ハインツ防衛戦⑥
「――命中。とんだ案山子ね、あれは」
尖塔の上階にて、愛用の短弓を手に自らが放った矢の効果を確認しながらエルモは嘯いた。
視線の先には更におかわりが追加されたグールの集団。数は……ざっと三百といったところか。ちょうど今、彼らに『仕掛け』を施した矢を射たところだ。
城門前に密集しているグールたちでなく新たにやってきたアンデッドを標的にしたのは、『仕掛け』が万全な状態の敵に通用するかの確認と、やや開けたところで射て観察がしやすくするためである。
――実験の結果は成功。実験体に見繕ったグールは被弾箇所を掻き毟ってもだえ苦しんでいた。
『仕掛け』はグールに対しても十分に有効な切り札たりうる。一矢で殺害は不可能でも戦闘不能に持ち込めるというのは大きい。
「こんな感じでバンバン仕掛けていきたいんだけど……」
「勘弁してくださいや……」
はい次、とばかりに新しい矢を突き出したエルモに、ひとりの分隊長が恐ろしく奇妙に顔を歪めて応えた。その手には小さめな壺があり、中には褐色の液体が詰まっている。……エルモがインベントリから取り出した樽の中身を小分けにしたもので、各班ごとに配られていた。
――腐れトマト。半島からエルフの森を繋ぐ、東辺海航路を渡るために不可欠な水溶性の魔物除け。
十年以上の品種改良によって効力を増し、更に濃縮をかけた逸品である。
捧げ持つように掲げられた壺に鏃を突っ込むと、中身が掻き混ぜられて特有の悪臭がさらに広がった気がする。たまらず顔をしかめた分隊長が口元を押さえてぼやいた。
「鼻がいかれてもまだ頭がくらくらするんすよ、それ。臭いの籠りにくい屋上のこっちですらそうなんだ、下の連中は今頃地獄でさ」
「背に腹は代えられないわ、諦めなさい」
「ちっくしょう! おのれ吸血鬼が……っ!」
部下の愚痴を切って捨て、魔物除けの塗ったくられた鏃を改めて見やる。……僅か小指の爪ほどにも満たぬ塗布量でこの効果。さすがは半島名物である。
反面、効果に比例するかのように悪臭は度を増した。あまりの悪臭に猟兵達は目を回し、クロスボウの装填のために魔力を練り上げることすら一苦労。結果として斉射は不可能となり、射撃頻度が激減することとなった。
「――でもまあ、元から斉射なんていらなかったのかもね……」
そう言って、エルモはグールの群がる西城門を見やった。轟々と燃え盛る篝火に照らされているのは、南側の塔や城壁からによってグールたちは散々に射かけられている姿だ。しかし彼らの不死性と再生力によってほとんどの矢は無効化され、門の目前はアンデッドでひしめいていた。
唯一有効なのは門前に仕掛けられた防御兵器。巨大な丸太を縄で吊り上げ、門前に群がる敵目がけて落とすことで押し潰すというもの。さしものアンデッドも質量兵器に一撃で頭を潰されてはなす術もないのか、あれにやられたグールたちが再び立ち上がる様子はない。
城門の閂が軋む、めきめきという音が次第に大きくなっている。今回現れた増援のことも鑑みれば、夜明け前に門は破られるだろう。
――それでも、エルモは自らが敗北することなど欠片も考えてはいなかった。
「斉射が要らない? どういう意味っすか、それ」
「見ての通りよ。これまで惰性でやってきたけれど、今回の戦いだと射撃のタイミングを合わせる必要はそんなになかったって話」
怪訝そうに眉をひそめる分隊長に、エルフの副官は冗談交じりに愚痴を交えて説明することに決めた。
「ノエ分隊長。あなたはそのクロスボウで、あそこで門を叩いてるグールを狙って射ることはできるかしら?」
「余裕っすね。なんならどっちかの目玉を選んで当ててもいいっすよ」
平然と答える分隊長。――つまりはそれが答えである。
斉射の目的とはすなわち、弾幕の創出にある。散弾や機関銃のように複数の矢玉で面を制圧するためのものである。当てるのでは当たる――下手な鉄砲の理屈で弾幕を張って逃げ場を奪えば、とりあえずどこかの敵は斃れてくれるだろうというのがこれの理屈だ。
この戦法が有効な状況とは、目前の敵がすばしこい、あるいは遠距離過ぎて単射では仕留められる確証がない場合にある。
さらに一斉に射撃を加えることによって敵に心理的圧力を与え、陣地に引き籠らせて頭を上げさせない牽制の目的もあるが……今回は心理もへったくれもないグール相手なのでまるで意味がなかった。
敵は五百体以上が門の前に群がって居座り、目を瞑って射込んでも誰かに当たるという状況。まさにより取り見取りである。
敵は膨大な数にも見える。しかし実際に門に触れられる個体は二十体が精々で、残りの数百体は手持ち無沙汰にあーうー野次を飛ばすだけの遊兵だ。味方が丸太に潰されても直後に後ろのグールが門を叩き始めるという隙の無さはあるが、もっと他にもやり方はあるだろうと思う。
こちらから狙って当てられる距離内で、敵に矢を躱そうという意志すらない。怯んでくれないという点は減点だが、それもまた付け入る隙にはなる。
この時点でもはや斉射は無用の長物だ。各自好き勝手に打ち込んでも充分な戦果が挙げられる。わざわざ射撃を合わせる必要はない。
「……ほんと、嫌になるわ。どうしてこんな頭が固くなってるのかしらね」
「そりゃあれっすよ。今まで俺ら、あんな敵とやり合ったことなかったし」
がりがりと頭を掻きながらのぼやきに、ノエ分隊長は苦笑して答えた。
「俺らが相手取ってたのは半島ん中に入り込んできた賊の類と、北の方からやってきた脚の速い魔物ばっかりだ。逃げようとするし避けようとするんだから、どうしたってああいう撃ち方になっちまう。こんな入れ食いの方が珍しいんでしょうや」
「まったくね。あのグールたちには精々いい的をやって貰いましょう」
軽く鼻を鳴らしてエルモは弓に矢をつがえた。狙いは敵最前線で門を叩いているグールのどれか。負傷した兵を後ろに下げるという思考が彼らにない以上、矢を受けて傷を掻き毟っている間、門のその部分は当人が邪魔になって敵が押し寄ることができない。上から落ちる丸太か背後から押し寄せる仲間に押し潰されるまで、その間は時間が稼げるはずだ。
狙いを定め、弓を引き絞る。いざ射掛けようと手を離しかけた瞬間――慌ただしい足音ともに一人の猟兵が階段を駆け上がってきた。
「大変です、姐御……!」
「誰が姐御かっ! 何があったの!?」
「せ、セドリック分隊長が、倒れました……ッ!」
「――――っ」
奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばる。セドリック――いの一番に腐れトマトを顔に塗りたくった男だ。あの飄々としたしたたかな男が、どうして。
「……何に、やられたの?」
「………………部屋の中に、籠った臭いにやられて。完全に目を回しちまいました……ッ!」
第二小隊、悪臭によりこれで三人目の脱落である。




