とある南瓜の場合:後
その村は、プレイヤーが多く集められた村であるらしい。
ただのプレイヤーではない。全てが全て、荒事が苦手な老人たちの集まりだった。
このゲームの売り文句――本当にリアルな世界でのセカンドライフ――に釣られ、現代日本ではできないスローライフを送るためにログインした人たちだった。
スローライフ――畑を耕し、水を引き、太陽の気まぐれに一喜一憂して野菜を育て、大地の恵みに感謝して腹を満たす。……それだけが彼らの目的。
ファンタジーな剣と魔法など端から眼中にはない。彼らに必要なのは、かつて失った頑健な身体と耕すための農地、そして育てるための作物だった。
身分は奴隷なのだという。ログインした当初から捕らえられ、砂漠のオアシスにあるという闘技場に剣闘奴隷として送られた。
当然彼らに戦う術などありはしない。もとより鍛える気すら欠片もなかった。鍬を振る気満々な人間に剣を持たせても、一向にやる気など芽生えるはずがない。
早々に闘技場のランキングで最下位に落ちぶれていったプレイヤーたち。オーナーたちが何を言っても不貞腐れるだけで、嫌気がさした人間から次々とログアウトしていく。
そんな中、待遇の改善を求めて自らの所有者に直談判した男がいた。誰あろう、彼女を持ち帰った田吾作である。
――戦いなんて非生産的なことさせるくらいなら、農奴として雇いやがれ。この砂漠から、飢えをなくしてみせる。
アルス大水源を統治する長老に啖呵を切ったタゴサクは、見事生産職志望のプレイヤーを闘技場から引き抜くことに成功した。引きかえに課せられた命令は、数年以内に砂漠内で育てられる作物を探し出し、栽培方法を確立すること。
無謀な試みだと彼女でもわかることだ。今の今まで七百年、序盤の三十年だけだとしても二百年以上。それだけの期間プレイヤーが横行してきた大陸だ。救荒作物など散々探し回られ、試し尽されているに違いない。
事実、長老に拾い上げられて三年経ってもタゴサクは成果を上げられなかった。日増しに追い詰められていく期限に他の村人プレイヤーは追い詰められ、不安の種は膨らむ一方。逆に立案者のタゴサクは呑気にぶらぶらと村の外を歩き回り、彼に救われたはずのプレイヤーの神経を逆撫でした。
そうしている日々の中、タゴサクは彼女を拾って持ち帰った。
カボチャは救荒作物である。薩摩芋と並び、荒れた畑に種を播いても強靭によく育つ。知られている事実ではあるが、アルス砂漠ではさほど広まっているわけではなかった。
理由は単純だ。――敵対している騎士団の馬に食わせる飼料のひとつが、まさにカボチャだったのだ。
家畜に食わせる食糧。それが大陸西部における人々のカボチャに対する認識であったし、それ用に品種改良していたのもあって味も最悪。甘味など欠片もなく、繊維が歯の隙間に挟まって食べづらい。人間の食べる代物ではないというのが常識だった。おまけに日本人から見ても大陸のカボチャは一目ではそうとわからないほど外見に違いがあり、あれをカボチャとは認めないとタゴサクは気炎を吐いていた。
そんな中、偶然彼が持ち帰った彼女の外見は、日本やアメリカでよく見かける一般的なカボチャのナリ。その頃は人の顔の模様も浮かんでおらず、至極普通の外見だった。
「こいつ育てるべ! 見た目はまんま向こうのカボチャさ! きっと甘みも強くて美味いに決まってる!」
「決めつけんなよ……」
呆れた顔で相方が言うが、彼女も内心それに同意していた。……自らの味など、試しに食べてみたこともない彼女にわかるはずもない。
そんな周囲のことなど意にも介さず、タゴサクは気楽に笑ってプロジェクトの進行を宣言した。
●
そうやって彼女が植えられたその畑は、彼女の眼から見ても酷いものだった。
農夫たちの会話を小耳に挟めば、彼らはスローライフを息巻いてやって来たはいいものの、農業に関してはまったくの素人なのだという。それが納得できるほどの出来栄えだった。
土は耕しきれず、少し根を伸ばしただけで岩盤にぶち当たった。
肥料として撒いてきた糞尿は発酵が不十分で作物が腐りかけた。
水源からの水引きが偏っていて、水浸しになったところからボウフラが沸いた。
