ハインツ防衛戦⑤
効果あり。雷撃の光は吸血鬼にも通用する。
「――多分だけど、ね……」
何しろ喉から腹までの内部を一直線に雷撃で焼いたのだ。吸血鬼の弱点である心臓も当然炭と化したし、彼らの再生の要である血液もだいぶ蒸発しただろう。これだけやれば日光や銀の武器を用いなくともアンデッドは滅することができる。稲光はまったく関係ない。
つまりは、今回の検証はまったく裏付けの取れない結果に終わったのだった。
……まあ、いいか。単に勢いに任せて敵とどつき合っただけだ。無我夢中でやったことでそれが今後のためになることなど、そうはないのだから。
「……第二小隊、被害の報告を」
気を取り直して、エルフの副官は小隊長に問いかけた。視線は石の床に倒れ伏す二人の男に向けられている。二人は血だまりと果汁の水溜りに埋もれたまま、ぴくりとも動かない。
二人の所属していた分隊長が彼らの首に手を当て、沈痛な表情で首を振った。
「……この二人、だけです」
「そう。――――彼らの首を切り落として」
「副隊長!?」
信じられないという顔でこちらを見る小隊長。エルモはそれに淡々とした表情で応じた。
「正気ですか!? 彼らは仲間ですよ!? 戦って死んだ戦友だ、死体を辱めるなど――」
「なら、ほったらかしにしてグールになったこいつらに後ろから襲われる? 私は嫌よ、そんなの」
「――っ、しかし、まだそうなると決まったわけじゃ――」
「決まってからじゃ遅いでしょうが。ただでさえ二人死んで人手が足りなくなってくるのに、今後さらに忙しいときに後ろで暴れられるわけにはいかないわ」
「しかし……!」
冷徹に命令するエルモに反駁する小隊長。一触即発の雰囲気に周囲の部下たちも固唾を呑んで見守っている。悪化していく空気に流石のエルモも苛立ちを隠せなかった。
……いっそ抗命で更迭してやるかと短弓を握り込んだ、その時。
「――杭を打ち込みましょう、胸に」
一人の猟兵がおずおずと手をあげてみせた。不意打ち気味に言い放たれた言葉にその場の全員の注目が集まる。
彼の名前は確か……そう、ジョゼといったか。もとは騎士団領の中流階級出身だったという男だ。
ジョゼは負傷したらしい腕を抑えつつ、周囲の視線に気圧されながらも胸を張って言った。
「小さい頃、教会の神官からそういうお伽噺を聞いたことがあります。吸血鬼が寝ている隙に、白木の杭を胸に打ち込む話だった。これなら首を落とさなくたってグールになるのは防げる」
「…………副隊長」
「そうね……」
小隊長の同意を求める視線にエルモは頷いた。
「誰か、木の杭を下から二本貰ってきて。――いえ、今後のことも考えて十本は用意して」
「レイフ、行ってきてくれ」
「はっ」
小隊長の名指しにに猟兵が一人飛び出していった。エルモはそれを見送り、軽く息をついて、
「それと――――ジョゼ」
「はっ」
「ありがとう」
「ははは……」
エルモの言葉にジョゼは軽く目を瞠り、困ったように笑って見せた。
「恩に着るなら、貸した金返してくださいや」
「それはまた今度。手持ちがないから。……傷は大丈夫?」
「支障はないですね。まだ余裕で戦えます……って言いたいとこですが」
軽く顔をしかめてジョゼは言った。その視線は今や灰となった吸血鬼の身体のあった方を向いている。
「なんか、奴の手袋の爪の部分で引っ掻かれました。もしかしたらやられてるかも」
「わかったわ。――イルマリ、ペッテル、ジョゼと同じ班だったわね。彼を治療院――いえ、教会に連れて行きなさい」
「二人がかりですか? そんな大袈裟な」
「付き添ってる間に『なられた』ら大変でしょう? 二人いたほうが対処も確実よ」
「ひでえな、そりゃ」
いざというときは二人がかりで殺せという命令に、ジョゼは気にした風もなくからからと笑った。
●
確認を取れば、他にも二人ばかり怪我を負った人間がいた。彼らにも人をつけて一旦下がらせ、教会で浄化を受けさせることにする。教会の神官が相応に高いランクの光魔法の使い手であることは調査済みで、もし浄化を渋ったら武器を突きつけて脅してもいいという許可も与えた。
これで下階第二小隊24人のうち9人が離脱、二人の死者を合わせれば残りはたったの13人だ。付き添いの6人はすぐに戻ってくるとはいえ、それでも被害は甚大といえる。
「第一から人員を融通しますか?」
「そうね。けど、射手にはしない」
「は……?」
エルモの返答に小隊長が目を丸くした。
「あの吸血鬼対策をするわよ。またあんな風に乗り込まれて暴れ回られたらたまったもんじゃないわ。
上からまるまる無事な1個分隊を班ごとに2つに分ける。上と下、それぞれに配置するわ。盾と斧を持たせて中央に待機させなさい。彼らの分のボルトはあなたたちで分けて」
