放たれる狼
昼下がりのことだ。
西街道を見下ろす形でそびえ立つ、芸術都市ハインツ西城門。すでに城門は固く閉ざされ、後方から追加で閂を補強するための木材が運び込まれている。木材を受け取った大工たちは黙々と巨大な釘を木材ごと城門に打ち付け、外部の敵が門を打ち破れないよう補強作業に没頭していた。
城壁の上は騒然としている。行き交う兵士たちの様子も落ち着きがなく、指揮官たちの反応もどこか浮ついていた。
……無理もない話だとは思う。征服王の時代ならまだしも、芸術都市は魔物の脅威に晒されることがほとんどなかったと聞く。当然兵の練度もたいしたものでないのだろう。そこに報告にあった500ものグールの群れ、それが間もなく押し寄せようというのだから、むしろ彼らが恐慌をきたしていないのは僥倖とすらいえた。
「――――状況は?」
「こ、コーラル殿……!?」
城壁の上に簡易的に設置された陣幕に入るや否や、俺は陣幕の中で所在なさげに突っ立っていたガバッツァ執政に問いかけた。芸術都市の中年執政はこの状況下でも平服のままで、図太いのか状況が把握できていないのかは判断できなかった。
「み、見ての通りだ。西から押し寄せるグールの軍勢、八時間後――夜更けにはここに辿り着く! やはり敵は外から襲いかかってきた! もっと見張りを密にしていれば早くに気付けていたというのに!」
落ち着かない所作で、しかし大袈裟な口調で執政は言い立てた。まるで斥候を出し渋ったこちらの失態であると言いたいかのように。
――いや、むしろそれをネタにして主導権を握りたいというのが本音か。
その予想を裏付けるように、執政は張り出た腹を仰け反らせるようにして言い募る。
「……そういうわけで、コーラル殿。早速だがあのグールの群れを迎撃して貰いたい。聞けば猟兵とは物陰に隠れての伏撃を得手としているとか。幸い西街道は北側が森に覆われた立地、これに紛れて――」
「お言葉だが執政殿、敵は護るべき補給路も持たず、頭脳たる本陣もあるかどうか不明な魔物の群れ。奇襲伏撃の効果は怪しいかと。それにここには堅牢な城壁がある。下手に小勢を繰り出して消耗するより、この壁の上で射手に徹した方が戦果は大きいでしょう」
「同感です。猟兵の標準装備は装填に時間のかかるクロスボウ。一撃で敵の主力を削るならまだしも、ただ当てるだけなら遮蔽物のある籠城戦の方が向いています」
「ぐ、むう……」
俺とエルモに否定されて悔しげに黙り込む執政。……もっとも猟兵の場合、自動芋剥き機をもとにした装填装置のおかげで矢継ぎの隙は極限まで減らしている。外に出て敵に当たれと言われてもそれなりに戦える確信はあった。
それでも出撃を渋ったのは別の懸念があったからだ。
「住民の避難は進んでいますか?」
「呼びかけは行っている。避難地の警護にも衛兵を当ててな。本来なら彼らも丸ごと城壁に張りつけたいところだったのだが」
それは悪手だ。この場合、最も恐ろしいのは内側から起きる混乱だ。撃退の算段が曲がりなりにもできている現状なら特に。錯乱した住民が城門を勝手に開いて敵を招き入れるなど冗談ではない。
それにしてもこの執政、認識が甘い。目の前の敵に手持ちの全戦力をぶつければそれでいいとでも思っているのか。
「……失礼ですが、迎撃の指揮はどなたが?」
「ハインツに駐在している王国軍三百人、その司令官が務める」
それはなによりだ、懸念が一つ減った。
しかし三百人……五百の人外相手に心許ない数ではある。城壁の堅牢さに期待するしかない。
「指揮官殿にお目通りしたいのですが、どちらにおられますか?」
●
「エルモ、猟兵全体の指揮を頼む。グールの群れに城門を破らせるな」
「別にいいけど、あんたはどうするの?」
執政のもとを辞したあと、指揮官がいるという尖塔の上へ向かう路上にて副官と言葉を交わす。
任務放棄ともとられかねない俺の言葉に呆れた様子を見せながらも、エルモは続きを促した。
「……どうにも嫌な感じがする。まだ俺たちはこの街にいる吸血鬼も見つけられてないんだ。そんな中でのこの騒ぎ、何も起きない方がおかしな話だろう?」
「十中八九、出てくるわね。――でもいいの? そこまで言うなら私たち全員で街中を回った方がいいんじゃない?」
「あの執政が信用できない。馬鹿みたいな横槍を入れてくる政治将校と同じ臭いだ。気付いたら城門を開けっ放しにして正面突撃を命じかねんぞ、あれは。こっちはこっちで門を守れる抑えが欲しいんだ」
「外も中も敵ばかり。愉しくなってきたわね」
ヒュウ、と下手な口笛を吹いてエルフは唇を歪めた。鋭く細めた目つきは欠片も笑っていなかったが。
「……まぁ、門の方はこっちに任せなさい。で、他にやっておきたいことは?」
「タグロを借りる」
「ちょっと待って。彼は伝令役でしょ?」
訝しげにエルモが眉をひそめた。状況的にこれはハスカールへ援軍を求める場面ではないのか、と。
「伝令役だからだ。敵が来るまで八時間、空を飛んで行ったんじゃ間に合わない。援軍要請には他の手を使う」
「他の手?」
「あまり使いたくはないんだがな。――ウォーセ!」
「オン!」
大声で呼べば威勢のいい吼え声が返ってきた。城壁の上から街中を見れば眼下の家屋の屋根を高々と跳躍する白い影が。
ひらりひらりと屋根から屋根へと飛び移り、颯爽と目の前に着地した白狼は澄ました顔でぺたりと腰を下ろした。
「いい子だ。ひとっ走りして『みんな』に伝えてやってくれないか」
「グウ?」
「なに、そう遠くない。東の港だ。そこからなら充分届く」
きょとんとした顔を無視して額の辺りをぐりぐりと撫でると、白狼は目を細めて尻尾を振ってみせた。挨拶代わりに俺の右手を舐めつくしてべたべたにし、威勢よく一声吠えて走り去っていく。
そんなうちの狼のことが気になったのか、傍らのエルモはじとりと目を据わらせて白狼の背中を見つめ
、ぼやくように言った。
「……あの狼って、本当に……」
「素直でいい狼だろう?」
「それはあんただけの……いいえ、なんでもないわ」
深々とついた溜息は何を思ってのことか。気苦労の多いことである。
――さて、いい加減に動くとしよう。こうしている間にも事態は動いている。こちらが遅れても喜ぶのは敵だけなのだから。




