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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
291/494

地を這う者、間に合わないもの

 変身は反則だ。そうに決まってる。


「ええいくそ、あんなのありか……!?」


 ずぶ濡れになった身体を引き摺るようにして瓦礫の山から脱出し、屋根に大穴を開けた民家の玄関からよろよろと飛び出した。なにしろ高度三十五メートル以上からの紐無しバンジーである。おかげで民家の屋根どころか二階の床まで突き抜けて何故か水の張ってあった浴槽に着水。なるほどこれがフルダイブか……。

 歩くたびにべっちょべっちょと不快な感触と音を撒き散らすブーツを恨めしく思いつつ民家を出ると、空には満天に輝く月が浮かんでいた。そして月をバックに高々と跳躍する得体のしれないパンプキンの姿が。どうやらやっこさん、俺を無視してどこぞへ道を急ぐらしい。


「まったく、訳がわからん。なんなんだあれ――――うっぷ」


 胸元からせり上がる嘔吐感。耐え切れずに吐き出すと、びちゃびちゃと音を立てて血の塊が石畳にぶちまけられた。

 なにがどうした――そんな思考に及ぶ暇すらない。


「ぅ……ぐ、ぬ……」


 背中に激痛。

 膝をつく。咄嗟に支えにした掌が血に濡れた。脱力した指先が細かく震え、爪先までが凍り付くかのようにひどく寒い。

 息が乱れる。吐く息が白く煙るのを見て、そういえばもう冬の季節だと思い出した。そりゃこんな濡れた服じゃ寒いわけだ。


「はっ……く、ぁ……ッ」


 動けない。力が出ない。ここにきて毒が身体に回ったのか。落下の衝撃には耐えたのになんてざまだ。

 身体を支えていた腕からも力が抜ける。ぐしゃりと音が出そうなみっともなさで倒れ込んだ。蹲って身体を抱え込んでもまるで寒気は消えてくれない。


 ……まさか、こんなところで。

 あの毒を受けてから、時折こうして動けなくなることはままあった。その時はこれもまた自業自得かと納得して、寒気が治まるまでじっとしていたものだが。

 ――だが、今この場では困る。


「ぃ――やいや、こいつはきつい」


 がふ、と咳き込めば血の泡が散っていく。芋虫のように地面を這って、そのたびに骨の削れるような痛みが身体を走った。

 指が千切れる、肌が裂ける、骨が罅入りはらわたが腐る。脳は既に痛みに蕩けた。肺は血液とともに凍り付き脳に酸素を送ってくれない。酷い頭痛が焦燥を呼ぶ。


「あ、が……」


 動かないと。立たないと。走らないと。

 ――――戦わないと。


 それだけだ。それだけでいい。

 こんなものは慣れたものだろう。四肢が砕け傷が焼かれる痛みなど、それこそ初体験は済ませている。こんなものは大した話ではない。だから、行かないと。


 人を待たせている。

 大事な部下だ。手塩にかけていびり倒した連中だ。うちの中でも、精鋭揃いだと胸を張れる男ども。他の誰でもなく、俺に背後を任せて前の敵に当たっている。この街は内側からは決して崩れないと、そう信じて戦っているのだ。

 好い部下だ、好い副官だ。だから――――断じて、こんな馬鹿みたいな騒ぎで喪っていい連中じゃない。こんな下らんことであいつを日本に帰してたまるか。

 ……あぁ、そうだとも。馬鹿騒ぎだ(・・・・・)

 何がグールだ吸血鬼だ、あほらしい。そこらの焚き火の前で盆踊りでもしてやがれ。動く死体なんざ、気色悪いだけで見飽ききったわ。


「は――はは……」


 さあ笑え。笑って走れ。死闘のさなかに哄笑を上げろ。多少の不調など鼻で笑って消し飛ばせ。そうでもしなければ、いずれどこぞの馬鹿のように囚われるぞ――――!



