あまりに不自由な初期能力
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――――――Now Loading...
Lv10に達するまで死亡ペナルティは存在しない。
Lv10以上で死亡した場合、強制ログアウトとなり、以降その世界が新たに作り直されるまで降り立つことが出来ない。
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「―――おい、なあおい!」
強く揺さぶられて目を開けた。
視界が霞がかったようにぼんやりしている。おまけにぐらぐらと安定しないせいで今にも酔いそうだ。
これがいわゆるVR酔いというやつだろうか。―――気分をはっきりさせようと頭を振ろうとして愕然とした。
動きが鈍すぎる。
実際と感覚のギャップに一瞬パニックに陥りかけて我に返る。
そういえばここはゲーム世界。スキルとステータスが支配する地である。常人離れした高速で動き回ることが可能であれば、敏捷値が足りなければ常人離れしてのろまな動きしかできないのも道理である。
ならつまり全ステータスオール5とは、万遍なく一般成人以下という意味なのだろうか。
「おいあんた!」
……失礼、忘れてた。
呆けていた頭を軽く叩き、俺は正面から声をかけてくる男に焦点を合わせた。
無精髭の目立つ黒髪の男だった。
力仕事で鍛えた剥き出しの腕は日焼けしていて、彼が働き盛りであることを示している。
ファンタジー世界でありながら防具を身に着けておらず、ベルトには作業用のナイフが括り付けられていた。
何かの作業員。印象はまんま土建屋のおっさんである。
「……チェンジ。チュートリアルガイドはもっと見目麗しいのでお願いします」
「何言ってんだあんたは?」
呆れた顔で髭男が言った。
「いや、何でもないよ。ちょっと寝ぼけてたもんでね」
「……最近の流行りかそれは? この船の乗客全員が似たようなことを言いやがる」
「船……?」
言われて初めて辺りを見回した。
だだっ広い部屋だ。周囲は木造の壁に囲まれて、等間隔に丸い窓がついている。
俺は壁に寄り掛かるように座っていて、すぐ外が海なのか背中越しに波音が伝わってきた。
……どこだここ。
「―――おいおい、なんだここはぁ?」
新たな声。
振り返って確認すると若い男が呆然と突っ立っていた。どこからともなく、突然に。
いつの間にホラーゲームになったんだといわんばかりの唐突さである。
白いシャツとズボンという身なりからして、恐らくはプレイヤーだろう。察するにキャラメイキングが終わったあと、突然ここに送られて困惑しているのだろう。
一度気づけば、来るわ来るわ。
最初に見たときは数人が座り込む程度だった船室は、ぼんやりと浮かび上がるように出現するプレイヤー達によってあれよあれよと占拠された。
その数、およそ30人強。
傍から見れば怪奇現象だというのに、髭面の男は面倒くさげに顔をしかめただけで大した反応を見せない。
あまつさえ集団に向けて大声で呼ばわって見せた。
「おうおう、こりゃまた大漁じゃねえか! ようこそ『ご客人』! あんた等はこれからこの船で王都に向かう。ちょっとした船旅になるから、しばらく体の調子を確かめるなりダチと駄弁るなり好きにするといいや!