これなら彼女が元居た山中の方が、爆発で耕し魔物の死骸の栄養がある分よほど栽培に向いている。実際彼女は彼らの扱いの悪さに何度も死にかけたし、こいつら全員爆殺してやろうかと魔が差しかけたことも一度や二度ではない。これまでの野生生活で各種耐性が鍛えられていなければきっと耐えられなかっただろう。
それでも我慢して彼らに付き合い続けたのは――――単なる、気まぐれだ。
茎をのばし、花を咲かせ、カボチャを実らせる。育ったカボチャのどれかに彼女の意識が宿っている。意識の宿った南瓜が収穫され、切り分けられたらそこまでだ。取り出された種が畑に植えられ、しばらくしたらそこから彼女が再び目覚める。――その繰り返しである。
収穫のサイクルは三か月。旬はあるが栽培に季節は問わない。それこそ秋に種を播いて冬に収穫なんてことも可能だ。通常のカボチャとは大違いな彼女の性質は、その正体が魔物だからだろうか。幸いなことに、農家として素人ばかりだった村の人間たちは『この世界特有の特殊なカボチャ』ということで納得してしまい、それ以上を追求することはなかったが。
苦難の日々だった。彼女にとってもそうだったのだから、彼らにとってはさらに辛い日々だったのだろう。
冷害があった。暖冬があった。蝗害があった。病害があった。雨季の災害で彼女の種を残して全滅したこともある。逆に干ばつで干乾びて、農夫が必死で搾り出した水魔法で生き延びたこともある。
そのたびに彼らは頭を悩ませ、試行錯誤を繰り返して乗り越えようと努力を重ねた。彼女も次こそはと気張り続けた。もっと葉を広く、もっと根を深く、もっと実を大きく甘く、と。
――そうして数年が経った頃、ようやく成果が実ったのだ。
「うっわ、なんだこれ! 甘え! 甘えでよこれ!」
「逆にこれ料理に使えんのか? 砂糖抜きにしたって餡子にできそうな甘さじゃねえか」
「栄養はあるんだからええべ! こいつさえありゃあ砂漠の畑事情は一変さ! ここの特産にだってなるかもよう!」
暑さ寒さにびくともしない。虫を寄せ付けぬ厚い皮。病など耐性を極めた彼女の恐れるものではない。砂糖要らずの甘い実に、これさえ食べれば飢えとは無縁な栄養価。
彼女がカボチャの魔物でなければここまで早くに完成はできなかっただろう。タゴサクたちが現代知識を用いて頭を捻らなければ、ここまで劇的な変化は生まれなかっただろう。
――力を合わせたのだ。彼らは知らないだろうが、彼らの知らないところで、彼女もその気になって工夫を凝らし続けた。だからこその結果だった。
……もっとも、そんな主張などする気も起きないけれど。
何も言うまい。何も語るまい。彼らが日本に戻ったところで、掲示板で自慢げに書き込んだところで、彼女がこのことに関与したなどと明かす気はない。そんな白ける水を差す気はなかった。
誰にも知られず、誰にも語られない。それでも何かに尽くした日々があったのだと。そんな三十年があってもいいと、そう彼女は思った。
――――そう、思っていた。
●
約束された成功は容易く踏み躙られた。まったく無関係なはずの魔族の手によって。
集落に攻め寄せるガーゴイル、数は百に届こうかというほどで、村の守りについていた十名足らずの兵士など障害にすらならなかった。
「おいタゴ! 何やってやがるんだ! 逃げるんだよ!」
「いんや! 逃げん! 逃げてたまるか!」
逃げ惑う村人たち、なす術もなく殺されていくプレイヤー、一縷の望みをかけて村の外へ走る女子供。
誰も彼もが畑を棄てて命を守ろうと走る中、唯一タゴサクだけは畑の前に立ちはだかった。
「馬鹿なことやるなよ! 命あっての物種だろうが! カボチャはまた作ればいいだろ!」
「いんや! 作れん! 奴らに踏み荒らされたあとの畑で、また一からカボチャなんて見つからん!」
「次にまたやればいいだろうが! ログアウトして、一週間後にまたやり直しゃいい! わざわざ痛い目に遭うなんて――」
「次はない! 次はないんだ、馬鹿野郎……ッ!」
目を剥いて怒鳴ったタゴサクの眼には、うっすらと光るものが溜まっていた。
「日本に戻ったら何だってんだ!? 百二十歳超えた寝たきりの爺だぞ俺ぁ! 心臓に爆弾抱えて、余命なんて一年あるかどうかもわからねえ! 死ぬのが先かボケるのが先か、そんな生きる価値もねえ老い耄れさ! 次の一週間が残ってるかもわからねえ!
