いに後退していく。

 一体何が起きるのか。訳も分からないままジャンは目を回し――そいつは現れた。


「ふはははははは! 覚悟はいいか、劣等種……!」


 狭間から黒い霧が吹き込んでくる。どこからともなく哄笑を上げながら霧は塔の内部に入り込み、明らかに不自然な動きでひとところに集まった。密集した霧は人間の姿を形作り、まるで幻のように実体を帯びていく。


 ――吸血鬼。南尖塔を壊滅させた化け物が、とうとう北にも。

 絶望の悲鳴を上げそうになったジャンは、次の瞬間呆気にとられることになる。


「はははははっ! 悲鳴を上げ――ぎゃぁああああああ!? なんだこれ、何なのだこの臭いは!?」


 顔を実体化させるや否や絶叫を上げる吸血鬼。口と鼻を抑えつけ、目からは滂沱と涙を流し始める。背中を丸めて大きくえずく姿はまるで数分前のジャンのようで憐れすら誘う。


「いよっし、かかれェ!」


 その隙を見逃す小隊長ではなかった。嬉々とした号令に、応と答えて得物を抜く白兵戦装備の男たち。ギラギラとした目付きで吸血鬼ににじり寄り、思い思いに武器を構えた。


「なん――なんなのだ貴様らは!? どうしてこんな場所で平然としていられる!? 本当に人間なのか……!?」

「てめえが言うな! ぶち殺せぇッ!」


 たまらず悲鳴を上げる吸血鬼。じりじりと後ずさる男の視線は逃げ場を探し、元来た矢狭間へと向かおうとする。しかしあまりの臭気に集中を欠いた吸血鬼は霧に身体を転じられず、


「そんな、馬鹿なぁっ! 馬鹿なぁあああああ!?」

「オラ死ね今死ねさっさと死ね! こんな目に遭った俺たちの恨み思い知れ!」


 腰砕けで逃げ惑い、みっともなく矢狭間に縋りつく男の背中を斧で断ち割る簡単なお仕事です。忘れずに頭部も斧で砕いておきましょう。


 まるでやり慣れた作業のように吸血鬼を処理(・・)する手際を、壁にもたれたジャンは呆然と見つめていた。

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