俺はこの船の船長で、先祖代々300年ばかりあんたらを迎える仕事をしてる。聞きたいことがあるならとりあえずは答えてやるよ!」
そう言って船長は何が面白いのかがははと笑った。
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結論から言うと、船長は役に立たなかった。
あの説明のあと、勢い込んだプレイヤーがいくつか質問すると、船長はにやりと笑って、
「『めにゅー』と『へるぷ』。『めにゅー』と『へるぷ』だ! そう言えば伝わるんだろ? あんたらは共通でそういう能力があるんだってな!」
平然と世界観をぶち壊しやがったのである。
確かにシステムウィンドゥは存在する。むしろ視界の右下で赤く点滅して今すぐ展開しろとばかりに自己主張している。
けれどそこはファンタジー。そんなPC初心者に取扱説明書を投げつけるような暴挙に出る前に、手とり足とり指導してもらいたかった。
今やプレイヤー達は思い思いの格好で虚空を睨んで指を彷徨わせている。何も知らなければ何かの不気味な儀式に見えるだろう。
―――俺? 一応確認だけはした。システムウィンドゥの使い方とか各種情報の閲覧方法とか、ログアウトの方法だとか。
触りだけ流し見てしまえばあとは暇なもので、目的地まで半日かかると聞かされた以上、船室で不貞寝するのももったいない。今は甲板に出てひたすら歩き回っている。
気持ち悪いのだ、自分の動きが。
自分の動きが思っているものと違う。まるで綿でできた服を着せられて水飴のプールを泳がされているように感触が重い。
同じように感じている人間は他にもいるようで、周囲には何人かが飛び跳ねたり正拳突きをしたりと、首を傾げながら動きを確かめている。
周囲の人間を改めて眺めて、ふと気づいた。
……そう言えば、始めてから今まで、人間以外のプレイヤーを見ていない。エルフもドワーフも、数奇者が好みそうな魔族さえも。
種族ごとに開始位置が違うのだろうか。だったら人間族も適当な平野にでも降ろしてくれればよかったのに。
まあ、関係のないことだ。
今はとにかく、この体に慣れないと。
―――動きが遅いのは敏捷値が低いせいだ。なら敏捷を上昇させることはできないか。
どうやって?
ひょっとしたら跳んだり走ったりすればなにかしら変化があるかもしれない。
そんなわけで俺は今、それなりに広い甲板の周縁をぐるぐると歩き回っている。
そう、歩きである。
本当は走ろうとした。そしたら五歩も踏み込んだところで足がもつれてすっころんだ。HPが2減少した。
視界左上を見るとHPを示す赤いバー、MPを示す青いバーと、さらにその下に緑のバーがあって、見事に空になっていた。
ヘルプ画面から確認すると、緑のバーはスタミナ―――SPを示すらしく、肉体的な行動は必ずそれを消費し、空になると体がまともに動かなくなるのだとか。
種族選択の時に表示しとけよ、そんなもん初めて知ったわ。
……プレイヤーの皆さんに悲しいお知らせです。我々は五歩も走ればぶっ倒れる虚弱体質だと運営にdisられております。
俺と同じような行動に出たのか、何人かが膝をついて慟哭していた、その気持ちはよくわかる。
早めに知ることが出来てよかったと考え直すべきだろうか。いざ戦闘というときにスタミナ切れで嬲り殺しだなんてことにならなくてよかったと。
……とにもかくにも、まずはこの身体を何とかしなければならない。
五歩走ってはとぼとぼ歩き、スタミナが回復したらまた五歩走る。
スタミナの回復自体は遅々たるものだ。十秒に1ポイント程度しか回復しない。SPの最大値は10だから、1分半に一度走り込む程度だ。つまりこの対して広く無い甲板を、のろのろと三週歩いてようやく五歩走ることが出来る。
……正直挫けそう。でも他にやることもない。
事前の説明ではプレイヤーの行動が各種パラメータやスキルに影響を与えるらしいし、やっておいて損ということもないだろう。
そんな事を十回も繰り返したあたりだ。
唐突にアナウンスが頭の中で鳴り響いた。
≪経験値の蓄積によりSP最大値が上昇しました≫
……惜しい。上げたいのはそっちじゃなくて敏捷値のほうなんだ。
出来れば種族選択の際垣間見た『走行』だとか『登攀』だとかが欲しいです。
この船に来て以来初のアナウンスのあまりのしょぼさに落胆する。
でも一応ステータスアップはステータスアップだ。これで今までの散歩じみたジョギングにも、ある程度の意味があると判明した。
あとはこれを繰り返し、甲板3週くらいでは息切れしないようなスタミナを身に着けるとしよう。
―――と、その前に、せっかくなのでメニューからステータスを確認してみよう。
給料日に預金残高を確認するような、ちょっとわくわくする気分だ。
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プレイヤー名:コーラル
種族:人間 Lv:0 戦力値:0
HP:20/20
MP:0/0
SP:0/11(↑1)
攻撃:5
防御:5
技量:5
敏捷:5
魔力:5
抵抗:5
Exp:0
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相変わらずしょぼい。
……まあいい。所詮は暇つぶしのつもりでやっているのだ。船が目的地に着くまで、ひたすら走ってSPを鍛えることにしよう。
ステータスに未見の数値がありますが、まだ気づいていません。