風の噂
「……山賊が出た?」
俺が村の酒場で鍛冶屋のミンズからその話を聞いたのは、あの猪を仕留めてからひと月ばかり経ってからのことだった。
思わず食事の腕を止めた俺に、鍛冶屋は大きく頷き、
「ああ。領都からこの村に向かう道筋は三種類ほどあるんだが、そのうち北側の道で被害が出たらしい。出くわした行商人は幸いなことに有り金奪われた程度で済んだらしいが、もしかすると知られてないだけで殺しもやってるかもしれん」
「ふむ……いや、しかし、こんな田舎でか」
物好きな山賊もいたものだ、とひとりごちていると、鍛冶屋が変な目つきで俺を見ていた。
「……なんだよ」
「いや別に。知らぬは当人ばかりなり、てね」
意味の通らないことを言って、鍛冶屋は肩をすくめた。……何なんだ、いったい。
「……まあとにかく了解したよ。山の中で不審者を見つけたら、村に戻って警戒を呼びかければいいんだろう?」
「別に、血祭りにあげてもいいんだぜ」
物騒な鍛冶屋である。この世界はどうしてこうも世紀末なのか。
「あのなあ、俺は傭兵でもなければ賞金稼ぎでもないんだ。ただの猟師がどうやって山賊を相手取る。一人くらいはやれるかもしれんが、あとは囲まれて嬲り殺されるわ」
「本当かぁ……?」
いたって当然の抗議だというのに、鍛冶屋はにやにやと意味深げな笑みを浮かべていた。
「だがよ、あの猪を仕留めてからのあんたの狩り。尋常じゃないくらいの成果なんだぜ、コーラル? あれからメインで狩っている獲物は何だ?」
「……鹿と、小柄な猪」
「四日前に仕留めたのは?」
「……若い熊」
「始めて二か月ちょいの猟師が上げていい成果じゃねえっての!」
バンバンと俺の背中を叩く上機嫌な鍛冶屋。わが意を得たりといわんばかりの様子である。せっかく答えてやったというのに。
「焚きつけた手前言っちゃ悪いんだがな。あんたが鹿を狩れるようになるまで一年はかかると見てたんだぞ、俺は。だっていうのにひと月かからず馬鹿でかい猪殺してくるし、今度は熊ときた。……正直騙された気分だよ」
「うるさいな。こつを掴んだだけだよ」
「そうかそうか! だったら山賊狩りのこつも早めに掴んでくれ!」
……こいつめ。酒の勢いもあってとことん弄りたいらしい。ここは逃げるが勝ちか。
泣く子と酔っぱらいには勝てないともいう。早々に退散するとしよう。
皿に残ったパンを口に詰め込み、ジョッキの酒で流し込む。ちょっと胸に詰まったのはご愛嬌だ。痛む胸元を押さえながら席を立った。
「……情報には感謝するよ。山に入るときは気を付けることにする。だが山賊狩りはしない」
「おお、らしくなく弱気だな」
「そういうのの対応は官憲の仕事だろう。民間人が勝手にやるもんじゃない。……それに、もう無理のできる身の上じゃなくなったものでね」
あれから一か月、俺のレベルは10にまで上昇していた。死に戻りはもうできない。
「猟師の朝は早いもんでね。―――また明日、ミンズ」
●
わずかな緊張と静寂を置き去りにし、発射されたボルトが兎の胸の真ん中を貫いた。
断末魔を上げて倒れる一羽。その周りにいた仲間たちは一斉に方々に逃げ散り、少しでも生存の可能性を上げようとする。そこに、
―――グゥォオオオオオン、と
号令のように放たれた遠吠えとともに、周囲から一斉に無数の狼が飛び出した。それぞれが兎の行く先を塞ぎ、完全に囲んでいる。逃げ場を失った兎は混乱し、右往左往している間に次々とその命を狩られていった。
手にしたクロスボウを担ぎ直し、俺は自分が仕留めた兎に歩み寄ってボルトを引き抜く。肉片が鏃にこびり付いているが、特に歪みはなく使えそうだ。適当に布で拭いて矢筒に戻す。
兎の死骸をインベントリに収納したところで、獲物を咥えた狼たちが戻ってきた。総勢にして六頭。狼の群れとしては少数な方だろう。遊び気分なのか尻尾をぱたぱたと振っている個体もいる。
一頭が兎を咥えた口をぐいぐいと押し付けてきた。……催促のつもりなのだろうか。
「あーはいはい、わかったから落ち着きなさい」
