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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
闇に踊る護り手
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赤竜の騎士

 このままではいけないと、そう思う。


 猟師と暗殺者は去った。猛烈な攻防を交わし、目まぐるしく立ち位置を替えながら離れていく。壁を蹴りひさしを足掛かりに建物の屋根の上へ。追いつ追われつ剣戟を重ね、今はもう甲高い鉄の音しか聞こえなくなった。

 きっとこれも猟師の思惑のひとつなのだろう。できるだけ距離を離し、もし自分が敗れてもアリシアとアーデルハイトがハスカール新城へ逃げ切る時間を稼ぐつもりなのか。

 その算段は成就しつつある。彼の生死いかんに関わらず、アリシアたちは安全圏へ逃れきることができるだろう。

 ――そう、たとえあの猟師が死んだとしてもだ。


 毒に蝕まれた身体、荒い呼吸、顔色は死体のように青白く、目を合わせたときだって瞳の焦点が合ってなかった。対峙のさなかに吐き漏れた鮮血はいまだに記憶にこびり付いている。

 そんな男に全てを丸投げにして、自分たちは家に逃げ帰ろうとしている。


「姫様、こちらです」

「うん……」


 アーデルハイトに促されて歩を進める。……それでも、後ろ髪を引かれる思いは変わらない。現に、先導するアーデルハイトも猟師の様子が気がかりなのか、鉄の音が響く度しきりに背後を振り返っていた。


 ……このままではいけないと、単純にそう思う。

 あの暗殺者は誰の敵なのだろう。誰を狙ってここにいるというのだろう。

 そんなことはわかりきっている。自分だ、このアリシア・ミューゼルこそがあの暗殺者の標的――本来の敵なのだ。

 だというのに、その本人である自分は何をしているのか。


 ませた子供、才能に浮かれた向う見ず、自分が犯した無鉄砲のツケも払えない大ばか者。

 きっと、このまま帰れば自分はそういう存在になり果てる。周りからの評価ではなく、自分が自分をそう(・・)固めてしまう。


 ――つまりは、ここが分かれ目なのだ。


「姫様?」

「――――――」


 唐突に立ち止まったアリシアにアーデルハイトが声をかけた。少女は応えず、遠くに聞こえる剣戟の音に耳を澄ませて、


「――うん、戻ったりしないよ。だってコーラルに怒られちゃうしね」


 そうとも、戻りはしない。こんな足手まといが彼の近くにまで寄ったところで、邪魔以外の何になる。

 でも――


「でも、このままやられっぱなしはいやなの。我慢ができないわ。だってこんなの、まるでお伽噺に出てくるお姫様みたいじゃない」


 それは違うと思う。他の誰がそういうものであっても構わない。けれどアリシア・ミューゼルがその役柄に座るのは間違っている。

 赤竜の竜騎士。初代様に次ぐ二人目の契約者。――であるならば、ここで何もできずに逃げるのは間違っている。

 そうとも、竜騎士だ。ドラゴンに乗り空を翔け、息吹をもって相手を焼く。人竜一体、それはつまりドラゴンがいなければ片手落ちもいいところで。

 ――そう、ドラゴンがいなければ(・・・・・・・・・・)


「あなただって嫌でしょ? 私がけなされてるってことは、あなただって同じ扱いなんだから。

 そうよね、ラース(・・・)?」



   ●



「ぐ――――!?」


 いったいあれのどこが病人なのか。屋根の上を跳躍しながら愕然とする。

 撃ち込まれる神速の打突。かろうじて身を翻して回避する。白装束を掠めて過ぎ去った象牙色の短刀は、傍らの商店の壁を貫いて停止した。

 ここまで深々と突き刺されば引き抜くことも容易ではあるまい。伸びきった腕を切断せんと振り下ろした曲刀に手応えはない。猟師は躊躇いもなく短刀を手放し、掴みどころのない動きで間合いを離していた。


 ……しかし短刀は奪った。これで奴の手数は半減するはず。


 落胆から己を奮い立たせるイブラヒムの内心は次の瞬間裏切られる。――青白い光、猟師の右腕には新たに鋼鉄の片手斧が握られていた。

 ――インベントリ。『客人』の持つ理不尽な能力に思わず罵声を上げたくなる。


「――――」


 猟師は無言。げほ、と軽く咳き込んだのち、一斧一刀で構えを取った。……しかしイブラヒムの鷹の眼は見逃さない。猟師の口端に僅かな血が漏れている。

 平然を装っているものの、この男が満身創痍であることに違いはない。違いはない、はずだ。


「――何者なのだ、貴様は」

「――――」


 問いかける。しかし猟師は軽く目を細めるだけで応えなかった。……もとより返答など期待していない。それでも問わずにはいられなかった。


 奇天烈な足捌き、教団随一の剣の腕を誇る己にここまで食い下がる技量。気を抜けば視界から忽然と消え、いつの間にか死角に陣取り心臓を狙ってくる薄気味悪さ。

 尋常ではない相手だ。これまでイブラヒムが相手をしてきたどんな人間よりも得体が知れない。

 そして何より異常なのは――この男が今の今まで、まったく魔法を(・・・・・・・)用いていない(・・・・・・)ということ。


 イブラヒムの眼はひとつの魔眼である。透視と魔力感知に秀でた眼は、一度捉えた標的の動きを見逃さず、魔法の起こりを察知して敵の意図を予想させる。猟師の円卓を用いた目くらましを両断したのはこれに起因する。

