驚くな……ッ。私の敗北から、学ぶのだ!
能島ヴェンディル氏が某霞ヶ丘のパリィ名人のような最期を遂げてくれたよ! 黙祷! 貴方の教えは決して忘れない! 適当に血飛沫ぶちまけやがって誰が片づけると思ってるんだこの野郎! 新築ほやほやな新城に早くも開かずの間ができたじゃねえか!
……えー、おほん。
さて、気を取り直して現状確認といこうか。
実のところ、あのけったいな不審者が乗り込んできたのは、悪い意味でかなりギリギリなタイミングだったりする。
何しろ俺が目覚めたのがつい一時間ほど前の話である。病み上がりで起きた途端暗い部屋に一人ぼっちとか軽く死にたくなったのは置いといて、朦朧とする意識の中で身代りの術を行使するのは心身ともに非常に辛かった。
どうやって襲撃を察知できたかといわれれば……察知などしていない。全て勘任せである。
満足に身体が動かない状態で部屋にひとり。周囲の気配を窺ってみればどういうわけか部下たちのほとんどが出払っているときた。あのやかましい姫様の魔力も近くにない。これは尋常な状況ではないと悟ったね。
どうにかこうにか部屋を出て皆と合流しようとしたのだが、それを邪魔する無粋者が現れた。――この水精霊である。
言葉が通じないので意思疎通に難を要したが、どうやらこの召喚獣、俺の護衛を何者かから仰せつかっているらしい。召喚魔法を使えるほど魔法に造詣が深く、かつ俺に余力を割くほどの知り合いといえば……恐らくはあの小娘だろう。ちょうど水精霊を使役しているところも見たことがある。
いや本当に何やってるんだあの馬鹿は。要らん気遣いするくらいなら自分の周りを固めろと言うのに。これのせいで怪我でもしたらなんて言い訳する気なのやら。
何が気に入らないのかやたら不機嫌な表情の水精霊は、なにがなんでも俺を部屋から出す気のない構えだった。部屋から出ようとすれば扉を凍らせるわブーツを凍らせようとするわ、直接危害を加えないなら何をしても良いと思っているのか大量の水をぶっかけようとするわと散々なことに。あとで覚えてろよこの野郎。
会話が通じないなりにどうにかこうにか宥めすかし、身に迫る危機感に従って小細工を仕掛けはじめたのが三十分前。寝台に横たえたヴェンディルに死に化粧を施したところで力尽き、壁際に倒れ込んだのがそこの首なし死体が押し掛けてくる五分前の話である。
はっきり言って二度とやりたくない。碌に物陰に隠れる暇すらなかったのだ。昼日中で見ればバレバレ以前に隠れてすらいねえ。
気分は周囲の光景と同化するどこぞの達人で、呼吸も心拍も意志の力で死ぬ気で抑え込んでついでに新たな境地を開拓するところだった。というか隠密スキルが変なスキルに化けたんですがなんなんですかねぇ?
「ええいクソ、やってられるかこんなもん……!」
何はともあれ侵入者は打倒した。一撃必殺を旨とする暗殺のセオリーからして、お仲間が控えていたとしてもこれ以上の襲撃はまずあり得ないと考えていい。残党の殲滅はエルモ達に任せるのがベストだろう。
不甲斐ない話だが、まともに動けない俺の出番はここまでだ。しばらくすれば、見回りに来た部下の誰かがこの部屋に充満する血臭に気付いて踏み込んでくる。あとのことはそいつに任せて俺は惰眠に耽るとしよう。
「――そういうわけだからおもりは要らん。さっさと主人のとこに行け」
「――――――」
そう言って手を振ると、死体の上で血の色を落として透明になった水精霊は怪しむように睨みつけてきた。……おいなんだその目つきは。少なくともあんなちっこい召喚獣から恨まれる覚えなんてないぞ。
「……いいから、さっさと失せろ。見りゃわかるだろ、この部屋での騒ぎはこれで終わりだ。お前は早くハイジの加勢に行くんだよ」
「――――――」
しっしっと手を振って追い払おうとする俺を一瞥し、大袈裟な溜息を一つついて水精霊は窓から飛び出していった。
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当然の話だが。
大人しく引っこんでいる気など、毛頭ない。
「い、だ……がっ」
もしかしたら行けるかもと思ったのが間違いだった。膝をついて立ち上がろうとしたら虚脱したように力が抜け、崩れるように倒れ込んだ。床に打ち付けた頬骨が死ぬほど痛い。
起き上がろうと床に手をつくとぬるりとした感触。倒れたときに鼻血でも出たかと思ったが……これそこの首なし死体の出血じゃねえか。思わず出所を探して床に転がる生首とご対面。呆気にとられた表情が非常に生々しいですね。子供には見せられない光景である。あとなんか甘ったるい変な臭いがする。
