内なる異変
間に合わなかった。
「これは……」
爆音が轟くや否や、突然のことに呆然としている二人を放置して白狼に飛び乗り現場に急行した。こいつが全力で走れば周囲が凍り付くからそこまでではないものの、それでも俺が望める限りの速度でその現場についたのだ。
それでも、間に合わなかった。
薄々直感していたことではあったが、辿り着いたときには何もかもが終わったあとだったのだ。
「――――――」
爆発があったのだろう。散乱する瓦礫、崩れた煉瓦、捲れ上がった街路に露出する土の色。薄暗い路地だったのだろうそこは、この日を境に見晴らしを良くしていた。
両脇にそびえていた家屋の壁に大穴が空いている。白狼に跨った俺がやすやすと通れるほどの大きさで、まるで穴あきチーズのようにごっそりと抉れている。下から見上げれば崩れた床板から二階部分が覗けた。
踏み込めばばきりと何かが割れる音。見下ろすと白い皿が何枚も辺りに散らばって無残な残骸と化している。壁の向こうは厨房か何かだったのか。
「――ぅ……ぐ……」
込み上げてきた吐き気を飲み下す。喉奥に錆臭い味が広がった。……来るときに少々急ぎ過ぎたらしい。無理がたたって血を吐きそうになる。動き回るのに支障はないが、酩酊したような不快感と息苦しさが再発してきた。
ええい、そんな場合でもない、身体の不調は置いておこう。まずはこの場で何が起きたのか――
「……ぇ――――ぁ……」
「――――っ、誰かいるのか?」
微かに鼓膜を震わせる、呻くような喘ぎ声。反射的に音の方向を見当づけ声をかけた。
「ぁ…………ぅ……」
「――そこか。今行くからそこで待て!」
ごそりと何かが蠢く音、その拍子に崩れた煉瓦が耳障りな音を立てる。……爆心地と思しき地点からやや離れた場所に、瓦礫に埋もれるようにしてその声の主はいた。生存者がいたことに胸を撫で下ろしつつ、俺は瓦礫を取り除くために近寄って――
「ぁ、ん……ぃ……」
「――――――」
白濁した瞳、鬱血した肌、髪の毛の一部が頭皮ごと毟られ白い頭骨が覗いている。力なく口を半開きにして意味をなさない言葉を垂れ流す、元は人間の女だったのだろう何か。
「食屍鬼……」
「んぷぁー、んぅ……」
爆発のせいかボロボロではあるが真新しい衣服。理性の無い食屍鬼に衣服を繕う能がないことからみて、転化してからそう経っていないのだろう。首筋にある何かに齧り取られたような傷跡をみるに、あるいはつい数刻前までは人間だったのかもしれない。
物欲しげな仕草で口をカチカチと開閉し、緩慢な仕草で身動きするものの、俺に向けて襲い掛かる気配はない。……当然だ、そもそもこの女、両上腕と両腿の半ばから先がない。炭化した傷口から血が流れることもなく、しかしアンデッド特有の再生力すら封じられ、女のグールは達磨のような風体で転がっていた。
「むぅー、く……」
「…………」
白痴のように呻き声を垂れ流す女。不思議なことに、その口元は微かに笑んでいた。何がおかしいのか、死の直前に愉快な物でも見たというのか。
「ぃん――――ぐぁ……」
「悪いな」
瓦礫の上に膝をつき、女の喉を片手で掴み込んだ。蠕動する喉の感触、げふ、と咳き込むような音が女の口から漏れる。もぞもぞと身じろぎして抵抗する感触が返ってくるが、そもそも四肢の無い不死者に碌な抵抗などできるはずもない。
ぎりぎりと女の首を絞め上げる。強化された攻撃値は易々と喉を握り潰し、肉越しに脊椎のゴリゴリとした感触が伝わってきた。
ひと息に、首の骨を圧し折った。
「こ――――」
「赦しは請わない。精々恨め」
●
「――コーラル、あんた大丈夫なの?」
「んー?」
被害者を光魔法で浄化し、しばらくして遅れてきた猟兵達に現場の調査を命じて、俺自身も何か見落としがなかった辺りを見回っていたときのことだ。唐突に傍らのエルモが言葉をかけてきた。
「大丈夫って、何が?」
「身体の調子よ。さっきからなんだか顔色が悪くなってるわ」
「む……そうだったか」
