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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
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闇より近寄るもの

 芸術都市ハインツは、比較的治安の落ち着いた都市である。

 北方の雪原地帯、西方の丘陵地帯に生息する魔物は大人しい気質なものが多く、アイスドラゴンなどの強力な魔物も縄張りから出ず引き籠る傾向にあり、魔物の脅威に脅かされる危険もほとんどない土地だった。唯一人を襲う身近な魔物として内海沿岸を牛耳っていたグリフォンがいるが、それも交通のときに縄張りを避けて通れば交通費用以上の実害はなく、そしてそのグリフォンも数年前に討伐された。

 グリフォン討伐によって生じた安全地帯。居住可能な土地が増え、漁業が盛んとなり、収穫の供給先である芸術都市で養うことのできる人口が目に見えて増加する。それを踏まえ、このハインツに流れてくる住民は増加の一途をたどり、今や芸術都市は王都に匹敵する発展が約束されていた。


 だからこそ――――そう。

 増加した人口を守りきるには、盾が不足していたのだ。



   ●



「む――――あれはなんだ?」


 冬の近づく夜更けのことである。半島ほどではないものの、明け方は吐く息に白いものが混じり始めた頃のことだ。

 芸術都市の西城門を警備するとある衛兵が、南西――遠くは港湾都市へと続く街道からこちらに向けて爆走してくる馬車を見咎めた。

 勤続二十年のベテランである。その彼をして、今までの経験からあれほど速度を出してこの都市に突っ込んでくる馬車など見たことがない。

 スキルレベル7に達した遠視を用いて観察してみれば……なんということか、一目で尋常な事態ではないことが察せられた。


 港湾都市から芸術都市までを定期的に行き来する駅馬車だった。それなりの長距離を頻繁に通行するだけあり、荷台の造りは堅牢でそれを牽く馬も軍用に劣らぬほどの逞しさを誇る。――だというのに。

 客車が半壊している。特に後部は何かの魔物に襲われたのかと思えるほど損壊がひどく、所々に付着しているものは血痕――いや、肉片か。がたがたと震動する合間に見える客車の内部に人影は見えない。駅馬車であるのに。

 馬の方も酷いものだ。荒々しい息遣いは所々甲高い喘ぎ声が混じり、口の端から泡が噴き出ている。後先顧みずに地面に叩きつける鉄蹄はボロボロに毀れ、全身から湯気を出すほどの勢いで疾駆している。


「おいっ、そこの馬車! そこで止まれ! 止まるんだ!」


 衛兵の一人が馬車に向け槍を突き出して制止の声を上げた。そのまま馬が突っ込んでくることを危ぶみ石突きを足で踏みつけて固定しての警告だった。

 幸いなことに、馬車を操る御者に理性は残っていたらしい。荒々しい嘶きを抑え込むように手綱が引かれ、槍を構える衛兵の目前で馬車が停止する。……ただ、馬の方は無事では済まなかった。


「ひ――――ヒィ……!」

「おい……なんだ、この馬は……?」


 興奮しきった様子の馬は口の泡に赤いものを混じらせ、血走った目をぐるんとひっくり返して転倒した。びくびくともがくように空を掻く四肢は次第に力を失い、とうとう馬はぐったりと倒れたたまま起き上がらなくなる。


「一体どうしたっていうんだ……?」


 ……まるで、グリフォンに襲われた隊商みたいだ。


 似たような恐慌状態を起こした馬を、ベテランの衛兵は見知っていた。……これはまるで、無謀を顧みずに内海沿岸を通行しようとし、あえなくグリフォンの襲撃を受けて逃げ帰ったいつかの行商のようではないか。

 しかしそれはあり得ない。グリフォンは数年前に半島の辺境伯軍によって討伐された。そもそもあれが生息していたのは芸術都市から見て南東。この西城門に接続する街道でこんな騒ぎが起きることなどあり得ない話だった。