 その魔眼が伝えている。この男は今この瞬間まさにMPが尽きている。魔力の欠片もその身に帯びず、身体強化など望むべくもない。強化を用い打ちかかるイブラヒムとは雲泥の差があるはずだ。


 だというのに、これはなんだ。

 渾身を籠めた曲刀は受け流される。繰りだされる刺突は全て必殺。壁や屋根を伝い縦横無尽に駆け回る姿は自分にも劣らない。

 レベルやステータスが高いわけではあるまい。イブラヒムの鑑定は男のステータスを丸裸にしている。……基礎力が高く応用のきく技巧型――その評価に間違いはない。その評価を逸脱するはずがないのだ。

 しかし、これはなんだ。

 身体強化分と併せればこちらが上回る。だというのにそれに易々と追従してくるこの男は何者だ?


「く……ッ」


 激情に駆られるように前に出る。……己が劣っているという感覚が、これほど屈辱的だとは。

 薙ぎ払った曲刀はボロボロの短刀で受け止められた。空いた隙に右手の斧が振り下ろされる。すんでのところで飛び退いた。鼻先を豪風が通り抜ける。

 ――と、その時のこと。


「う、ぐ……」

「なに……?」


 追撃に踏み込んできた猟師が唐突に立ち止まった。背中を丸めて膝をつき――口元から大量の血を吐き出す。

 ……回った毒が隙を作ったか。


「は――――ッ!」


 考える間もなく斬りかかった。罠や演技など欠片も疑わず、身に染みた剣が身体を衝き動かした。

 横薙ぎにふるった曲刀は猟師の首を狙う。イブラヒムは刎ね飛んだ頭部が宙を舞うさまを幻視し――


「な――」


 がきん、と異音が響く。驚愕に声が漏れる。

 傾いた屋根に折れた膝。砕けた屋根瓦が耳障りな音を立てる。

 崩れる姿勢はさらに崩れ、曲刀の狙いは僅かに逸れた。

 俯いた首、ぐりんと横向きになった顔。……曲刀を阻む、銀色の額当て。


「ぅ……が、ぁぁぁああ……!」


 獣のような唸り声が聞こえた。まるで手負いの狼のような、闘争心のまま牙を剥くような。

 振り上げた斧は曲刀を握るイブラヒムの腕の、手首のすぐ下を切断した。


「が――――!?」


 苦鳴が漏れる。激痛に身体が泳ぐ。――そして、それを見逃す猟師ではなかった。

 胸ぐらを掴まれた。その手にあったはずの短刀は後方に投げ捨てられている。懐に潜り込まれ、引き込まれた上体は猟師の背に乗り上がり、


「飛ォ、べ――――ッ!」


 一瞬の浮遊感。目前に広がる星空に、投げ飛ばされたのだと理解する。落ちる先は大通りのど真ん中か。商店の屋根から投げ落とされ、受け身もままならないとなれば重傷は免れまい。

 ――それが、ただの常人であれば。


「ぬかったな、猟師」


 男は知るまい、イブラヒムの軽業を。こと落下に関して教団の右に出るものはいないのだと。

 この程度の落下、たとえ首から落ちても衝撃を殺してみせよう。その後は身を眩ませて再び潜伏する。

 落下するなか、必ずあの猟師を仕留め、ついにはアリシア・ミューゼルの心臓もついてみせるとイブラヒムは決意を固め――――ふと視界にの端に写る、あるものを認めて絶句した。


「ば――――!?」


 ハスカールの街並み、新城から城門へ続く大通り。彼方に見える城壁で。

 城壁の真上(・・・・・)に腕をかけ、身を乗り出してこちらを見る巨大な赤い影。

 口元は赤く発光し、何かを起こそうとしているのがわかる。

 視線は鋭く、真っ直ぐにこちらを射抜き。


「――――――」


 赤竜ラース。最強の騎竜。

 何故、どうやって、などという疑問など、湧き上がる余裕すらない。

 赤い極炎の奔流は大通りの直上を沿うように突き進み、宙に浮いたイブラヒムの身体を呑み込んだ。それでも勢いを失わないブレスは新城の石垣にぶち当たり、融解した石垣が痛々しい惨状を取り残す。


 灰が舞う。むせ返るような熱気が大通りに充満する。

 あとに遺ったものはない。

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