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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
闇に踊る護り手
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秋の午睡に

 からりとした秋晴れの空。天高く馬肥ゆる秋とはよく言ったもので、今年の半島は豊作であるという。めでたい話である。

 カラカラと音が鳴る。ハスカール新城のテラスからは、東の海から西の領城までが一望できる。枯葉色に染まった山々が秋はもう半ばなのだと実感させた。


「――まったく、酷い目に遭った。子供のお守なんて二度と御免だね」

「……その割には、姫様の見舞いに満更ではないようでしたが」

「そりゃあれだ。将来的には団長の直の上司になるわけだし、今から尻尾振っておいて損はないだろう? これぞ先見の明、打算に満ちた処世術というやつだよ」

「はぁ……」


 恐ろしきは大人の世界。こうやって無垢な子供はいいように食い物にされるのである。合掌。

 これも社会勉強だと得々として自らの薄汚さっぷりをアピールすると、背後で取っ手を持ったアーデルハイトは呆れた口調で溜息をついた。


「……あなたがそう言うのなら、そういうことにしておきましょう。コーラルがつく見え透いた嘘は適当に流せ、と言われていますので」

「誰の台詞だそれ」

「さて、秘密です。――あぁ、この辺りがいいでしょう。あそこに紅葉が見える」

「オン」


 そう言って、アーデルハイトは俺の座る車椅子を止めた。新城のテラスのど真ん中、秋風が緩く吹き付け微かに肌寒い。

 立ち止まったところを見計らっていたのか、ウォーセがすかさずやってきて膝の上に顎を乗せてくる。……膝掛け代わりになるのはいいんだが、ちょっと重い。


「首回り、失礼します」


 ばさり、と大きな音を立ててアーデルハイトがどこからともなく取り出した白い布を翻した。そのまま俺の首に巻き付けて身体に被せ、雨合羽みたいな格好になる。

 ――今日はまったくもっていい天気だ。散髪にはもってこいだろう。



   ●



 事件後、再びぶっ倒れた俺が目を覚ましたのは一週間近くが経過した頃だった。

 起きた瞬間は驚いたのなんの。なにせ両手両足がベッドに縛り付けられていて、碌に動くことすらままならなかったのだから。


 目が覚めたとはいえ体調が万全に回復するわけではない。どうやらあの野郎の使った毒は特別製であるらしく、後遺症が尾を引いてあえなく療養生活を余儀なくされた。無理に立ち歩こうとすれば血相変えたアーデルハイトが駆けつけてくるし、おかげで十月末に迫っていたハスカール新城の落成式は出席できずじまいである。出し物に考えていたグリフォンの編隊飛行は当然中止。代わりにタグロ君が一発芸を披露したというが……一体何をやったのやら。

 落成式の警護やら猟兵のスケジュール管理やらはうちの副官がこなしてくれたものの、俺がある程度回復したら途端に書類の山を抱えて押し付けてくる。病人に徹夜させるとか一体どんな価値観してるんだ。


 西の光神教神殿に出向していたウェンター副団長は、見事に任務をやり遂げたという。

 のらりくらりと話題を逸らす暗殺教団窓口担当に焦らされながら、聖女の遺体を持ち札に粘りに粘って教団との接触に成功。暗殺計画を撤回させることに成功した。

 途中、泊まり込んでいた宿に何者かの襲撃があったり、同行していたルオン氏のドラゴンが腹を下したりといったハプニングがあったらしいが、それはまた別の話だろう。


「――では、鋏を入れます……」

「おう。出来は問わんが耳は切らないように頼む」


 緊張した声が背後から聞こえ、襟足の辺りからちょきんちょきんと刃の擦れる気配がした。パラパラと音を立てて赤い髪が布に落ちていく。


 ――どうしてこんなことになったかといえば……さて、どうしてだったか。

 もとはといえば数日前、いい加減体も動くようになってきて外を出歩こうとしたときに、アーデルハイトに髪型を見咎められたのが発端だった。

 なにしろ総髪とはいえ伸ばした髪を適当にばっさり切り落とした落ち武者ヘアーである。見苦しいのもあるが、なにより半端な長さで首にかかる髪の毛が鬱陶しいこと鬱陶しいこと。これも機会だということで断髪式と洒落込むことと相成った。


 俺としては自分で切るか適当な床屋に頼むかと考えていたのだが、それに異議を唱える人間がいた。今まさに背後で鋏を片手に四苦八苦しているこの竜騎士である。

 彼女曰く、まだ体調が回復しきってもいないのに見ず知らずの刃物を持った人間に無防備を晒すなど言語道断。私がやった方が数倍ましです、とかなんとか。

 そこまで言うならやらせてやろうじゃないかと散髪に踏み切ったのが今の状況なのだが――


「ふむ……ええと……こ、こう……?」

「…………」


 慣れてないなら正直に言えばいいのに。

 おっかなびっくり鋏を操る気配に肝が冷える。指とか切らなきゃいいんだが……。


 ――ちょきん、ちょきん、ぱらり、はらり。

 びくびくした手つきも、続けてみて慣れたのだろう。少しだけ鋏の音が景気良くなってきた。次第に頭が軽くなってくるのを感じる。

 無言で悪戦苦闘していたアーデルハイトだったが、しばらくしてふと思いついたように声をかけてきた。


「……コーラル?」

「うん?」

「身体の調子は、いいのですか?」

「悪くはないな。痺れは残ってるが、普通に動く分には血を吐くこともない。現場復帰もそう遠くないだろう」

「――――」


 ……しかし、いつまでもこんな車椅子に乗ってはいられないだろうに。

 問いかけたっきりで黙り込んだ彼女を尻目に軽く嘆息する。……この車椅子――いや、車輪付き椅子ともいうべき物体はギムリンの作だ。後ろの取っ手を押す介護者が必要なのが難点で、おまけにゴムタイヤもスプリングも仕込んでないため乗り心地がすこぶる悪い。それでも立ち歩きもままならない身体では重宝したものだ。