そういえば、ここに着いてから呼吸音に水気が混じって収まらないような。
気遣わしげにこちらを見る彼女の感情はむしろ呆れの方が大半を占めているようだ。……しかし、こいつにこんな心配されるとは、俺も随分鈍ったものである。
俺は不調を誤魔化すように咳払いしつつ、あくまで軽い調子でエルモに返した。
「――鎧を着てないせいだな、少々消耗が激しい。まぁ、少し休めば治まる程度だし、悪化しても血痰が出るくらいだから問題もあるまい」
「血痰が出るのを少々とは言わないわよ」
「慣れだよ、慣れ。こんなもんしゃっくりみたいなもんだ」
ぐい、と背筋を伸ばして周囲を睥睨する。今、白狼が何かに気付いたのか瓦礫の中に鼻先を突っ込んでいるところだ。がりがりと前脚を使って瓦礫の山を掘り返す姿は災害救助犬を思わせた。
……はて、そういえば体調の不良云々といえば。
ふと思いついたことを雑談まじりに話題に出してみることにした。
「確か、この都市にも腕利きの錬金術師がいるって噂だ。ひょっとしたら解毒薬を調合して貰えるかもしれないし、これが終わったら――」
「無駄よ」
「無駄?」
「ええ、行くだけ無駄。あのマッドエルフに解毒薬なんて作れないわ」
何故か苦々しい顔つきで彼女は吐き捨てた。
「あれに興味があるのは爆発物だけよ。ピクリン酸だとか硝安ナントカだとか、とにかく爆発しないものに価値はないってのたまう気違い。あれに魔法薬なんて作れるものですか。専攻が違うのよ。
……まったく、期待して会うんじゃなかったわ」
「何とも強烈な御仁のようだな。しかし爆発物とは、爺さんと気が合うかもしれん。今度連れてきてみるか?」
「合わないんじゃない? 開発に対するスタンスが違い過ぎるもの。あのキチガイは直感で理屈を飛躍させて周りに説明しないタイプ。意外でしょうけどギムリンは答えが見えていても一つずつ実験と記録を重ねていくタイプね。反りが合うわけがないわ」
「なるほど、そういえば爺さんも言ってたっけ。――『手順と段階をすっ飛ばした進歩は、その代が終われば退化する』とかなんとか」
もっと進歩した火薬が作れるはずの爺さんが黒色火薬にこだわるのはそこだろう。安定した火薬の生成が達成できれば、今度は火薬の加硫化に挑戦するのだとか。
「趣味人と開発者の違いね。お手軽な内政チートほど、息切れしたあとが悲惨なのよ」
辛辣な口調でくだんの錬金術師をこき下ろすエルフ。何か恨みでもあるのだろうか。
――と、その時のことだ。
目の前でごそごそと穴を掘り返していた白狼が、とある物を咥えて引き返してきた。得意げに尻尾をぱたぱたと振り回し、甘えた鼻声で俺にそれを押し付けてくる。
軽く頭を撫でてから口に咥えたものを受け取ると、『それ』が何であるかがようやく察せられた。
「……って、おい。なんだこれは」
オレンジ色の破片だ。元の形からかけ離れた形状に粉々に砕け、ひときわ大きなものでも手の平サイズほど。
材質上匂いはそれほどしない。中身をくりぬかれていたのか、破片の一部からでも種子が取り除かれていたのだとわかる見た目をしている。
「――かぼちゃ……」
寒々しい秋の空が、唐突に翳ったような感覚を覚えた。
●
「――――――」
半壊した路地裏を調査のためせわしなく動き回る猟兵達。その上方――住民の避難が済んだ家屋の屋上に、それは鎮座していた。
一抱えもある球体、オレンジ色の表面はごつごつと起伏が激しい。鑿で削ったような荒々しい抉り方で切り描かれた口と目は吊り上がり、見るものによっては笑顔のようにも見えるだろう。
中身はくりぬかれて空洞になっていて、描かれた口と目ごしに中身を覗くことができた。
「――――」
ただの南瓜、そのはずである。
屋上の片隅に置物のように野ざらしにされたまま、その南瓜は眼下で動き回る猟兵達を見下ろしている。
「―――――Pumpkin……」
――――僅かな一瞬、その眼窩の奥に小さな炎が灯った。
その姿に気づいたものは、いまだにいない。




