イチイの木の有用性についての疑義
「この街全てが私の射程よ……なんちゃって」
ハスカール新城の四方にそびえる尖塔、その屋根の上に陣取った猟兵副隊長は唇を歪めた。眼下には曲射を撃ち込んだ街並みが広がっている。
手元には身の丈を超すほどの長弓を携えている。イチイ材にミスリルの箔を施し赤銅の細工をちりばめ魔力の通りをよくした特製品は、つい今年になって新調したものだった。
いつもの厚着は脱ぎ捨てている。不本意ながら、これほどの強弓を連射するのにもこもことした服装は邪魔の一言で、渋々肩周りを自由にするために薄着になった。おかげで今は肌寒くて仕方ない。
――流石に、いつも使う短弓でこの距離を射抜くのは無理があった。
いや、魔法を使いシルフを用いれば射程は伸ばせるし弾道は誘導できる。ただ数をぶち込むだけなら楽なもの。昔リザードマンにやったように気兼ねなく適当に一人弾幕と洒落込んだだろう。しかし今回は狙う中心地に味方がいた。彼女たちを避けて撃つにはシルフによる誘導を強化しなければならない。
よって、精度はともかく射程は自分で稼がなくてはならなくなった。
要はリソースの問題だ。MPに限りがある以上、魔弓ではカバーしきれないならその分を自力で補えばいいという脳筋仕様。我ながらエルフとして恥ずかしい限りである。
「とはいえ……結構使い勝手悪いわね、これ」
ほう、と息をつき改めて自分の得物を見やる。弦の引きが固いのはもちろん、引ききって狙いを絞る間の張力も半端でなく、はっきり言って肩から背中にかけて筋が攣りそうなほど痛い。
まともに扱えるようになるまで練習を重ねることになるだろう。そのことを考えると少しだけ憂鬱になった。
……デザイン自体は、とても気に入っているのだけれども。
「――さて、愚痴はおしまい。今日もお仕事に励みましょう」
さしあたって、あの竜騎士と姫様が新城まで撤退してくるまで援護を努めなければならない。視覚を共有したシルフに確認させた限り、彼女たちを囲んでいたごろつき連中をほぼ射殺しているものの、他がいないとは限らない。
むしろ、アリシア・ミューゼルが護衛を減らし街中で孤立しているこの絶好機、襲う側からすれば逃す手はないだろう。
伝令は走らせた。しばらくすれば猟兵全体に情報が行き届き、先ほど不自然な爆発のあった現場に急行するはず。それまでは自分とあの竜騎士で姫様を守ることになる。
意気を新たにしてエルモは軽く鼻を鳴らし、新しい矢筒をインベントリから取り出した。屋根の上で傾いた足場を踏み直し、目を凝らして街中にある目ぼしい標的を見つけようとして、
「――――――ッ!?」
背筋を走る悪寒。膨れ上がる危機感。
予感に従い振り向いた背後には、短剣を振りかぶったフード姿の男が跳躍しているところだった。
「死ね、エルフ……!」
「く……!?」
暗殺者。いつの間にこの尖塔に上ってきていたのか。
疑問に思う暇もない。
咄嗟に振り上げた長弓で防ぐ。刃物と木材が打ち合い辛うじて鍔迫り合いになった。
しかしそこまで。よほど切れ味のいい刃物なのか、短剣は盾にした長弓の半ばまでめり込んで止まっていた。
暗殺者の男は確信を持ったのか、渾身の力を籠めて押し込んでくる。
「ここで死ね、弓兵! この好機、逃すわけにはいかんのだ……!」
「ぐ、ぉの……!」
押し負ける。ただでさえ足場の悪い屋根の上、上方を取った相手は体重をかけて押し込めるのに、エルモは崩れて仰け反った態勢で踏ん張り続けなければならない。ひときわ非力なエルフの筋力で。
急激に傾斜した尖塔の屋根だ。ひとたび転倒でもすればたまらず地面まで落下する。ぎしりと軋んだ手応えを足裏に返す屋根瓦に肝が冷えた。
男の方は落下の危険など意に介していないらしい。フードとマフラーで隠れた顔からギラギラと血走った眼を覗かせ、弓ごとエルモを斬り殺そうと力を籠めてくる。
「知っているぞ、エルフ! 雷弓のエルモ! 猟兵の副官! 貴様を殺せば奴らの指揮系統は今度こそ混乱する! アリシア・ミューゼルの首は取ったも同然だ……!」
「――――ははっ」
思いがけず高い評価を受けていると知って、たまらず笑い声が漏れた。……そうかそうか、そんなに偉い扱いを受けてるのか私は。だったら期待に応えないと悪いじゃない。
「言ってくれるわね、顔も出せないシャイボーイ! どうせならそんな陰気なマフラーなんか取っ払ってひとつうえの男でも目指したらどう? この皮被りが……!」
「抜かせ、エルフ風情が! 弓以外はろくに剣も扱えぬ貧弱種族が無駄に手向かいおって……!」
「――――ふ」
ぎしぎしと弓が軋む。削れた木の粉が顔にかかる。このままいけば長弓は断ち割れ、顔面ごと斬り捨てられる。――だというのに、エルモは一層笑みを深めた。
「――――――あんた、私を何だと思ってるの?」
「なん――」
「魔法だけが取り柄? 弓以外はからっきし? ――ええその通り。その通り、だけど――」
――ばちり、と。
何かが爆ぜるような音が、辺りに響き、
「――――剣の間合いで魔法が使えないなんて、一体誰が言った――――!」
刹那、閃光と轟音が尖塔を貫いた。
絢爛の光芒、雷霆の鉄鎚。
ミスリルと銅の箔を施した長弓は、流し込まれた稲妻を増幅して解放し、喰い込んだ短剣から男へ。
炸裂した熱量は瞬く間に肉を消し炭に変え、逆立った髪の毛は爆発するように炎上する。
絶命の瞬間など、男が知覚できたかも怪しい。
「あー、もう。どうするのよ、これ。せっかく大穴当てて買った弓なのに……」
崩れ落ちた死体を脇にどけ、エルモは盛大にぼやいた。視線のさきは手元、短剣に切られ魔法の余波で真っ二つになった長弓の残骸がある。
見る影もなくなった弓は使いようもなく、それはここから街並みに向けての射撃が不可能になったことを意味していた。
出来ることといえば、風精霊を飛ばして部下を誘導することくらいか。……まったく、地味なこと極まりない。
「……ったく。私の出番ってこれで終わり? ちょっとないんじゃないの、それ」
愚痴に応えられる猟師は、今はいない。