白兵戦要員を用意する。苦肉の策だ。これでまた射手が減る羽目になった。ボルトの消費は減ったがまるで嬉しくない節約術である。
あるいはこれを見越して敵はあの吸血鬼を寄越してきたのかもしれない。
ただ――
「――――気に入らないわね」
いつまでも、こちらが思い通りに踊らされたままだと思うな。
「副隊長……?」
汚れた床に座り込みながら不穏な雰囲気を纏い始めたエルモに 小隊長が恐る恐る声をかけた。すると、彷徨っていたエルモの眼に焦点が合う。
小隊長と目と目があった瞬間、にたりと口が吊り上がる感覚をエルモは感じた。それは正面から目撃した小隊長が思わず顔を蒼褪めさせ後ずさるほどで、
「ちょ、何を――」
「憂さ晴らしよ。――喰らえェ!」
「へぶぁ!? あ、うぐぎゃぁああああああああ!?」
とりあえず近場に転がっていた腐れトマトを拾い上げ思い切り投げつける。悪臭を放つ褐色の塊を顔面で受け止めた小隊長はみっともない悲鳴を上げて転げ回って悶絶した。
まるで朝日に焼かれる吸血鬼のような醜態に溜飲を下げつつ、エルモは今度こそ肚を決めた。
「吸血鬼対策よ。――全員、これを肌に塗ったくりなさい」
「が……!?」
「ば――――!?」
「うへえ……」
「マジか……マジか……」
絶句する猟兵達。その様相は様々だ。単に顔を蒼褪めさせるもの、呼吸困難を起こすもの、暗澹たる表情で呻くもの。
それも当然だろう、誰もがみな、これの恐ろしさを夏至祭りに思い知っている。出来ればこんな経験は一年に一度で充分だと皆が思っている悪夢だった。
「……どうやら、シティボーイな敵さんは田舎のトマトが舌に合わないみたいね。……もったいないと思わない? こんなんでもうちの名産品よ、これ。ちょっと臭いがきついからって遠慮されたら、私達の立つ瀬がないわ」
「これはそういう問題じゃないような……」
「だったら味わって貰おうじゃない。トマトでデコレーションしたご馳走よ。見事――食べられるものなら食べて貰おうじゃないの」
「く…………は、ははは」
エルモの言葉に、分隊長の一人が堪え切れない様子で笑い出した。そして腰の革袋からおもむろに魔除けの果実を取り出すと――ひと息に、顔に向けてぶち込んだ。
ぐじゅりとトマトが潰れる音。さらに広がる悪臭。マジかよこいつという周囲の視線を知ってか知らずか、分隊長は悲鳴を上げて転がり回る。
「ひ、ぎぃいいいいいい――ひはははははっ! 鼻がいかれたじゃねえですか、副隊長!」
「必要経費よ。というか、直接顔に擦り付けるあんたが悪いわ」
「そうは言いますがねぇ……隙ありィ!」
「ひばぁ!?」
「ちょ、なにを!?」
「おいなにしやがる飛沫がかかったぞ!?」
分隊長の投擲を受け、呆気にとられてエルモ達を眺めていた猟兵の一人が悲鳴を上げた。大の男が鼻を押さえて芋虫のようにのたくる様子をゲラゲラと笑いながら、分隊長は新たなトマトを取り出して言い放った。
「半年前に予習だ! 新婚どもと吸血鬼の前にひと合戦といこうじゃねえか!」
「やりやがったなクソがぁ!」
「何すんだやめろよ!?」
「やめ、やめ……ぎゃあああああああ!?」
叫喚地獄が始まった。それぞれ腰に装備しているトマトを投げつけ合い、応戦し、はたまた地面に転がるそれを掬い上げて擦り付け合う。そのたびに悲鳴と怒号が上がり……次第に、狂ったような笑い声に変わっていった。
「くせえ……臭くない! 臭くないったら臭くねぇ!」
「死ぬ死ぬ死ぬ臭いで死ぬ臭いで死ぬうぁあああああ…………あれ、臭わない?」
「鼻が麻痺ったんだろそれ! 三日は戻らねえからな!」
ゲラゲラと笑いあう。もうどうにでもなれ、スタイリッシュさなど投げ捨ててしまえとやけっぱちな笑い声が塔に響いた。当然その中には猟兵から集中砲火を浴びてトマトまみれになったエルモもいて、一緒くたに肩を組んでゲタゲタと笑い転げていた。
「上等だ! 俺たちにここまでさせたんだ、奴らにもそれにふさわしい目に遭って貰おうじゃねえですか!」
「ほんとの地獄ってやつを味わわせてやる!」
「畜生、この服新調したばっかなのになぁ……!」
思い思いの決意を口にして武器を取る。しかし悲壮感は微塵もなかった。誰もがこの戦いでの勝利を確信している。
エルモも同様に弓を握り、持ち場につく――――前に、唐突に青白い閃光を走らせた。
青白い光――インベントリの中から取り出したのは一抱えほどの大きさの樽。それが姿を現した瞬間、塔の中に充満する悪臭がぐんと密度を上げた気がした。
顔を引き攣らせて後ずさる猟兵達。そんな彼らの様子にニタニタと顔に笑みを浮かべながら、エルモは言った。
「最終手段を解禁するわ。――――覚悟はいいわね野郎ども、地獄を作るわよ」