「んの……ら、ぁ……!」
もう一回。もう一回だけ試してみよう。
脚は萎えて動かない。腕の感覚は貧弱でさながらゴム人形のよう。視界は霞んで窓の輪郭がぼやけて見える。……よくもこんな状態でクロスボウなど撃てたものだと我ながら感心する。
掌を床に当てて、肘を立てて重心をかけて……あ、だめだ。
血糊で手がずるりと滑った。巻き込まれるように身体ごと半回転して仰向けに。こうなりゃ自棄だと勢いつけてさらに半回転。上手いことうつ伏せになったものの、代わりに全身が血糊でべったりと赤くなってしまった。これの洗濯どうしよう。
「あぁ、もう、くそ……!」
悪態を垂れ流しながらずるずると腹這いに前進する。手足が麻痺した状態でやる匍匐前進は間抜けなくらい遅々としていて、きっと芋虫の方がまともに進むに違いない。いささか新鮮な気分ですらある。
必死こいて腹筋と腰を動かし、血の海をぬめりながらもがくように進んでいく。傍から見ればさぞ間抜けに見えるだろう。今年のビデオ大賞は頂いた。
「ぁ……ぎ……」
ふと我に返る。……いや、もう俺休んでてもいいのではあるまいか。
少なくとも一人は相手して殺してるわけだし、もうノルマは達成してると言って過言ではないはず。
そもそもこの数日間不審者見つけて検挙しまくってたのは俺で、それを換算すると過剰労働といって差し支えあるまい。きっとそうだ。
ここはひとつ、何もかも放り出してここで眠りこけるのも一興なのでは……?
「――き、はは……」
どうしてだろう、笑えてきた。
笑える体力が残ってるならと、もう少しだけ手を伸ばす。……もう少し、もう少しだけだから。
――いい加減に休みたい。これが終わったらひと月ばかり有給でも取ろうと思う。
海に行こう。半島の内海ではなく、もっと南の、王都に面した南海がいい。半年前にハイジとやった釣りが思いのほか面白かった。また一緒に旅行と洒落込みたいものだ。
だから休んで――――――休む前に、ひと仕事終えないと。
「―――ぁ―――」
楽しいことを考えたからか、少しだけ活力が戻った。両腕に力を籠めて身体を持ち上げる。……今度こそは途中で力が抜けることもなく、腕は上手い具合に身体を支えてくれた。
まるで動力の入ってない義肢を操っているかのようだ。……なら、つまりは俺の本分だ。
こんな体で何ができるのだろう。何をする気でいるのだろう。
益体もない疑問が胸を衝いてきて――――あまりの益体無さに噴き出しそうになった。
何ができる? 何をする?
――――決まっている、戦うのだ。
まだこの身体は生きている。まだこの手足は動かせる。なら――――戦えない道理はない。
どんなに弱々しくとも、どんなに間抜けに見えても、闘争を定義づけるのはそこに介在する意志そのものだ。意図なき暴力はただの災厄と変わらない。反吐が出る。
戦おうという意志を持った時、人は誰しもがその資格を得る。力の有無にかかわらずだ。
老人の枯れた枝のような腕でも、幼子の稚拙な悪戯のような発想でも、人は戦える。生き抜ける。――ならば、蟲のように床に這いつくばるこの身でも、出来ることはあるはずだ。
なにより――――そう、なにより。
きっとあの娘は戦っている。
あの、背伸びしたがりで負けん気の強い娘は、俺がいなくても歯を食いしばって戦いに赴くに決まっているのだ。
だったら、行かないと。
どんな無様を晒してもいい。でも、意気地のない所だけは見せられない――――そうだろう?
……なんだ、考えてみれば簡単なことだった。
「は、ははは……」
身も蓋もない結論で申し訳ないのだが。
どうやら俺は、相当な見栄っ張りであるらしい。
「……っあー、きっついな、これ……」
窓枠に手をかけて体を持ち上げる。たったそれだけに一生分の体力を持って行かれた気分だった。
SPは相も変わらず底をついたまま。全身が引き攣ったみたいに動かしづらいが、それでも動かないというほどでもない。
こんな有様で街に繰り出してどうしようかという悩みはあるものの……まぁ、その辺はおいおい考えていくとしよう。
――さてさて、本命の問題は他にある。
肝心の姫様はどこにいるのだろうか?
「どうしよう、これ……」
どうか勘弁してください。こちとら前後不覚で思考すら纏まらないというのに。
気合いを入れたところでゲームオーバーとか洒落になってないのですが。
「ええい、この――」
あのクソお嬢め、終わったら尻叩きの刑に処してくれる、と悪態を漏らした、その時のことだ。
――突然の爆音。
遠くに見えるハスカールの街並みに、轟音とともに爆炎が立ち昇った。




