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PHOENIX SAGA  作者: 鷹野霞
闇に踊る護り手
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裏目が出たなら後は早い

 気付かなかった。地力に優れているとは言えない提婆でも、こんな密室に他人がいれば流石に気付く。そうでなければ暗殺教団は背負えない。

 だというのに、今の今まで自分の背後にいた誰かに気付かなかったということは、すなわち隠密の使い手として完全に上を行かれたということ。


「――――っ」


 冷水を浴びせられた気分で振り返る。

 提婆の背後、寝台を正面に据えた部屋の片隅に、その男はいた。


「そもそもだ。お前、俺の顔なんか知らないだろう? 基本外にいるときはフードを被ってたし、正面から向かい合ったあの劇場でだって遠目で見えなかったはずだ。

 そら、そんなだから目の前の簡単な目くらましに引っかかるんだ」


 糸の切れた人形。……それが、その猟師を見たときの第一印象だった。

 部屋の壁に背中を預け、だらりと手足を投げ出してだらしなく座り込んでいる。傍目には死にかけた浮浪者のような風体で、それこそ――――死体のような存在感の希薄さだった。

 首をもたげるのも億劫そうな猟師は、まるで何でもない景色でも見るような茫とした瞳で提婆を見つめていた。

 猟師の肩には赤い糸屑のようなものがはらりとかかっていて――それを見た瞬間、提婆は己の失態を悟る。


「その髪――――鬘か!?」

「大正解。床屋に行けなかったせいでざんばら切りだが、なかなか似合うものだろう?」


 座り込む男の特徴的な赤い長髪は、紐で結べないほど短く切り落とされていた。無くなった毛先がどこに行ったかなど知れている。

 ……つい先ほど心臓を突いた死体を確認すれば、見事に剃り落された頭皮に一見『らしく』見えるような巧妙さで赤い鬘が被せられていた。

 身代りを用意していた? こんな新鮮な死体を一体いつから? ――そこまで考えて提婆は自らの迂闊さに歯噛みする。……この男はインベントリを有する『客人』。持ち込めるものを先入観で決めつけるべきではない。


 しかし。――そう、しかし。疑念に思う。慄然とする。

 こんな突発的な侵入にこんな死体を用意してくるというなら――――この猟師は、常日頃からこの死体を持ち歩いているということではないか。


「狂人が……」


 万感の思いを込めて吐き捨てる。

 ……一体いつ目を覚ましたのかはわからない。この猟師は、どうやってか死にかけの己が狙われると読み切り、小細工を施して待ち構えていた。

 いつから、どうして、どうやって。

 どうしてあとたった半日、寝たきりでいられなかったのだ……!?


「気狂い呼ばわりとはご挨拶な。わざわざ歓迎してやったのに」


 唇を尖らせて稚気を見せる猟師。しかしその瞳は欠片も笑っていない。

 ごみのように部屋の片隅に転がる男に、ゴミを見るような目で観察されている。……言いようのない不快感が提婆を襲った。


「歓迎? ――――ハ。半死人が何を言う。身代りを用意して免れたのが精々の分際で、何を余裕ぶっているのだ」

「――――」


 気負いの混じった提婆の嘲笑に、猟師は無言を返した。その額に浮かぶ脂汗を見つけ、提婆はさらに確信を深める。


 ……そうとも。この男はもはや死に体なのだ。

 十の子供向けに調合したとはいえ、提婆が仕込んだ毒は凶悪だ。大の男でも三日と持たず、毒耐性を持っていても解毒が調合できなければ遠からず死に至る。そんなものを食らっておいて、平然としていられるわけがない。

 ゆえにこの男のこれはただの虚勢。見てくれだけ余裕ぶっている張りぼてに過ぎない。


 その証拠に見るがいい。先ほどから会話を重ねておきながら、この男は指先ひとつだってぴくりとも動かせていないではないか。

 すでに俎上の魚。今の虚仮脅しは、魚がびちりとまな板から跳ね飛んだ、それこそ虚しい悪足掻きに過ぎない。

 やることになにも変わりはないのだ。――再びその胸に毒刀を突き刺す、ただそれだけのこと。


「……半死人、か。――間違いではない」


 提婆が身代りの死体に突き刺さったままの毒短剣を引き抜こうと柄に手をかけたとき、猟師はひとりごちるように口ずさんだ。


「確かに今の容体は酷いものだ。どんな毒を使ったのやら、HPもSPもMPも底をつきかけてて自動回復も息をしてない。これじゃ腕一本動かすのが精々だろうよ。ついさっきだって心拍が弱まって、本気で死体になりかけたらからな」


 おかげで気配が薄まったのは塞翁が馬というやつか、と嘯く奴が心底憎らしい。すぐに黙らせてやると決意し、短剣を引き抜こうと力を籠めて、


「――まぁ、だからこそというべきか、罠には少々凝ってみたんだ。――――やれ」


 びきり、と音を立てて。

 一瞬で短剣ごと氷漬けにされた己の右手首に、今度こそ絶句した。


「あ、ギ――――!?」


 理解ができない。

 何故自分の右腕が凍りついているのか。あの猟師は魔法を撃てる状態ではないはず。そもそもあの猟師が撃ったのなら、体内の魔力の励起が感知できるはず。……だというのに、あの猟師からは一切の予兆が読み取れなかった。

