ハインツ防衛戦②
実のところ、軍対軍の合戦における死傷者というものはそう多いものではない。
少し考えてみればわかることではあるのだが、戦というものは最初の矢合わせで趨勢が決まってしまうことが大半だ。胴丸や胸甲で胴を守り、兜や陣笠で頭を守って喉輪をつければ大抵の場合致命傷は避けられる。鎧の隙間を矢で射られる場合もあるが、それは運が悪かったということで。
致命傷を避けたとはいえ、矢を受けたのだから怪我人は怪我人だ。十全に戦働きなど望めないし、当たり所が悪ければ痛みにのたうち回って周囲の士気を下げかねない。
よって矢傷を受けた人間は浅手でない限り後方に下げられる。射た側からしても、殺せはしなくとも相手の人数を減らし戦力を下げられたのだから文句はあるまい。
かくして矢の撃ち合いによって敵味方は櫛の歯が抜けるように人数を減らし、大体の趨勢が定まった辺りで優勢な方が駄目押しのために白兵戦に移るのだ。
これが戦国時代初期の頃――鉄砲が普及する以前の戦の大体の流れだ。
矢合わせとは言っても射掛けるものは弓矢だけでなく、印字と称して拳大の石飛礫を投げつけることも多くあった。打ち所が悪ければ頭部挫傷で死ぬとはいうものの、やはりそれはたらればの話であって多くの場合では打撲や骨折で離脱する兵の方が多かったのではないかというのが昨今の通説である。
そして矢傷を受けた人間は戦場より帰還してから感染症で死ぬ。
消毒と称して馬糞や人尿を傷口にかける時代なのだからむべなるかな。むしろ積極的に糞尿を鏃に塗りたくって射掛けてくる気違いもいたというのだから、戦いそのものより事後処理での死者の方が多かったのではないだろうか。
結論として、戦における飛び道具での直接の死者はそれほど多くはなかったのではないのか、というのがエルモの持論だ。弓矢に求められていたのは優れた殺害性能ではなく、あくまで敵を傷つけて流血させ、士気を下げて後方に下げさせることによって戦力を減退させるというものだろう。死にはしなくとも戦えない兵士など案山子にも劣るのだから。
弓矢の対人威力とは第一に心理効果である。――では、その心理を持たない相手にはどうすればいいのか?
いくら射掛けようが動じない。隣の仲間が打ち倒されても怯みもしない。全身が針鼠のようになるほど矢を突き立てられても足を止めない化け物と相対した場合は?
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「総員、斉射ァ!」
怒号じみた小隊長の号令に従い一斉に弩弓が撃ち放たれた。機械式ならではの強力な張力により射出されたボルト、総数にして二十四本。ワイバーンの鱗を貫通する威力を誇る矢弾が屍の群れにい容赦なく降り注ぐ。
アンデッドとはいえグールの皮膚に強度はない。飛来したボルトは城門に取り縋るグールの密集した地点を襲撃し、その体を容易く引き裂いた。腕が千切れ、胸に穴が開き、はらわたが飛び出て足が折れる。鈍重な亡者はもんどりうって倒れ込み、地面に縫い付けられる個体もある。
――だが、止まらない。引き下がらない。
腕が千切れたから何になるのか、腹がに穴が開いたからどうだというのか。すでにその体は死者のそれ、生命活動などもとより停止している。四肢の欠損も内蔵の損壊も彼らにとって深刻な障害ではない。かろうじて動きが阻害されるくらいだ。
身体にいくらダメージを蓄積させても敵の動きに疲労は見えず、怯む様子など欠片も見えない。そんな敵勢の様子を尖塔の上から睥睨し、エルモは忌々しげな舌打ちを漏らした。
……一体のグールを殺しきるのに必要なボルトの数は七本。腹胸股間両肩両大腿、それだけぐちゃぐちゃに射潰してようやく動きを止めた。
銀のメッキを使わない矢でも有効打を与えられると知れたのは朗報だが、こんな有様ではこちらの残弾が先に尽きる。
「猟兵に通達! 腹から上は狙っても無駄! 下を狙いなさい!」
「しかし、それでは――」
「いいから黙ってやれ! 膝一本でも吹き飛ばせばまともに立てなくなる木偶相手よ、わざわざ殺しきる必要はないわ!」
異議を申し立てようとした隊員に一喝し、エルモは手本とばかりに短弓を撃ち放った。弩弓より威力の劣るはずの矢は吸い込まれるように一体のグールの膝を射抜き、皿を割られた亡者は立っていられず転倒する。
……これでいい。無論、膝を砕かれた程度ならば相手はグール、すぐにでも再生して戦線復帰してくるだろう。しかしそのためには再生した肉が盛り上がり、貫通している矢が抜け出るまで待たなければならない。知能の低下している連中に矢を抜くなどという行為もできない。つまりはその間は時間が稼げるということ。殺す必要はない。
弩弓ならばもっと話は早い。ドワーフの地下王国謹製の合金クロスボウは威力だけなら大陸一だ。脚に当たればまず間違いなくそこから下を吹き飛ばす。脚を丸ごと再生する時間を稼げるならそれだけで御の字だ。
第一目標は夜明けまで門を守り抜くこと。日が昇れば弱体化する相手だというなら、それまで足を引っ張ってやればいい。
ゆえに殺害はあくまで努力目標。殺すのは夜明け後に、追撃のために打って出てからでも十分だ。
「――斉射ァ!」
そうこうしているうちに下階から号令と弓鳴りの音が響き、尖塔の狭間からボルトが射出されていく光景が見えた。下の第二小隊による射撃だ。
エルモの命令に従ったのか矢弾はグールたちの腰から下を狙いに掛かる。骨盤を折り太腿を削ぎ膝を砕き脛を切断し、ひと息に十体のグールたちが転倒した。痛みなど感じないとでもいうのか、グールたちはそれでも腕を使って這うように前進し、吸い寄せられるように城門を目指している。
「させるかっての……!」
同時に二本の矢をつがえて引き放った。一度だけでなく二度三度と繰り返し複数の矢を敵に射込む。地を這うグールの手の甲に、あるいは肘関節に矢は突き立ち、地に縫い付けることで動きを封じた。
次の矢を求め矢筒に手を彷徨わせてエルモは舌打ちを漏らした。……もう手持ちの矢が尽きた。たった一時間足らずで、それほど射撃機会のない指揮官の立場で、前もって48本も用意しておきながら。
インベントリには予備が唸るほど詰め込んであるとはいえ、それでも所詮は限りがある。
今のままなら防ぎきれる。それは断言してみせよう。
けれど――敵が何か、こちらの裏をかいて来たら? 更なる増援を呼んで来たら?
「――副長! 第二小隊、残り矢数五本を切りました……っ!」
「――っ、すぐに行くわ!」
嫌な予感に浸る余裕すら与えてくれないのか。
身を焦がす焦燥感をどうにもできないまま、エルモは階下に繋がる階段を駆け降りた。




