陰謀の影
「ええい、話が違うぞ……!」
挨拶を終えて退出していった猟兵達が屋敷を出ていったのを確認すると、ガバッツァ執政は激昂に任せて執務机の上を薙ぎ払った。書類が散乱しインク壺が割れて特徴的な匂いが鼻を突く。拍子で切ったのか掌にできた傷がじくじくと痛みを訴えた。
衝動的に癇癪を起したものの、執政の胸に込み上げる怒りは収まらない。追撃とばかりに踏みにじった書類と絨毯がインクの黒に染められていく。
「猟兵、よりにもよって猟兵だと!? 何故近衛でなく、竜騎士でもないのだ!?」
今回派遣されてきた連中は、執政にとって最悪の人選といってよかった。正面から敵と当たることを本分と信じ切った王国兵でも、開けた場所で敵を纏めて焼き払うのが得意な竜騎士でもなく。やってきたのはまさかのあの得体のしれない弩弓兵だ。
何を考えているのかわからない目つきをしたあの隊長のことも相まって、執政の機嫌は最悪にまで落ち込んでいた。
「どうする。一体どうするというのだ? このままでは――」
「まずいですなぁ、よりにもよって猟兵とは」
唐突に背中に掛けられた声に執政は振り返った。警戒はしていない。聞き知った声であり、こうやって出し抜けに話しかけられるのには慣れている。
「貴様……」
「理解しておられますかな、執政殿? この状況、アレの存在が何を意味しているのかを」
振り返った先には、書類棚に背中を預けて一人の男が人を食ったような笑みを浮かべて佇んでいた。窓からの光の届かない、絶妙な影の位置に身を置いている。全身を覆う貴族のようなあしらいの黒装束は、今にも闇に溶け込んでしまいそうなほど存在感が薄い。
病的なほど肌の白い男だ。蝋燭のような肌は丹念に撫でつけた脂のてかる黒髪と相まって不健康さが滲み出ている。ニヤニヤと歪んだ口から覗く赤い口腔は対照的なほど鮮やかに赤く、まるで血の色を連想させた。
「意味だと……?」
男の言葉に執政は苛立ちを隠さずに答えた。
「決まっている。ハインツは舐められているのだ。正規に援軍を出すまでもないと、竜騎士の出動に値しない、古臭い街だとな!」
「王国側の反応としてはそうでしょうなぁ。かの港湾都市の件を鑑み、王国軍は王都の守備を固めています。芸術都市とを繋ぐ大街道を巡る衛兵の数がめっきり減ったのもそれが原因でしょう。
しかし辺境伯は一味違うようで。送りつけてきた援軍が猟兵という時点で、閣下の思惑が透けて見えるようではないですか」
思惑とは何だ。援軍要請がたらい回しにされた以上の理由があるとでもいうのか。
執政の疑問に答えるように、男はますます笑みを深めた。
「あの男が言いたいのはですね、つまりはこういうことです。――我々の計画など、既に見切ったに等しい、と」
「な――――」
なんだ、それは。
なぜ、どうやって。
こちらの手など、あの辺境伯に欠片も見せていなかったはずだというのに。
愕然となった執政に男は続ける。
「『紅狼』、そして『雷弓』。この度この芸術都市に派遣されてきた二人は、なるほど強力な手練れなのでしょう。率いる猟兵も先日のワイバーン討伐から見ての通り精強無比。しかし、そんな戦力評価など一面的なものでしかありませんな。
真に評価するべきは彼ら――特にあの猟師の眼です。一年前の騒動を知れば、その脅威がどこにあるかなど瞭然としているでしょう?」
「一年前……アリシア・ミューゼルの暗殺未遂か」
「然り。あの事件において、あの男は一般人を装った暗殺者をことごとく見破り、不審者を片っ端から獄へ叩き込んだ。そして暗殺計画を捨て身の特攻作戦に落ちぶれるまで追いつめたと聞きます。……尋常ではない鼻の利き方だ。そんな彼がここに派遣されたというのなら……ねぇ?」
意味ありげな上目づかいに背筋が震える。……つまりは、疑われているというのか。最初から、理屈も根拠も通り越して、ただの眼力で見破られたと?
「猟師が提案した計画からしてそれは見て取れますな。……外敵など目もくれず、真実の敵とはまさに内にあるのだ、獅子身中の虫の駆除こそが任務であると言わんばかりの配置でしょう?
やれやれ、困った方だ。我々はカタチこそ人間と同様だが、その習性は知るものが知れば一目瞭然。暗殺者など比べ物にならないくらい容易く見破られてしまいます。……これでは当初の計画など意味をなさない。彼らが来ると聞いて、理由をつけてあらかじめ同胞を外に出しておいたのは正解だった」
「おいっ!? 計画を変える気なのか! 話が違うぞ……!」
慌てふためいて執政が言った。……この男を手引きする代わりに己自身の身の安全を保障するというのが当初の契約内容だったはずだ。働き次第では新たに『血族』へ迎え入れるとも。
「あぁ、もちろん約束は守りますよ? 執政殿は我々の貴重な同胞だ、ご家族もろとも迎え入れますとも。我々は律義さで数を増やしてきた種族なので。
ただ……そうですねぇ、本来の内応からの蜂起がほぼ潰されてしまいましたのでねぇ。結局外から攻めることになってしまいますし? このままこの街を陥としても、執政殿の貢献がやや弱くなってしまいますなぁ」
「な、なんだ。何をさせる気だ……?」
恐る恐る執政が問いかけると、男は意味深な笑みを浮かべた。
「せっかくの権力なんですし? やっぱりあるものは使ってこそでしょう? 協力は惜しみませんよ。
彼らには彼らの望む仕事をしてもらおうではありませんか。壁の中を駆けずり回って滑稽に。傭兵崩れが公僕を気取ってどこまでできるか、見せてもらいましょう?」
男の影から、闇が滲み出たような――そんな感覚がした。
――――影は暗躍する。古都を死都へと変貌せしめるために。
そんな彼らを、書類棚に飾られた人の顔のような柄をした南瓜が、物言わずに見つめていた。