 魔道具か? それとも他に伏兵がいるのか? しかしこの唐突に過ぎる魔法の発露はなんだ? これではまるで――――死体から(・・・・)魔法が放たれた(・・・・・・・)ような――


「死体? 違う。――貴様、死体になにを仕込んだ!?」

「見ればわかる。お前の目の前にいるのだから」


 視線を返す。凍り付いた手の向こう、死体を差したときに浴びた鮮血が凍ったにしては、あまりにも澄み切った氷の向こう側に、


「――――――」


 ――それは掌に乗る大きさの、文字通り水晶のように透き通った肢体の女だった。

 身体の所々に魚の鱗を生やし、耳の後ろにはエラが、手足には水かきがついている。

 女はどこか不機嫌な様子で、死体から溢れ出る血液に身をひたしながらこちらを見上げていた。


 誰何するまでもない。その存在を、提婆は過去に砂漠のオアシスで見たことがある。


水精霊(ウンディーネ)……ッ! この死体に潜ませていたのか!?」

「いやいや、頼み込むのに苦労したがね」


 馬鹿げたことを。狂気の沙汰だ。……しかし納得している自分もいる。――初めに見たときこの死体が身動きをしていたのは、この精霊が中にいて蠢いていたせいなのだと。


「――さて、種明かしは済んだことだし、用件を済ませようか」


 皮肉に唇を歪めて猟師が言った。しかし身じろぎひとつする様子もない。……当然だ、あれの身体は毒に蝕まれている。立ち歩くはおろか、戦いなどもってのほか。

 では何をする気なのか。――決まっている。この男は、その床でふんぞり返ってウンディーネにとどめを刺させる気なのだ。


 ……侮ったな。


「舐めるな、猟師風情が――――ぁ、がぁあああああああ……ッ!」


 短剣の柄に張り付いた手を強引に引き剥がした。激痛が手に走る。びりびりと皮膚が破れ、芯まで凍り付いた指が千切れて短剣に取り残される。凍った断面からの出血はなく、それだけは幸運だった。

 指を半ばから失い、右手はもはや物を握ることすら叶わなくなった。――――それでも。

 激痛も喪失感も何もかも黙殺して猟師に向き直る。腰からもう一本の短剣を左手で引き抜いて。


 ……それでも、この男だけはここで殺す。

 宣言してみせたのだ。嘲笑とともに、あの『八咫』を号す導師に。

 なにが八咫だ。何が提婆だ。謀叛人の名を持つものはやはり軟弱と嗤いたいか。――――ふざけるな。

 望んで得た号ではないというのに、誰もが『提婆』を卑劣漢であるかのようにみなす。この号は毒に長けているから得たものであって、他の技術が劣るわけではないというのに。

 殺す。必ず殺す。殺して己の能を教団に示して見せる。お前たちのやり方が無能なだけであって、私自身ができないわけではないのだということを証明してやる。

 そのためならば、指の五本や十本がなんだというのだ。


「死に場を間違えたな! 小細工を弄さねば小汚い床で死ぬことはなかっただろうに……!」


 肉薄する。蛇のように、狗のように。

 短剣を逆手に構え、体ごとぶつかるように跳びかかった。

 猟師にそれを避ける術はなく――


「言っただろう――――」


 その瞬間、提婆は目を疑った。


 だらしなく壁にもたれてへたり込む男。

 荒い息に滲む脂汗。毒に苦悶し歪む眉。


 もはや涅槃の一歩前まで来ている猟師は――――その腕に、いつの間にか重々しい弩弓を携えていた。


 唐突な出現。そうとしか言いようがない。

 今の今まで存在しなかった、確信をもってそういえる。だというのに。

 インベントリを展開する燐光すら見当たらなかった。であるならばどうして。


 それの出現は、まるで影から浮かび上がってくるような唐突さで――


「――――腕一本なら、動かせる」


 困惑する余裕すら残されない。

 装填は済まされている。震える腕での照準は、しかしこの距離ならば問題になるまい。

 引き金が引かれ、弦が走り、滑車が回る。

 射出されたボルトは提婆の喉元を貫通し、首を切断したうえで屋根に突き刺さりようやく止まった。

 首を失った体から血が噴き上がる。ボルトの直撃を受けた暗殺者の身体は、もんどりうって背中から倒れ、それに従って血飛沫が盛大な弧を描いた。


 残された猟師はごとりと弩弓を取り落し、疲れ切った溜息を吐いた。


「――――たわけめ、暗殺者は忍ぶもの。失敗したら逃げるものだ。破れかぶれに跳びかかるものじゃない。

 脳筋思想に染まり過ぎなんだ、五流」

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