殺人の衝撃
「あ……え?」
始めにその男の口から漏れたのは、場違いな困惑の声だった。
噴き上がる赤炎、天を衝かんばかりに高々と燃え上がる爆炎に包まれ、それでも何が起きたのか理解できなかったようだった。
しかしそれも長く続かない。服が燃え、皮膚が焼け、髪は焦げる。一瞬で最高熱にまで到達した魔法の火炎は早々に男の目を白濁させ、そのごろつきは焼けた喉で悲鳴を上げた。
「あ――ごぉぉぁあああああァアあああああ!?」
「――――ぃっ」
「ヨナタン!? なんだこれ、おいヨナタン!?」
まるで、肺の中身を全て絶叫に変えて吐き出したような、そんな悲鳴だった。叫ばねば死ぬ、叫んでも死ぬ。すでに指先から炭化が始まっている。
がらがらと罅割れた叫び声を上げる男を前に、周囲の男たちは狼狽した様子で後ずさった。……燃え移りを危惧したのか、もはや助けられないと悟り遠巻きにするのみで、恐怖に引き攣った声で仲間の名を呼んでいる。
そして、アリシアは、
「ぇ――――う、ぐ……」
……初めて見た。
初めて見たのだ、人が焼け死ぬ光景を。
「こんな……なに、こんな……っ」
頬を撫でる火の粉、照り返す熱気、髪に吹きつける熱風。
人でないような絶叫、ボロボロと崩れる炭、肉の焦げる悪臭、パチパチと脂の爆ぜる音。
何もかもが初めて見た。こんなものは知らない。こんな、こんなまるで――
「う、ぶ……」
膝をついて口をおさえる。喉奥から酸っぱいものがせり上がる感覚にくらくらした。
燃える男は無言。事切れたのだろう、炭化して脆くなった首がへし折れ、落ちた首がごとりと転がる。
……魔物相手とはまるで違う。すべてが、なにもかもが――こんな、あぁ、ひどい。
言葉にならない。心臓を鷲掴みされたような気分だった。そのまま潰されて死んでしまいたくなるほどで――――ただ、取り返しのつかないことをしたのだと、途方もない何かを重ねたのだと、そう感じた。
「おかあさん……」
「――――っ、このクソ餓鬼がぁ……っ!」
我に返ったごろつきの一人が怒号を上げた。憎悪に歪んだ表情でナイフを引き抜き、歩み寄ってくる。
不思議と、身を守ろうという気分になれなかった。構えも何もない、対魔法の心得もない体捌き。きっと自分ならさっきと同じように燃やせるだろう。
そう、簡単に殺せる。――――その事実に、どうしようもなく体が震えた。
「このくそがっ! 簡単に死ねると思うなよ!」
「ぁ――――」
蹴り飛ばされた。咄嗟に防いだ腕がぎしぎしと痛む。猛烈な勢いに身体が引き倒された。
すりむいた掌に口の中には不快な砂利の味。……あぁ、痛い。
泣きたくなるほど痛くて、苦しくて――――それ以上のことを、自分はやったのだ。
わからない。どうすればいいのだろう。
死にたくない。痛いのはいやだ。コーラルをあんな風にしたやつは許せないと思う。
でも……手を動かせば、拳を握ればあの悲鳴が蘇る。耳について離れない断末魔。
あぁ――――できない。
「くそが! くそが! このクソ餓鬼がぁっ! よくもヨナタンを……!」
「俺たちもそうやって殺す気か!? 餓鬼が魔法使えるからって調子乗りやがって!」
「許さねえぞてめえ! あぁ!?」
「ぅ、ぐ……」
代わる代わるに蹴りつけられる。何度も、何度も、体重を乗せて打ち付けられる足裏に、ただ蹲って耐えた。
背中を打つ衝撃はじりじりと痛みを残す。中身がぐちゃぐちゃになって吐きそうだ。踏みにじられた脚が燃えるように熱かった。
「ぅ……ぁ……」
「くそッたれが。死ねやクソ餓鬼が……!」
蹴りつけるのに疲れたのだろうか。亀のように動かなくなった少女に業を煮やしたごろつきは舌を鳴らし、それならと手に持ったナイフを振りかざして、
「――――掃射、開始」
唐突に出現した無数の火球、その炸裂に吹き飛ばされた。
●
「サラマンダー、援護……!」
「――――――」
足元に下ろした召喚獣に指示を飛ばし、自分自身は走り去る。かれこれ十年近い付き合いになる火蜥蜴はじろりとアーデルハイトを一瞥し、下をチロチロと出して構えを見せた。がばりと口を大きく開ければ、握り拳ほどの火球が次々と吐き出される。
疾走する竜騎士のすぐそばを飛翔する火弾が追い越し、アリシア・ミューゼルを囲む男達の足元に着弾する。
「あ、がぁあああっ!?」
「なんだこれはぁ!?」
「――――っ」
爆風に吹き飛ばされる男たち。角度と着弾地点を計算したのか、姿勢を低く蹲っていたアリシアは軽く煽られる程度で済んでいた。ただ――男たちに何をされたのか、いつもの元気さが鳴りを潜めている。
力ずくで抱きあげてこちらを向かせた。頬の擦り剥いた後が痛々しい。
「――――っ、ご無事ですか、姫様」
「アーデルハイト……?」
抱き上げた少女の身体は、鍛えた竜騎士の力からすると驚くほど軽い。アーデルハイトの呼びかけに少女はぼんやりとした返事を返した。現実感が乏しいのだろうか。
大丈夫、生きている。怪我はあるがそこまでは酷くない。回復魔法と休養で跡形もなく治る傷だ。顔色からして毒を受けた様子もない。
内心ほっと胸を撫で下ろしたアーデルハイトだったが、安心した分だけ怒りが込み上げてくるのを感じた。
……こんな小さな子供を、寄ってたかって。
こんなものは暗殺でもなんでもない。ただの凌辱と何が違う。
「あの緑髪……竜騎士だ!」
「くそったれ! よりにもよって騎士様だと!? 聞いてねえぞクソ商人が!」
「あの野郎はどこだ!? どこ行きやがった!?」
「いねえ! あの野郎バックれやがった……!」
吹き飛ばされた男たちが起き上がりながら次々と喚いた。あの様子では雇用主がいるらしい。口汚く商人とやらを罵る姿からは、なるほど暗殺を生業としている気配など欠片もしなかった。
しかし、そんなものは関係ない。
問題とするべきは彼らが何者であるかではなく、彼らがこの場で何をし、何をしようとしたのかだ。
「よくもやってくれたな、下郎ども。全員、生きて帰れると思うな……!」
「ひ――」
「くそ……あぁくそッ!」
少女の身体を地面に下ろし、ごろつきたちに向き直って剣を抜いた。左手には火炎を帯び、背後には火蜥蜴が控えている。逃がす気など毛頭ない。
男たちの反応は様々だった。悪態をつくもの、悲鳴を上げて後ずさるもの、自棄になったような顔つきでナイフを構えるもの。
……全員斬り捨てる。情けも容赦もかけはしない。早々に片付けて、この姫様を安全な場所まで連れて行かなければ――
「――――っ」
魔力を全身に巡らせる。ぎしりと剣の柄を握りしめ、アーデルハイトは手近な男の首から刎ねんと踏み込もうとして――
「アーデルハイト……!」
「姫様――――!?」
唐突に、飛びつくように胸に抱き着いた主人に思い切り意表を突かれていた。




