明かされる奸計
「悪ぃな。ちっとばかし席を外してたもんでよ」
そう言って、イブラヒムに声をかけた男は肩をすくめた。
痩せぎすの長身、ひょろ長い手足に黄緑色の髪。青みがかった肌で頬には爪痕のような刺青を施している。
土で薄汚れた軽鎧に身を包み、奇妙なことに肩に円匙を担いだ男はしかし、決定的に他と異なる部分があった。
――背中から鎧を突き破って生える、二対四枚の蟲の翅。
飾りではないのだろう。男が肩を解すようにぐるりと回すと、釣られるように羽もチリチリと蠢いた。
肌の色と目に見えるこの異形、イブラヒムはその装いに聞き覚えがあった。
暗殺教団の任務に鉢合わせし横槍を入れること数回、殺害対象を先んじて暗殺すること一回、興が乗ったからと教団の構成員に槍を向け殺害すること一回。
最近は要注意人物として注意が促されていた――
「魔族、バアル――!」
「へぇ、俺も名が売れたもんだ」
気分良さげにからからと笑い、バアルは円匙で肩を叩いた。
「そう言うあんたは……なるほどねぇ。導師の白装束に鷹みたいな目つき――八咫のイブラヒムか。――こりゃついてる! ここで張り込むのも今日で終いだ!」
「何を――」
この魔族は何を言っているというのか。
理解ができない――否、頭が理解を拒んでいる。
「何言われてるのかわからねえってツラだな。――いいぜ、お前で最後だ、教えてやるよ。
不思議に思ったことはないか? ここ最近、やけに仕事が多くて人手不足だってよ」
「――――」
『――セイタカとコンガラは要塞都市だし――』
露天商との会話を思い出す。人手が不足してこちらに回せる人材がいないと嘆いていた。立て続けに任務が舞い込み、韋駄天などは休む暇もないと。
意図が判然としない任務。殺したところでなにが教団の益になるのかもわからない任務対象。
露天商のぼやきにを、イブラヒムは戯事と切って捨てていた。
老師の一人はこれを『客人』の到来による時代の変化からくるものだと言っていた。
それが――――まさか。
まさか、これらの任務は、すべて――
「――仕組まれていた? 渓谷の守りが薄くなるように……?」
「仕込みはお前が生まれる前からだとよ。老師の数人も弱みを握って、この時期にどの暗殺任務も大詰めにかかるように予定を組ませた。
おかげで――見ろよ、この有様だ。このひと月、この渓谷にまともに剣を握れるやつなんか数えるくらいしかいなかった。ざまあねえ、ガーゴイルだけで皆殺しだ」
呆然と呟くイブラヒムに、どこか自嘲するような口ぶりで魔族は語った。馬鹿にするような口調でありながら、口元は不快げに歪んでいる。
拠点が手薄になるように仕向け、ガーゴイルを差し向けて教団本部を蹂躙する。その後は制圧した拠点で待ち構え、任務を終え疲弊して帰還してくる暗殺者たちを迎え撃つ。
人目を避けるため帰還する人員は数人単位にまで散らしてある。渓谷が魔族の手に落ちたと露として知らない彼らは、なす術もなく殺されていっただろう。
「俺はそのお目付け役でね。こいつらだけじゃ取り逃がしが出るってんで、追いつける脚の速い俺が選ばれたってワケだ。
まぁ、役得はそれなりにあったけどな? ちびとのっぽの二人組とか、三人一組でえげつない連携かけてくる奴らとか? あと逃げ足だきゃあ無駄に速ぇ野郎もいたっけか。――それなりに愉しめたぜ」
「何故……」
「あぁ?」
「何が目的でこの渓谷を襲った……!?」
押し殺した声で問いかける。魔族の男はそれに、おどけた仕草で肩をすくめて、
「さてな。俺が聞いてるのは、ザムザの野郎がそろそろ本腰を入れ始めたってことくらいだ。わかるだろ? 盤面に動きの知れない駒があるのは都合が悪い。早めに取り除いておこうって寸法よ」
「都合が、悪い……?」
「応よ。――特に悪かったのはアレだ。お前ら、砂漠の前の族長んとこの孫娘を殺そうとしたろ? 俺が胸糞悪い思いして串刺しにしたやつだ」
それを言われて思い出した。――二年前、何者かにアルス大水源の主が暗殺された事件を。
あの事件をきっかけに起きた砂漠の内乱はいまだ収まる気配を見せない。特にかのアルス・カガンの孫娘は、祖父の暗殺を敵対する騎士団、ひいては王国による策略であると主張し、反王国の旗を掲げ一大勢力を築き上げている。元の血筋からしてその勢いは優勢で、このままいけば彼女による砂漠統一はほぼ間違いないと目されていた。
教団は砂漠が王国に反旗を翻す状況を良しとせず、彼女に対し手の者を差し向けた。……しかし、結局暗殺計画は失敗に終わり、現状は諜報網の再構築から仕切り直すさなかであるという。
……あの、砂漠を戦乱に突き落とした暗殺事件。実行者は不明だとされていたが、この魔族がやったというのか。
「砂漠は反王国で染まらなきゃならない。――それがザムザの意向でよ。それをあわやというところでお前らに邪魔されかけたんだ。だからまあ、次が起きる前に潰しておこうってな」
「――――――」
そんな、理由で。
邪魔だから、隠れて何をするかわからないから、とりあえず潰しておく、と。
そんな気軽な理由で皆殺しにされるほど、教団とは取るに足らない存在だったというのか。
「――――――ッ」
左腕で曲刀を抜き放つ。利き腕でなくとも関係ない。じくじくと膿んだような熱を放つ右腕の痛みは、腹底から込み上げる憎悪に塗りつぶされた。
「――へぇ、やる気かよ」
バアルはイブラヒムの行動が意外だったのか、軽く目を瞠って口笛を吹いた。肩に担いだ円匙をざくりと地面に突き刺し、にやにやと笑って見せる。
「別に、逃げてもいいんだぜ? お前らの本業はむしろ逃げ隠れだろ? 利き腕も使えねえみたいだし、この場を逃げ切れたなら見逃してやるんだが」
「無用だ。もとより逃げ場などない。――何より、貴様らを殺さなければ、先に逝った者たちに面目が立たない」
「突っかかるねえ。……一応言っとくが、ガーゴイルに食わせた人間なんざ一人もいねえよ。殺すのに爪や牙は使ったが、それだけだ。全員この通り、きっちり埋めて弔ってある」
「…………感謝する。だが、それとこれとは話が別だ」
決意は固めた。ここが自分の最期の地だと。
ここでは退けない。たとえここが死地だとしても、退けば今度こそ全てを見失う。
「一矢報いる。それが私にできる、彼らへの弔いだ」
「そうかよ。だったら好きにしな」
青白い閃光が見えた。翅が震え、風が蠢く。
迫りくる穂先を見据え、八咫の導師は雄叫びを上げた。