それが何だ! ようやくここで、この仮想で! 残せるものを残そうといきり立ってんだ!」
彼女はその声を聞いていた。葉を震わせるその声を、その激情を、何もできずに。
「鋤鍬なんて持ったこともねえ! 庭の草抜きだってやったこともねえ元リーマンだぞ! 人生やることやっちまっていざ余生だってのに、肝心の身体が言うこと聞きゃしねえ! これでセカンドライフ? スローライフ? できるわきゃねえだろが!
そんな中ようやく出会った仮想の世界だ。やりたいと思ってきた畑仕事だ! 手にマメこさえて腰痛めて、土にまみれて日を浴びるのさ! そうやって夢のようななかで育てた俺のカボチャだ――そうだ、夢にまで見たカボチャなんだ!
邪魔はさせねえ、誰にだって荒らさせねえ! 仮想だ現実だは関係ねえんだよ……!」
そう言って、男は手に持った鍬を振り上げて走り去っていった。へっぴり腰に引き攣った雄叫びを上げながら。
彼女はそれを感じていた。目もなく耳もなく、それでも彼の思いを感じ取っていた。
●
「PUMPKIN……」
進化のタイミングは、あまりにも遅かった。
根を震わせる地の揺れが収まった。葉にかかる液体が乾いたころに、進化を告げるアナウンスが耳に届いたのだ。
提示された行き先はただ一つ――『ジャック・オー・ランタン』。闇夜に浮遊し道を照らす、カボチャの灯籠。
迷うことなく承認し、彼女は変化を受け入れた。
――そうして次に目を開けたとき、そこにあったのは地獄だった。
「……a……」
死体が積み重なっていた。老いも若きも、男女の区別もなく。村の家屋は火がかけられ、彼女が目覚めたときには灰と炭になっていた。
彼らの戦果なのだろうか、数体のガーゴイルが青銅の屑として転がっていた。だがそれだけだ。
踏み躙られた畑は見る影もなく、そこが畑であったなど誰に言っても信じられまい。そこで彼女が生き残っていたのは単なる偶然だったのだと見て取れる。
「……a……aa――」
……本当は、こんなはずではなかった。最初に見る光景は、こんなものではなかったはずだった。
一面にカボチャの実った畑、嬉々として収穫する男衆、収穫の日は女総出で祝宴の料理を作る。カボチャのお面を被って走り回る子供たち。
そんな――――そんなものが見られると、そう期待していたのに。
「――――aaa……a……」
男が倒れていた。手に鍬を握りしめて、事切れていた。
何の変哲もない、どこにでもいるような芋臭い外見の男である。それだけに、外見の設定に時間をかけたのだと察しがついて――それが誰なのか直感した。
「―――a――」
涙は流れない。その機能はこのランタンにありはしない。
何を怒ろうが何を嘆こうが、この忌々しい彫りこまれた顔に変化はない。
だからそれだけに、憎悪が積もった。腹に満ちる怨嗟を感じた。
「――aa……aaa……aa――a」
赦さねえ。
ああそうだとも、断じて赦してやるものか。
踏み躙られていい人たちではなかった。押し潰されていい夢ではなかった。
それがこうも簡単に、まるで虫でも駆除するみたいに。
どんな理想で、どんな理由で、どんな理念でこんなことを。
――――知ったことか。
潰す、殺す、ことごとく吹き飛ばす。
これをやった魔族ども、奴らに従う魔物ども、奴らに肩入れする馬鹿者ども。皆すべてぶち殺す。
彼らが丹精込めて育て上げたカボチャが奴らを殺す。てめえらが砕いた南瓜がてめえらを殺す。アタイが奴らを爆殺してやる。
涙は流さない、そんな機能はアタイにはない。そんなものを向ける価値は奴らにはない。
怒りも哀しみも憎しみも、すべてカボチャの面に押し包もう。奴らが最期に見るのは狂気に歪んだカボチャのツラだ。
だから――――願わくば、この復讐が終わったあとに。
飢えた人々の腹の中には、憎悪の代わりに彼らの育てた、いのちのカボチャが満ちてほしい。




