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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
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淫婦カーラ

 なるほど、ホグ渓谷というのは隠れ住むのに随分と向いた立地をしているらしい。

 日中は灼熱、夜間は極寒の砂漠は、生身の人間による踏破など困難。駱駝の力を借りなければ生還すら危ぶまれる。道に漂う陽炎は容易に方角を見失わせ、出没する魔物は毒蠍やバジリスクなど砂に隠れるものが多く毒まで持っている。おまけに時折飛来してくるフェニックスはとんでもない再生力で、矢を当てた程度ではまるで意に介さないほどだ。

 これを突破するために人間は不向きだ。アルス砂漠を横断しホグ渓谷へ辿り着くのに向いているのは、むしろ青銅の塊であるガーゴイルであったり、短期間で上空を突っ切れる羽持ちだろう。


 ――つまりは、自分のことか。


「けっ……」


 益体のない思考に嫌気がさしたバアルは、近場の壁に身を寄りかからせて舌打ちを漏らした。

 ホグ渓谷。一年前まで暗殺教団の本拠地であったこの砦は、ザムザールの謀りに蹂躙された。家屋の半数は原形を留めず、無傷な壁など数える程度。当然生かして逃がした構成員など一人もいない。立ち向かってきた戦士も逃げ惑う女子供も、みな等しく殺し尽くした。


 胸糞の悪くなる作業だ。この任に自分が用いられたのはその機動性ゆえと理解してはいる。つまりはそれなりに重用されているのだろう。だがこの気分の悪さは誤魔化しようもない。

 唯一溜飲を下げられたのは最後の一騎打ち。殺害リストで最後に残っていた曲刀使いの導師との戦いだ。心置きなく槍を振るい、これが最後と区切りをつけることができた。……主要な暗殺者はあらかた殺しつくした、残りの雑魚など相手をするまでもないと。


「――あぁ、バアル。そこにいましたか」


 砦の中から男が出てきてバアルに声をかけた。赤い髪に黒い肌、体を覆う外套の中では腕が一本しかない。


「終わったかよ。目当てのお仲間は引き当てられたか?」

「ええ、それはもう」


 敬意の欠片も感じられないバアルの問いに、外套の魔族――ザムザールは薄く微笑んで答えた。


「思いのほか、教団は良質な人材を育成していたようですねぇ。ここで生じた魔力溜まりだけで大半を賄えました。私が直々に門を開かなくとも、遠からず誰かがやってきていたでしょう」

「そうかい」


 興味なさげに言葉を返し、バアルはザムザールの背後を見やる。……砦の扉の向こう側の暗がりで、役目を終えた召喚陣が光を失っていくさまが見えた。

 そして、


「うわっ、うわー! ちょ、マジ信じられなーい! こんな所でアタシを呼びつけたとかふざけてるわけ!? 黴臭くて埃ばっか! この敷物なんか穴だらけじゃない! このカーラちゃんには相応しくないわよ!」

「――――――」


 軽薄な喚き声を垂れながら、ひとりの女が姿を現す。騒音にしか聞こえない金切り声に、思わず眉間に皺が寄るのをバアルは自覚した。


 その女を一言で言い表すなら、妖艶な淫婦というのが最も近いのだろう。

 人間に近い肌色は大理石のように艶やかで、波打つ金髪に豊満な胸。血を凝らせたような紅い瞳。肌を強調するように露出の多い服装で、背中からは蝙蝠の翼が生えていた。


 ――魔族カーラ。

 今回の教団壊滅によって生じた魔力溜まり、それを利用してザムザールが召喚を試みた魔族である。


「ほらっ、そこの小間使い!」

「あぁ?」

「そこのアンタよ! ってゆーか周りにアンタ以外いないんだから察しなさいよ鈍いわね! ――アタシ、召喚されたばかりで喉が渇いたわ。何か飲み物でも持ってきてちょうだい!」


 目が合うなり小間使い呼ばわりとは言ってくれる。一瞬首をもたげた殺意を抑えつけ、バアルは努めて無表情でインベントリから水の入った水筒を取り出し女魔族に投げ寄越した。


「あら、アンタ『客人』だったの? その癖して案外気がき――ナニコレぇ、ただの水ぅ!?」


 バアルの渡した飲み物がお気に召さなかったのか、カーラは不満げに唇を尖らせ、汚いもののように水筒を投げ捨てる。


「アタシ、飲み物にはうるさいの。これからはアタシが喉渇いたって言ったら、最低三十年は寝かせたワインか果物を絞ったジュースを用意してちょうだい」

「――ハ。知るかンなもん」


 当然のように言い放たれた注文をバアルは切り捨てる。この女の傲慢な仕草も砂漠で貴重な水を投げ捨てる感性も、何もかもが癇に障った。


「贅沢やりたきゃてめえでモノ用意しな。でなけりゃガーゴイルでも使って人里から奪え。俺が付き合ってやる義理はねえよ」

「――――へえ」


 そんなバアルの態度の何が面白かったのか、カーラは愉快そうに唇を歪め、


「アンタ――――生意気ね、物知らずの癖に」


 刹那、突如として現れた闇色の球体が頭上から降りかかり、バアルの身体をあっさりと押し潰した。


「が……!?」


 押し潰された肺から苦悶が漏れる。口の中で広がる鉄の味。肋骨が何本か折れた感覚がある。

 背中ににのしかかる球体は蝿の翅を毟るような動きで回転し、バアルの内臓に激痛を与えてくる。常軌を逸したこの痛みは、まるで球体そのものにチェンソーの鋸歯が付属しているような――


「ねえ『客人』? アタシ、身の程知らずって嫌いよ? 特にアンタみたいに、自分が利用されてるとも気付かないクセして一人前ぶる馬鹿は格別。蟲みたいに潰してあげたくなるわ」


 いたぶるような口調でカーラは言う。目に浮かぶ侮蔑を隠しもせず、倒れ伏したバアルの頭に足の裏を乗せた。


「『客人』は『客人』らしく、自分の機能を果たすがいいわ。所詮アンタにとってここはただの遊び場なんでしょ? 適当に飲み食いして殺し殺されでもしてなさい。つまりアタシの小間使いしてる方がよっぽど有意義ってコト」

「――――――」


 バアルは無言。女の言葉に耳を貸さず、四肢を踏ん張って思考に沈んでいる。

 女狐の戯言など右から左だ。いつか殺すと心に決め、それ以外は意識から外す。女魔族としての矜持か、頭を踏み躙る足裏から悪臭がしないのは幸いだった。

 そんなことより、ここで背中を押さえてつけてくる球体をどうにかしなければ。


 ……いや、何かがおかしい。

 この闇色の球体は滑らかな表面をしている。たかが回転した程度でこれほどの痛みを訴えてくるのは明らかにおかしい。

 つまりこのダメージは、この球体が物理的に与えてくるのではなく――


「――そこまでです、カーラ。仲間割れはほどほどにお願いします」


 諍いを見かねたのか、ザムザールが制止の声をかけた。

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