「む……お前は……」


 ――そこで、衛兵はようやく気付いた。馬車の御者台に乗る人間、座席で石像のように凍り付く青年が、自身の見知った男であることに。


「は……っ、きっ……ぁ……」

「おい、ダミアンだろう、お前。馬鹿みたいに馬を走らせて何があった? ひどい汗だぞ」


 正面に視線を固定したままこちらを見向きもせず、びくびくと何かに怯えるように震える青年に、衛兵は言葉を選びながら何でもない風に問いかけた。……馬が死んだことは今は指摘しない。下手に追い詰めれば何をしでかすかわからない、そんな危うさが青年にあった。


 尋常でない様相だった。血の気の引いた青白い顔には冷汗がびっしりと浮かび、歯の根が合わずカチカチと音を鳴らしている。視線は泳ぎに泳いで視界内に潜む『何か』を必死に捜し出そうとしていた。それでいて、決して首を巡らせて背後を振り向こうとしない。

 衛兵は繰りかえし青年に問いかける。しかし返ってくるのは要領を得ない呻き声ばかり。


「ぐ……ぁっ、あぁ……」

「ダミアン! 何に襲われた!? 後ろに乗ってたはずの客はどこにいった!? ダミアン!」

「ぐ……っ、食屍鬼(グール)だ……っ!」


 業を煮やして一喝した衛兵に、青年が悲鳴じみた絶叫を上げた。


「グールだと……!?」

「みんな……喰われたっ! 辻の横から襲ってきて、あっというまにっ! 後ろの客車から、ひめいがっ骨をもぐ音がっ、ぶちぶちっておとが……! 俺、振り返れなくって! 前だけ向いて鞭振り回してて……!」

「ダミアン……」

「前だけ見ててっ、う、うう後ろから奴らの声が、息が首筋にかかって! もうダメだって思ったら前の辻がぼんやり光って! 前に、前に、前に前に前に前に――――!」

「おい、落ち着け! いいから深く息を吸うんだ! ダミアン!」


 衛兵が必死に落ち着かせようと声をかける。しかし届かない。錯乱した青年はがくがくと身体を震わせて御者台から転げ落ちた。それでもなお荒い息のまま目を限界まで見開き、泥だらけの身体でのたうつように痙攣して――



「――――――パンプキン」



 そんな言葉を、口にした。


「…………ダミアン?」


 衛兵が恐る恐る誰何する。まるで、彼の知るものと別人のような雰囲気がその青年から発せられていた。

 青年は応えなかった。ただ――まるで啓示を受けた聖職者のような、法悦に満ちた笑みを唇に浮かべ、聖句を唱えるかのようにその(・・)名称を連呼する。


「パンプキン。けひっ、パンプキン! けひひひひひぃっ! あはっ……パンプキンパンプキンパンプキン、パンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプキンパンプ」

「ダミアン!? しっかりしろ、ダミアン!」

「パンプキンパンプキンパンプキンパンプパンプパンプパンパンパンパンパぁぁあぁぁぁあぁぁあああああぁぁあぁぁああああああああああああああああああああああああああ!?」



   ●



 狂乱した御者は、芸術都市西城門の衛兵たちに取り押さえられた。精神に異常をきたした彼は、今もなおハインツの治療院で隔離されている。

 芸術都市の西街道を進んだ先に、駅馬車が襲撃を受けたと思しき地点があった。散乱する木片と客車の金具、そして憐れな犠牲者の一部がそこで発見される。

 しかし不可解な点がある。襲撃のあった地点には、襲われた被害者の遺体だけでなく襲った側であるグールの死骸まで散在していた。それも一つや二つどころでなく、最低でも五体以上の残骸である。


 ――そう、残骸。

 発見されたグールの死骸は、まるで内部から破裂したような様相で散乱していたという。


 事実を知るものはいない。いるとすれば、御者が乗っていた駅馬車の残骸に引っかかるように残されていた、人の顔のような模様をした南瓜くらいのものだろう。

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