   ●



 芸術都市の住民の避難誘導は、都市内に配備された衛兵の手によって順調に行われた。年に一度の訓練の賜物か、道に迷うものが出ることもなく指定された広場に人を集めることに成功したのだ。

 ――それが、彼らにとって思う壺であることを除けば、理想的な展開であった。


「……む。そこのお前、具合が悪そうだがどうしたんだ?」


 住民の避難場所への誘導ののち、混乱が起きないか周辺の警備を行っていた衛兵の一人が、奇妙な男を見かけた。

 浮浪者のような風体の男だ。今日の混乱でもみくちゃにされたようで衣服が乱れ、どこか調子が悪いのか膝を抱えて蹲っている。乱雑に整えられていない髪の毛が跳ね飛んで不衛生な印象を与えていた。

 男は背中を丸めて座り込み、衛兵が声をかけても反応すら見せない。


「…………」

「どうしたんだ? どこか怪我でもしているのか? 家族はいないのか?」


 無反応な男の様子に心配になった衛兵が繰り返し声をかけた。……どこか酷い怪我を負っているのかもしれない。一見したところ出血は見られないが、骨でも折れていれば今後移動するときに難儀するだろう。

 都市の守りが破られるとは思っていないが、緊迫した空気に錯乱した市民が暴動を起こす可能性もないわけではない。無用な怪我人を出さないためにも、衛兵が小まめに声をかけていくことは必要なことである。

 善意からの申し出、職務に忠実な公僕。表の防備につかなかったとしても、確かにこの衛兵はこの芸術都市を守るに足る、優れた兵卒であったのだ。


「――ぁ、……」

「動けないのか? 痛いところはどこだろうか? 確か、隣の区画の避難場所に薬師の先生が避難しておられたはずだ。一緒に行ってやるから診て貰え――」

「ぇ、うぁ――」

「な――――」


 ぐりん、とねじ曲がり振り返った男の顔。眼は白濁し唇が破れ歯は欠け、ダラダラと涎を垂れ流して白痴のように顎を動かしている。あまりに常軌を逸した様相に、衛兵は自らの思考が真っ白になるのを自覚し――――それが致命的な隙となった。


「えええぅぁうしっらあっがああああああああああらわああ!」

「あ――――ガッ!? なにを、ぎっ――いづ!?」


 組みつかれた、押し倒された、文字通り齧りつかれた(・・・・・・)

 逃れようと腕を振り回しても効果はない。もとより膂力はそれ(・・)の方が遥かに上回っている。なす術もなく首筋の肉を喰いちぎられ、それでも衛兵は助けを求めて周囲を見渡し――


「――――あ……?」


 その光景を、目に収めた。


「ひぃぃいいいいいっ!? やめっ、やめぇええええええ!?」

「ぇええああぁぁぅあれりうらあ」

「痛い! いたいの! やめてよ耳齧らないで!?」

「うぃいいしえおらおい」

「あぁああああっ!? ゆびっ、ゆびっ、ゆびぃぃいいい!?」

「あぅぽいうういういさあああ」

「やだよぅ! おがあざん、やめでよう!? いだい、いだ、ぎぃっ!?」


 いつの間にか、一斉に始まったその地獄を眼にした。

 市民が殺されている。市民に殺されている。

 老若男女区別なく、いつの間にか紛れ込んでいた化け物に。

 喉笛を喰いちぎられた男はうち倒れ絶命し間を置いて立ち上がり我が子を襲った。子を庇って引っ掻かれた母親は安全な場所に逃れたあとで我が子を食い殺した。老いた父を見捨てて逃げた息子は背中を向けた途端に父に追い倒されて首をもがれた。訳も分からず逃げ惑った老女は取り縋った衛兵に斬り殺された。

 地獄があった。たかだか数分、その間に地獄が生まれていた。


「ごっ、ぉぉおおおおぉぉぉおおおおぉぉおおッ!?」


 喉も枯れよと絶叫する。彼が守ろうとしたもの、彼が救おうとしたものすべてを踏み躙られ、亡者に押し倒された衛兵はせめて声だけでも負けまいと雄叫びを上げて、


「う、ぇう、あ…………」


 血飛沫が上がった。鼓動がひとつ鳴りやんだ。

 これは救いのない話。彼も彼女も間に合わなかった、一つの惨劇である。

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