インベントリを展開する。その中から皮を剥いだだけの兎を取り出し、狼の咥えていたものと交換する。この兎は昨日の狩りで射殺したもので、首を落とし皮を剥がれてピンク色の肉が剥き出しになった姿は傍から見るとかなりグロい。まあ、一週間もすれば慣れたが。
肉を渡した狼は上機嫌で引き下がって座り込み、さっそくバリボリと食事を開始した。それを見て、今度は他の狼たちまで我も我もと群がってくる。
……ふかふかの毛並に包まれて気持ちがいいのは確かなんだが、それ以上に血生臭いんでそれを押し付けるのはやめて下さい。
あの猪を仕留めてから、色々な変化が起きた。その最たるものが今の状況だろう。猪にやられたメスを塚に弔ってから、あの灰色狼が率いる群れから敵意を向けられることがなくなったのだ。その上、山に入って偶然居合わせたときはこうやって協力して狩りをするようにもなった。いなくなった雌の代わりをさせられているのだろうか。
ひとしきり兎肉を配り終えて、灰色を見やる。そいつはひときわ高い岩に悠然と寝そべり、つい先日熟成の終わった鹿肉を豪快に食らっていた。
俺も早めの昼食としよう。適当な場所にマット代わりに毛皮を敷いて、どっかりと腰を下ろした。ポーチから取り出したる包みには、試作してみた縄文クッキーがある。団栗や栃の実を砕いて獣の挽肉と混ぜ合わせフライパンで焼いたものだ。つなぎには偶然発見した山芋を利用した。調味料は男らしく塩一択である。……蜂蜜や砂糖なんて流通していなかった。畜生。
一口齧ってみるが、現実での評判ほど美味なわけではない。調味料の不足が痛かった。肉の臭みが残っているし、塩を入れ過ぎて何だか辛い。山小屋にある残りは非常食用に置いておこう。……昨今では実在が否定されている縄文クッキーだが、保存食としては有用だ。―――っておいおいこれはお前が喰っていいもんじゃないって。
俺が食っているのを見て興味を覚えたのか、若い一頭が鼻先を寄せてクッキーの臭いを嗅ぎに来た。何とかクッキーを持ってない方の手でであやしつけたが、片手が塞がってしまった。
……おい、そこのお前らも物欲しげに寄ってくるんじゃない。
……協力して狩った獲物のうち、肉は狼たちが、毛皮は俺が貰っていく。そういう暗黙の取り決めがいつの間にかできていた。当然その場で皮を剥ぐわけにはいかないから、獲物は一旦俺が持ち帰り、代わりに前日に解体を済ませた肉を振舞っている。
俺は多くの毛皮を、狼たちは食べられない毛皮の付いていない肉を手に入れる。それなりに双方に易のある関係だ。実際、俺は獲物を見つけるまでの時間が短縮され、飛び道具がある分狼たちは安全に狩りが出来る。
この前仕留めた熊がいい例だ。恐らくは縄張りから追い出されたか独り立ちしたかではぐれになっていた若い熊が、灰色の縄張りを侵そうとしていた。狼は熊を囲み威嚇と牽制で身動きをとれなくし、さらに遠隔の樹上から俺がクロスボウで狙い撃ったのだ。熊が囲みを突き破って俺のいる木によじ登ろうとすれば、灰色が後ろから噛み付いて引きずりおろした。
群れの中に怪我をしたものはなく、俺はボルトで各所に穴が開いた毛皮を手に入れた。贔屓目に見ても売り物になるか怪しい。
あ、いや、穴の開いた毛皮だって使い道はあるよ? 膠を抽出したり、なめし作業で出た皮下脂肪は蝋燭の原料になるし。以前の猪の件も併せていろいろ作っていたら、なんだかんだで『加工』と『工作』がカンストして『皮革』が生えた。
どうやら工程に手間暇がかかるほどスキルのレベル上げに補正がかかるらしい。
「―――オン」
食後の腹ごなしとばかりにじゃれついてくる狼たちの相手をしていると、灰色が立ち上がって短く吠えた。すると狼たちは名残惜しそうに俺から離れ、ボスの元へ集まる。
……今日の共同での狩りはこれでおしまい。そういうことなのだろう。
慣れ合いも過ぎれば依存になる。野生に生きる以上、人間の手を借りずには生きられないようになってはならない。
灰色はいつかのように、去り際に俺を一瞥して歩み去った。その背には、一つの群れの長の風格が見て取れた。
……さて、休憩も終わったところだし、山菜集めついでにもう一狩りと行きますか。




