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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
のたうつ偏食家
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とある錬金術師の場合・後

 手紙の内容は、錬金術師としての師匠に当てたものだった。

 パルス大森林に長く滞在しなかったイクセには知る由もないことであったが、師匠はあれでエルフの中でも名の通った錬金術師で、長老たちからもたまに処方を依頼されるほどであるという。手紙の主のロイター卿なる人物もどこからかそれを聞きつけたらしく、師匠目当てに方々を捜し回ってこの港湾都市の居所に辿り着いたのだとか。急ぎの用向きなのか、紹介を介することができなかったことを謝罪する文から書き出しが始まっていた。

 差出人はコロンビア半島の竜騎士、アーデルハイト・ロイター。今は辺境伯令嬢のお付き役を務める人物とのことだった。


 ――なんでも、一年ほど前にロイター卿の知人で暗殺教団の毒を受けて倒れた人間がいるらしい。幸い一命はとりとめ、日常生活に支障がないほど動き回るようになれたものの、いまだ後遺症に苦しめられ以前のような活躍が見込めないのだという。

 これを重く受け止めたロイター卿はエルフの知り合いから師匠のことを聞きつけ、彼の病状に有効な魔法薬を処方してもらえないか依頼のために手紙をしたためたのだとか。

 残念なことに毒そのものは揮発してしまい手元になく、同じ暗殺教団のものと思われる類似した毒があるのみだという。毒の特定は困難なものになるだろうが、高名な師匠の腕を見込んでぜひお願いしたい――とかなんとか。


 ――師匠が読み終わり投げ寄越してきた手紙を流し読んだところ、こんな内容が書かれていた。貴族でも何でもない師匠に対してかなりへりくだった文面で、なにがなんでも依頼を受けて貰いたいという熱意が伝わってきたほどである。


「あのプライドだけは強い竜騎士さんがねえ……」

「エルフの師匠に言われるほどなんですか……」


 感心したようにひとりごちる師匠に軽く突っ込みを入れる。……竜騎士については知らないが、エルフの肥大した自尊心については大陸中の常識で、一部地域では慣用句にすらなっていると聞く。そんなエルフに驚かれる竜騎士の尊大さとはいったい何なのだろうか。

 それにしても、とイクセは首を傾げた。……それにしても、アーデルハイト・ロイター……どこかで聞いたことがある名前だ。つい最近の話でなく、もっと何年か前の――


「――あ、成人式」

「んー?」

「成人式ですよ師匠。三年前の第一王子の成人式! 一緒に見に行ったでしょう? あれ、途中で要塞都市の方でリザードマンの侵攻があって、援軍のために出席してた竜騎士様が飛んで行ったじゃないですか。ドラゴンに乗って、こう、びゅーんって!」

「あー、あったような、なかったような……」

「あったんですよ。空飛ぶ竜騎士なんて初めて見たんですから間違いないですって。――で、その竜騎士がロイターって名前だったはずですよ」


 いやあ思い出せてすっきりした、とイクセは満足して焦げ目のついたパンを頬張った。……しかしあの竜騎士が女性だったとは。あの時は遠目だったし、おまけに空に飛び出すや否や翠色のドラゴンが灰色に変色して空と見分けがつかなくなったのだ。意外にしょっぱい演出だなぁと残念に思っていたのを覚えている。


「んー……毒、ねえ……」


 師匠は気のない口振りで食卓に放置した便箋を眺めた。寝癖もそのままにもそもそと炒った卵を咀嚼する姿は完全に休日の駄目な行き遅れOLといった風情で、これがエルフで五指に入る錬金術師でございと言われても信じられる人間は少ないだろう。


 これはお断りコースかな、とイクセは牛乳を飲み干しながら肩をすくめた。……解毒の魔法薬を作れと言う割には、そもそも毒そのものが手元にないだなんてお話にもならない。病人の血液でもあれば話は変わって来ただろうが、それもないということは何のつもりなのか。

 それにもう十月も終わりが近く、冬が間近にまで迫っている。肌寒い中、積雪に閉ざされる半島に赴いて診察して、春が来るまで半島に閉じ込められる? この師匠が了承するわけがない。