 ……ただ、その介護者に名乗り出たアーデルハイトには私生活を犠牲にさせてしまい、その点については申し訳なく思っている。


「――あ、紅葉」

「えっ?」


 秋風を受けて舞い上がった真っ赤な紅葉が、このテラスにまで昇ってきた。目の前をはらはらと横切ろうとしたので、つい何の気なしに掴みとる。

 かさかさとした感触が指先に伝わり、思わず見入ってしまった。


 ……そうか。もうそんな季節か。道理で肌寒いわけだ。


 風が吹いた。乾燥した風は頬を撫で、これまで髪で隠れていた首筋をくすぐって去っていく。

 ……どうしてだろう、あれは多分木枯らしだというのに、逆に身体は暖かい。背後にいる彼女のおかげだろうか。

 不思議な気分だ。心も体も弛緩して、かつてなく無防備な姿をさらしているという自覚がある。なんだろうか、この気分は。

 これではまるで――



   ●



 解毒は叶わなかったと、薬師の老婆は屈辱も露わに語った。

 まったくの未知の毒。以前入手した近似の毒を参照しても、症状を和らげるのが精々で快癒には至れなかった。

 常人ならば即死し、生き延びてもステータスが大幅に削られる呪毒である。猟師の吐く血も、今後頻度は減ってもまた激しく動けば盛大に再発するだろう、と。

 その毒は単純な薬草学で対応しきれるものではなかった。あれを癒そうというなら、更に希少な素材を用いる錬金術や魔法薬を用いる必要がある。

 ――あるいは、猟師自身が自力で毒耐性を鍛え、毒無効のスキルを習得するかだが……果たしてそれまでどれほどかかることか。


 それを聞いて、彼の副官であるエルモは自分の寝室に直行した。掲示板を使ってエルフの『客人』と連絡を取り、錬金術に長けたエルフに伝手を得るのだという。

 上手くいけば今年の東辺海の航海で連れてくることが出来るかもしれないから、と。


 アリシア・ミューゼルの消沈振りは並ではなかった。……無理もないと思う。自らを狙った毒で身近な人間が身代りで再起不能に近い容態に陥ったのだから。

 それでも、彼の献身に相応しい人間になる、と強がってみせるあたり心の強さをうかがわせた。


 ……どうすればいいのだろう。自分は、彼をどうしたいのだろう。

 傍にいて欲しい。彼が背中にいるとなによりも安心する。

 ――あぁ、でも。

 こんな彼に、こんなになるまで護られるだなんて、そんな自分を赦せるだろうか。


「……コーラル?」

「――――――」

「眠ったのですか……?」


 いつの間にか、アーデルハイトに髪を切られるままになっていた猟師は車いすに座ったまま穏やかな寝息を立てていた。


「そんなところで寝ると、風邪を引きますよ」


 軽く肩を揺するも、起きる気配はない。……起こす気のない弱い力だったとはいえ、相当に深く眠っているらしい。

 散髪は九割がた終わっているし、このまま室内に引き返してもいいのだけれども。

 アーデルハイトはどうしたものかと少しだけ躊躇って、


「ん……」


 猟師の背後から腕を回して、覆い被さるように抱き着いた。


 ……ついにやってしまったと内心暴れそうになる。心臓はバクバクと破裂しそうな勢いで、顔が火を噴きそうなほど熱くなっているのがわかった。

 火照った頬を猟師のそれに押し付ける。自分のとは打って変わってひんやりした感触に、ついつい心地よくなって。


「コーラル……」


 名前を呼ぶと、胸が熱くなる。

 どうしようもないほどあなたが好きで、狂おしいほどあなたに恋をしていて。

 こうやって、あなたの温もりを感じるだけで幸せになってしまえる自分が、情けなくて仕方ない。


「…………」


 胸を押し当てた背中越しに彼の呼吸を感じる。眠っていても、ぜいぜいと水気の籠った息はいまだ毒が身体を蝕んでいることを意味していた。

 なにが現場復帰も遠くない、だ。まだまだ安静が必要な身体だというのに、この猟師は平然と嘘をつく。


 ……あぁ、そうだ。彼はいつもそうだ。

 この男は、どんな苦境にあっても絶対に挫けない。挫ける姿を決して見せない。

 それがどうしたと鼻で笑って、何でもない風を装って死地へと飛び込むに違いないのだ。

 そんな姿が、そんな背中が、たまらなく寂しく見える。


 あなたの隣に立ちたい。

 あなたと同じものを見ていたい。

 あなたと同じものを背負いたい。

 あなたに背中を任されたい。

 あなたを――――護りたい。


 私では力不足でしょうか?

 私は頼りになりませんか?

 私は、いつまであなたに護られたままでいるのでしょうか?


 猟師は目を覚まさない。規則正しい寝息は、それが狸寝入りではないことを示していた。

 自分の惨状に気付かれていないことに安心したような、気付いてくれないことにじれったくなるような、そんな複雑な気分を抱いた。

 少しだけ大胆になってみよう。……そう思って、アーデルハイトは男の頬に頬を合わせたまま、慎重に唇を傾けて――

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