「――よし、行ってみるかな」

「はぁっ!?」


 いきなり斜め上の結論を出した師匠に、イクセは素っ頓狂な声を上げた。


「あの、師匠? 受けるんですか、この依頼?」

「んー? まぁ、気になるものがあるからねー」


 おずおずと問いかけたイクセに、師匠はほれほれと文面の一部を指差して言った。


「……暗殺、教団?」

「そ。ちょうど一年前、この教団が壊滅したってニュースがあったでしょ? 君たち『客人』の見る『掲示板』? でも騒ぎになってたって言ってたし」

「ええ、それはそうですけど……」

「つまり、彼らの使う毒は今、下手すれば失伝しかけてるかもしれないわけだ。秘伝にするほど強力な毒っていうし、ちょっとだけ興味がね」

「そんな理由で……」

「研究者としては立派な理由でしょ、これ。またはコレクター魂ともいう。――まあ、患者の方にも興味はあるわよ。だってそんな毒受けて自力で回復してるだなんて、凄い生命力じゃない?」

「はあ……」


 どうやら師匠の中ではこの冬、半島に出向くことは決定事項であるらしい。イクセは軽くため息をついて旅行のために用意するものを指折り数えていった。

 ……防寒着に分厚い寝具、懐炉は絶対に必要だ。かんじきはゴダイヴァで売ってただろうか。食糧は凍りづらいものがいい。駅馬車で芸術都市まで行って、内海を渡る船便に乗り換えることになるからその分の日程も調べておかないと。

 冬の間は帰れないだろうから、家に残す食料で保存のきかないものは食べてしまおう。


「――あっぶな。買わなくて正解だったかな、あの南瓜」

「んー?」


 イクセの独り言に師匠が耳聡く反応した。物問いたげな視線に苦笑しつつ、イクセは昨日出会った怪しい行商を思い出す。


「昨日、お使いから帰るときに変な露天商の人と出会ったんですよ。目深にフード被って雨合羽みたいな外套で全然素肌が見えない人で。筵の上にどさどさーって南瓜を並べてて、私にもずいって無言で一つ突き出して勧めてきたんですけど、あんまりにも怪しいから無視して帰っちゃいました」


 甘く見てもらっては困る。これでもイクセは南瓜の産地北海道出身である。常温保存が肝の南瓜を冬の氷室に放り込めばあっという間に傷んでしまうことくらい常識なのだ。

 おおかた、仕入れたはいいが売れずに処分に困った南瓜商人が押し売りに出たのだろうが、相手が悪かった。


「おまけにあの南瓜、なんだか表面の模様が人の顔みたいで気持ち悪かったんですよねぇ」

「ふぅーん……」

「師匠、途中から聞いてないでしょ」


 話を聞けば興味を失ったのか、上の空で返事をする師匠にイクセは軽く頬を膨らませた。……まぁ、これもいつものことだ。


 ――予定を調整した結果、来週の明けに半島へ旅立つことに決定した。その旨を書いた手紙を送りだし、翌日の買い出しに備えてイクセと師匠は早めに眠りにつくことにする。



   ●



 ――――ディール暦714年、十月二十七日深夜。

 港湾都市ゴダイヴァにて、突如として食屍鬼(グール)が大量に発生。商業区の一角を襲撃し、周辺の住民を感染させ規模を拡大させる事件が発生した。

 手持ちの兵力だけでは対処しきれないと判断したゴダイヴァ執政は、偶然近場にて展開していたファリオン騎士団に援軍を要請。一個中隊が討伐作戦を展開し、事態は収束に向かった。討伐された食屍鬼の死骸は郊外に積み上げて火をかけ、騎士団内で神官資格を有する騎士の手により浄化された。

 被害者総数は二百十七名。都市国家時代から数えても屈指の大災害である。当局はこれを吸血鬼(ヴァンパイア)によるものであると推定し、調査を続けている。


 その被害者――感染し食屍鬼として討伐された住民の中には、パルス大森林から移住してきた高名なエルフの錬金術師とその弟子の姿があったという。

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